第692話 奇跡の聖女(6)第三者視点
「そうですか」
思ったよりもショックを受けていない自分自身に、エリカは驚きながらも、そう言葉を返した。
その反応が予想外だったのかウクライナ日本大使であったキースは眉根を顰める。
「覚悟をしていたのか……」
キースは努めて表面は冷静を装いながらも、まるで手応えのない目の前の少女を見据えながら目まぐるしく脳を回転させる。
そして――、
「君のご家族が亡くなったことはウクライナ政府としては大変に残念に思う。もし、何かしらロシアに対して思うことがあるのなら――」
その言葉を最後まで言わせないようにエリカは頭を左右に振りながら口を開く。
「今は、マスターと契約をしていますので」
短く、そう答えるとエリカは席を立つ。
「オリジン・シスター!」
立ち上がった彼女に対して慌てて止めるかのようにキースはエリカに話しかけるが、エリカは困ったような表情をすると、
「何でしょうか? 今、私はウクライナに対して何か思うような事は無いのですが?」
「君は祖国の為に働こうという事は考えないのか? 今、こうしている間にも同胞の命が無数に亡くなっているという事に、心は痛まないのか?」
その言葉に――、エリカは目を細める。
「心が痛みますが、それは貴方には関係のないことです。そして、誰か他人――、私以外の誰かに自身の行動の指図を受けたくはありません」
「――ッ」
明らかな拒絶の言葉にキースは心の中で舌打ちをする。
「――わ、分かった……。それでは、君にお願いしたいことがある」
「お願い?」
「ああ。君がマスターと呼ぶ桂木優斗氏と話し合いの場を設けて欲しい」
「マスターと?」
コクリと頷くキース。
「それはロシアのウクライナに対する侵略戦争に対してマスターを利用するという事ですか?」
「それは違う。依頼をしたい」
「依頼?」
「戦争の早期終結は誰もが――、世界中の人間が望んでいることだ」
そのキースの言葉に、エリカは心の中で首を傾げる。
エリカがマスターと仰ぐ桂木優斗という存在。
たしかに自身のマスターである桂木優斗が侵略戦争を仕掛けてきているロシアに対して宣戦布告をしてウクライナに加担すれば、戦争の早期終結は夢物語でも何でもない。
ただし、それは禁断の依頼であるとも言えるとエリカは考えた。
桂木優斗というマスターが、戦争終結のための条件を人間基準の甘い条件で飲むとは到底思えないからだ。
「大使」
「なんだね?」
「マスターに戦争終結のための傭兵としての参戦を要求するのなら、ロシアは世界地図から消えると思いますが、それでも依頼をかけるのですか?」
「……は?」
ウクライナ大使館の大使であるキースは、エリカが呟いた『ロシアが世界地図から消える』と、言った言葉の意味がまったく理解できなかった。
「私の見解としては、マスターは恐らく間違いなくロシアと戦争に突入すれば――、日本語で言うのなら後顧の憂いを絶つ為に、殲滅戦を行うと予測できます」
「――せ、殲滅……戦?」
「はい。マスターは、戦闘において一切の情を挟むような真似はしません。そのため、もし国に対して戦争を仕掛けるのでしたら、その国に所属している全ての人間を殺すと思います。その方が後々になって問題は起きませんから」
そのエリカの言葉に、キースは何を言われたのかまったく理解が追い付かずにいた。
目の前の神の言葉を直に聞くことができるオリジン・シスターである娘――、その娘の言質が受け止め切れずにいたのだ。
一国を丸ごと殲滅する。
それは属している国民全てを含めて。
ロシアの人口は2億人を超す。
そして、それら全てを殺すかも知れないとエリカは忠告してきたのだ。
普通の――、並の人間なら、それはありえない――、常識では理解できないと考えるのが当たり前であろう。
――だが!
「彼は神だったな……」
キースの言葉に肩を竦めるエリカ。
その態度に、一瞬、苛立ちの表情を浮かべたキースであったが、深く溜息をつく。
「そうか……。神からしたら人間の命なぞどうでもいいということか……。さすがに殲滅戦は――」
ウクライナ人にとっても親類縁者がロシア国内に少なからず居り、それら全てを皆殺しにするのは、彼らウクライナ人にとっても望まない展開であった。
「わかった。忘れてくれ」
キースは、桂木優斗にロシアとウクライナとの間の戦争について介入依頼をする事を諦める。
何故なら、目の前で立って自身を見下ろして会話をしてきた少女アディールの言葉が嘘だとは決して断じることは出来なかったからだ。
エリカは、憔悴しきったキースから視線を外すと、踵を返し執務室から出た。
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