第346話

 呆気に取られたまま、ビルの3階の事務所に通される。

 室内は事務所と言っても、棚と机と椅子、そして衣装が飾られているハンガーラックのみ。


「新しい自宅ってわけじゃないよな?」

「ここは事務所ですよ、旦那」


 答えてきた山崎は、給湯室で何やらガサゴソとしていたかと思うと炭酸水のペットボトルを1本と、水の入ったペットボトルを2本持ってくる。


「旦那、これでも――」


 山崎が放り投げてきた炭酸の入ったペットボトルを空中で受け止める。

 もう一本は、茶色のソファーで寝転がっていた伊邪那美に手渡しすると――、


「命、衣装が皺になるぞ」

「もう、むりー、つかれたーのじゃ」


 億劫そうにソファーに寝そべっていた伊邪那美は、ソファーに座り直すとペットボトルを開けては口をつけ水を飲み始める。


「桂木の旦那。座ってください」

「あ、ああ……」


 何だか、どんどんと伊邪那美が俗物化してきている気がする。

 木製のリフト式のテーブルを挟んで、伊邪那美と反対側のソファーに俺は座る。


「それにしても旦那が急遽会いたいと電話してくるなんて驚きましたよ」

「いや、俺の方が驚いているからな」


 何で神様がバンドしているんだ? と、言うツッコミを俺はまずは行いたい。


「それは、バンドの件ですか?」

「まあな……。それに――」


 俺は、山崎の後ろに立っているパンドーラへと視線を向ける。

 彼女は正確には立っているのではなく浮いていると言った方が正しいが……。


「神様が、バンドなんてしていいのか?」

「まぁ、少し入り用になってしまって――」


 答えてくる山崎に、俺は溜息をつく。

 あまり神様と人間が関わるのは良くないと神社庁からは釘を刺されていたのだが、それを伝えておいた方がいいべきか。


「入り用?」

「じつは、家を買ったんですよ。手狭になるかなと――。家族も増えそうですから」

「あー、なるほど……」


 つまり山崎は既婚者だったと。

 あれ? たしか山崎は、以前に既婚者とか言っていたか?

 内心で首を傾げる。

 コイツの家は1Kとか、そんな感じの狭い家だったはずで同棲をしているな感じはなかったはずだが……。


「つまり、結婚か何かするってことか?」

「まあ、そんな感じですね」

「そうか……。それはお目出たいな」


 ――ということは、人間同士で結婚ということか。

 

 つまり伊邪那美と山崎の間では何もないという事か。

 やれやれ――、俺も早とちりしてしまったようだ。


 さすがに神様に手を出すような真似を、山崎がするとは思えないからな。

 神社庁が注意していた事に関しても、態々、言う必要はないな。

 そうなると、蛇神についてだけ聞けばいいか。


「それで、ライブで稼いでいるってことか?」

「まぁ、当たるとは思っていたんですが、本当に当たったので金銭面的にはかなり楽になりました」

「そうか。それにしても山崎が結婚するとは思わなかったな」


 黄泉の国に出向いた時に、山崎が何かを言っていたのを俺は覚えている。

 何かトラウマのようなモノを抱えているというのは知っていたから、まさか結婚するとは――。


「結婚式はどうするんだ?」

「身内は、ほとんどいないので身内だけで粛々と行いました」

「そっか」


 今度、祝儀を渡すとしよう。

 冒険者たるもの知り合いの祝い事には、祝い金を渡すのは礼儀だからな。


「それで、桂木さんは、どのような用事で? すぐに会いたいという事は、重要な事なんですよね?」

「ああ。そこに関しては、伊邪那美に聞きたいことがある」

「妾に?」


 水をラッパ飲みしていた彼女の視線が俺に向けられてくる。


「じつは、諏訪湖の蛇神について聞きたいことがある」

「ふむ……、答えても良いが、まずはパンドーラの件について片付けるのが筋ではないのか?」

「……」


 すっかりパンドーラの件を忘れていた!


「そ、そうだな……。パンドーラ」

「何でしょうか?」

「福音の箱の中から、お前の身体を回収してくる役割は俺じゃなければ大丈夫なのか?」

「はい。力のある霊能力者なら問題ありません」

「なるほど……」


 俺は、伊邪那美の方を見る。


「それなら、いまから知り合いを呼ぶから待っていてくれ」





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