第2話

「邪神様は、生贄を欲していたわけではないんですか……?」


『……ううむ、人の子にとって百年は長い。前代も誰も来んかったし、交信もロクに繋がらんし、嫌な予感はしておったのだが……』


 化け物は、巨大な頭部をしゅんと項垂れさせる。

 その恐ろしい威容には似つかわしくない仕草だった。


『そもそも邪神というのは止めてもらえんか? 我は大精霊ネロディアスである』


「す、すみません、大精霊様……」


『どこかで伝承のズレが生じたのだろうな……。儚き人の子にはよくあることだが、ただ遣いとの顔合わせが生贄になり、この大精霊が邪神扱いされるとは……。いったい、何をどう取り違えればそんなことになるのやら』


 化け物……改め大精霊様は、首を傾げて溜め息を吐く。

 あなたの姿が問題なのでは、との言葉が喉まで出かかったが、口に出すのは躊躇われた。


『我はそもそも四百年前……そなたらのノルマン王国が築かれた際に、王家と盟約を結んだ精霊なのだ。王国とは敵対せず、有事の際には王国を守護する。その代わり、百年に一度……我の領域と、そなたらの現界が近づくときには、ニンゲンの遣いを寄越す、というな』


 王家よりその大役を任されたのが、僕の村だった、ということらしい。

 しかし、そんな話は欠片も耳にしたことがない。

 きっと村長様も知らなかったはずだ。


「あの、前代の供物が来なかったって、どういうことですか……?」


『供物でなく遣いである』


 大精霊様がムッとしたように口にする。


「す、すみません……」


 前代の生贄が捧げられなかった、なんて話は聞いていなかった。

 年月が開きすぎて滅茶苦茶になっている。

 或いは、前代が行われなかったからこそ、間隔が開いて誤解が広がっていったのか。


『我も前代のことはよくわかっておらんかったが、そなたの話を聞いてよぅくわかった。恐らく、遣いのものが怖がって逃げて、身内がそれを隠したのだろうな。……その際に交信で現界へ駄々を捏ねたのだが、それが勘違いに拍車を掛けたのやもしれん』


 大精霊様が、申し訳なさそうにぽりぽりと頬を掻く。


 交信とは、魔術師が異界に住まう者と言葉を交わす儀式だと、書物より学んだことがある。


 ただこれも制約が多く、気軽に行えるものではない。

 そしてどの程度円滑に話ができるのかは、魔術師の力量に依存する。

 この様子を見るに、そちらもきっと誤解だらけだったのだろう。


「じゃ、じゃあ僕……食べられないで、済むんでしょうか?」


『まだそこを気にしておったのか……』


「すみません……。えっと、あの、じゃあ僕は、何をすればいいんでしょうか? 遣いといっても、別に王国事情に詳しいわけでもなくて……」


『難しく考える必要はない。我とて別段、ニンゲンの世情に関心があるわけではない。ただその……この領域には他に何の生き物もおらず……そなたらの世界と近づく時期も、とても稀少でな?』


 大精霊様は言葉を濁し、前脚の爪を合わせる。


『こ、この場所からそなたが出るまでの間……我と友達になってほしいのだ』


 僕は呆気に取られて、ぽかんと口を開けていた。

 もしかして冗談なのかとも思ったが、大精霊様は黙りこくり、恐る恐ると僕の顔を見つめていた。

 

 なんだかその様子があまりに大精霊様に似合わなくて、僕はつい、くすりと笑ってしまった。


「友達ができるのは……僕、初めてかもしれません。大精霊様、こんな僕でよければ、喜んで! あの……僕、マルクといいます」


『お、おお! マルク! わ、我のことも、名前で呼ぶことを許可するぞ!』


 大精霊様がぶんぶんと激しく尾を振っている。

 ……なんだか段々、大精霊様の恐ろしいはずの姿が、可愛く見えてきた。


「えっと……じゃあ、ネロディアス様?」


『なんだか……余所余所しいの』


 大精霊様の尾の動きがぴたりと止まった。


「ネロディアス……えっと……ネロ?」


 また大精霊様……改め、ネロの尾が激しく左右へと動いた。


『うむ、うむ、それでいい……いや、それがいいぞ、マルクよ!』


 さすがに一介の、それも僕みたいな人間が大精霊様の名前を縮めて呼ぶなんて烏滸がましいのではないかと思ったが、どうやら喜んでもらえたようだった。

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