第604話 第三者視点

 桂木優斗が、千葉県警察本部で神谷から忠告を受けていた時よりも時間は数時間前に遡る。

 場所は、銚子市の犬吠埼灯台から太平洋側に10キロの地点の深海を流線型の船体が――、潜水艦が深海を移動していた。

 潜水艦「ゲネラリシムス・スボロフ」、それは2022年に就役したばかりの潜水艦であり、大陸間弾道ミサイルを16基搭載することが可能なロシア海軍の最新型原子力弾道ミサイル潜水艦であった。

 そんな艦内は、現在、緊張感に包まれていた。


「まったく――、この私をたかが一人の人間の抹殺の為に駆り出すとはどういう了見なのか」


 灰色の髪の男は、潜水艦艦内の操舵室で呟いた。

 その声は小さくごく僅か――、唇が動くほどであり、誰も聞くことが出来ないほどの声量であったが、管内の男の近くに立っていた兵士たちはビクリ! と、体を硬直させた。


「……ロシアの兵士の質も落ちたものだ」


 僅かに漏れ出た殺気に反応した兵士を一瞥することもなく男は呟く。


「そう言うな、アンドレイ。お前の殺気を少しでも感じる感性があったのなら一般人であったのなら病院に担ぎ込まれるレベルだ。体を硬直させただけで済んでいるだけでも評価するべきだろう?」


 灰色の髪の男に話しかけたのは癖のあるパンチパーマに近い赤毛の男であった。


「ゲネルログか……。作戦行動中は、コードネームで呼べと軍の規律で徹底されているはずだが?」

「堅苦しいことを言うなよ?」


 アンドレイに話しかけたのは、50代の男――、それは潜水艦「ゲネラリシムス・スボロフ」の艦長であるゲネルログ・アイハンセムであった。

 50代後半だというのに、ゲネルログ・アイハンセムは鍛え抜かれた肉体を有しており、軍服の上からでも、それは容易に確認が出来るほどに筋肉が盛り上がっていた。


「まったく――。貴様が、KGB時代の人間だと思うと頭が痛くなるな。この船の兵士たちの練度の低さもよく分かるものだ」

「相も変わらず毒舌だな? デス・グリムリーパーは。カッカッカッカッ!」


 火のついてない葉巻を口にしたまま艦長であるゲネルログは高らかに笑う。

 そんな艦長の様子に、操舵室に居た兵士から「艦長! 日本の領海に侵入していますので大声で話すのは止めてください!」と、声が上がる。


「気にするな。俺様の笑い声程度で、日本の海上自衛隊に察知されるなら、とっくに見つかっているはずだからな!」

「それはそうですが……」

「ふん。ゲネルログ、お前の部下の方が緊張感というのを持ち合わせているらしい」


 アンドレイのツッコミに肩を竦めるゲネルログは、


「それにしてもロシアのトップは何を考えて俺たちを派遣したのか……。とくに、お前さんを日本に上陸させるなんて正気とは思えんな」

「……」


 無言のまま、アンドレイは視線をゲネルログに向ける。

 その瞳には、殺気の色が見え隠れしていた。


「ゲネルログ、お前が俺と知己の中であったとしてもロシアを冒涜する発言は見過ごすことはできないぞ?」

「……分かった、わかった」


 呆れたような表情で、両手を上げて、アンドレイからの忠告を承諾するゲネルログ。

 そんな彼を見てアンドレイは手元の映像を確認する。


「(桂木優斗。年齢は16歳。神の力を有している可能性がある化け物か……)」


 映像に表示されていたのは、桂木優斗のプロフィールであった。

 そこには、桂木優斗が反物質を作り出して山を消し飛ばした衛星からの映像も映っていた。


「(ふん。アメリカお得の情報操作というやつか……)」


 そうデス・グリムリーパーであるアンドレイ・チカチーロは結論付ける。

 アンドレイは、世界をよく知っていた。

 彼は、数百人の要人を殺してきた。

 だからこそ、裏世界の事情にも精通している。


「(人が、山を吹き飛ばすことなんてできるわけがない。中国が、自国の核爆弾の制御に失敗して多くの軍事施設や自国民を殺した事は周知の事実。それに対して、16歳のティーンエージャーが関わっている可能性はゼロに近いが……)」


 まず、アンドレイは人の限界を理解していた。

 元・KGBの人間であり肉体手術や最新の生体研究により強化された男――、アンドレイの肉体は人の到達しうる限界を超えていた。

 だからこそ、アンドレイは人が人のまま至れる能力の最大値というのを理解している。


「(そもそも桂木優斗という少年は、戦場からは程遠い日本で生まれて暮らしてきた16歳の子供だ。もはやその時点で実戦経験など皆無に近い。30年近く、闇の世界に身を置き、あらゆる戦場で! あらゆる任務をこなしてきた私とは、経験は雲泥の差。さらに常人の10倍近い身体能力を持つ私では、勝負にすらならん。まったく――、ロシアの上層部は、私の才能を何だと思っているのか……。このデス・グリムリーパーを極東の島国で猿を狩るために派遣するなど人材の無駄と気が付かないのか……)」


 そう結論づけたアンドレイは、自身の能力が過小評価されているのでは? と、本国から潜水艦に乗っている間に疑問に思っていたことを思考した。


「艦長、あと、どのくらいで日本に着くのだ?」

「そうだな……。あと30分ほどとみてくれ」

「分かった……」


 アンドレイは、口角を歪める。

 一人の少年を殺すだけでは飽き足らないとばかりに邪悪な笑みを浮かべた。

 

  


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