第624話 住良木鏡花の憂鬱
――千葉駅前の商工会議所をカモフラージュとして存在している神社庁の千葉支部。
そのオフィスでは、パソコンのモニターに向けてキーボードを打っていた神社庁の神薙――、下弦の一人である住良木鏡花の姿があった。
服装は、ビシッとリクルートスーツを着こなしており、一心不乱に報告書を書いていた。
それだけでなく関係各所への伝達、書類などによる要請もあり、その表情は幽鬼と言っても差し障りないほど、酷い顔色であった。
「もう二日になりますか。住良木殿、大丈夫ですか?」
そんな彼女のオフィス机に近づき話しかける老人。
「新島殿」
男の名前は、新島(にいじま) 晴幸(はるゆき)と言った。
神社庁に籍を置く神官の一人であり、茨城支部の支部長でもある。
そんな彼は、缶コーヒーを住良木鏡花の机前に置くと、
「あまり無理はなさらない方がいいかと思いますよ」
「――いえ。今回、神社庁は何もできませんでした……。それどころか……」
言葉に詰まる住良木を見て眉を顰める新島は思考する。
齢67歳という高齢であるにも関わらず時折、現場に赴く彼から見たら、住良木鏡花の考えている内容は何となく理解は出来ていた。
「住良木殿、少しお時間いいですかな?」
「――え?」
「ずっと根を詰めていてもいい仕事は出来ません。少し、気分転換をされた方がいいでしょう」
そこで、ようやく住良木は顔を上げる。
さすがに二回り以上、年が上の彼からの誘いを断るのはどうかと思った住良木は頷くと、椅子から立ち上がった。
新島と一緒にエレベーターに乗った住良木は、商工会議所の屋上まで移動し――、
「随分と薄暗いですね」
屋上に辿り着き、落下防止用の柵にもたれ掛った新島は、そう話を切り出した。
「はい。そうですね……」
ただ二日間、徹夜し書類作成をしていた住良木は頭が回っていなかったからなのか、機械的に返事を返しただけに過ぎなかった。
そんな彼女を見て――、
「住良木殿」
「……」
「我々は、人間なのです」
「――?」
唐突に、何を当たり前なことを? 言ったの? と、新島の言葉に疑問を抱いた住良木は、首を傾げた。
「できる事は限られます。自分の無力さに苛まれても仕方ないことです」
「私は――」
「私にも若い時、除霊などをしていた時期がありました。除霊だけでなく、土地の浄化などもしていました。今は、こんななりですが、若い時は、神童と呼ばれていた時期がありました」
新島の言葉は続く。
「――ですが、神霊や強力な悪霊、悪神や邪神などに対しては、私ではどうにもできませんでした」
「新島殿……」
「神社庁でも最高の力を持つ神薙の方と比べるのもおこがましいと思っていますが、当時の私は自身には出来ないことは無いと自惚れていました。――それだけ回りが見えていなかったのでしょう。本当に強い力を持つ者と会わない限り」
「……」
「もう一度言います。我々は人間なのです。できることには限りがあります。それに悲嘆し悲観に暮れて自身を虐めても何もなりません」
「――では、新島殿は、現実に――、自分の力では、どうしようもできない相手と出会った時にどうしたのですか?」
「逃げました」
「――え?」
「ですから、私は逃げました。恐怖から逃亡の一択以外を選ぶ事はできませんでした。大抵の人間はそうです。――いえ。全ての人間は生存本能から、強大過ぎる相手と出会った時、逃げの一手しか取れません」
「それは……、神薙として――」
「神薙だからこそ、死んではいけない……逃亡するというのも手の一つだと私は思います。たしかに、住良木殿の報告書を見て察する部分はあります。あの桂木優斗という少年。彼は、神の力を手に入れた稀有な存在です」
「――そ、それは……」
「ですから、人の領域を逸脱した者同士の戦いと、自分自身を比較するのは止した方がいいです。私も、桂木優斗殿という少年の戦いを見ましたが、彼は……、おそらく普通の神ではなく、邪神の類を体に取り込んだと私は見ています」
「――ッ!」
住良木は唇を噛みしめる。
彼女は、桂木優斗の戦いを近くで見ていたからこそ気が付くことが出来た。
そして、新島が想像している内容が違うことも理解できていた。
ただ……、その間違いを指摘するのは間違っているのであろうとも理解できた。
「(桂木殿が、戦っていた時に私は初めて間近でその戦闘を見た。彼は、おそらくだけど神の力を有してはいない。だって、神の力――、神力の動きがまったくなかった。それだけじゃない……。霊力や妖力すら彼の体からは零れていなかった……。――でも、そのことを神社庁に伝えるべきか……。ううん、伝えたら駄目な気がする)」
心の中で葛藤しつつ、悲痛な表情をしたまま頷く住良木。
そんな彼女の様子を見て――、
「最近、住良木殿が根を詰め過ぎていると、他の霊能力者も心配しています。あまり、無理はされないでください」
「ご心配おかけします」
頭を下げる住良木。
そんな彼女を見て満足したのか新島は一人、商工会議所の屋上を去った。
そして――、一人、屋上に取り残された住良木。
その表情は、険しい顔つきをしていた。
「桂木優斗、彼には説明がつかない謎な部分が多すぎるわ」
ここ数日、ずっと考えていたことが、住良木の口から無意識に零れ落ちた。
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