第156話

 旅館の玄関ホールは、広々とした間取りになっており、右手には小さな土産物や喫茶店のようなモノまである。

 そして左手には受付のカウンター。

 

「優斗、優斗」

「何だよ、純也」

「受付の女性! 超レベル高くね? まぁ、安倍先生よりはアレだけど……」

「お前な。そういう風に点数をつけてると、女性陣から、すごい目で見られるぞ?」


 まぁ、すでにゴミを見るような目で都や妹から純也は見られている訳だが――。

 唯一の救いは、受付の従業員と話す為に、安倍先生が離れて聞かれていなかったくらいだろう。


「お待たせ! それで、部屋割りだけど、一応貸し切りだから、全員個室にしておく?」

「俺! じゃなくて、私! 一人じゃ寝れないんで! 安倍先生と一緒が!」


 勢いよく手を上げて自身の考えを口にする純也。


「あら。そう――」


 パンパンと手を叩く安倍先生。

 すると旅館の奥から日本ザルを連れた30代の男性従業員が。


「それじゃ峯山君には、この子と同室でいいかしら?」

「人間じゃない!?」


 絶句する純也。

 さすがの俺も、この返しは予想外すぎて驚いた。

 高級そうな旅館だけあって、色々と趣向があるのかも知れないが……、俺には分からない世界だな。

 

「すごーい! 猿なんて飼っているんですか? 安倍先生」

「私じゃなくて、旅館で暮らしているのよ?」


 妹が、目をキラキラさせて猿の頭を撫でている。


「すごい。旅館で猿を飼っているなんて……」


 どうやら都も感動しているようで、猿をギュッと抱きしめている。

 

「それじゃ峯山君は、高清水旅館のマスコットの日本ザルの『後鬼』と、一緒の部屋ね」

「えーっ!」

「キキッ!」


 とても不服そうな純也と対照的に、とても喜んでいるように見える猿。

 

「良かったじゃない! 純也。すごく抱き心地がいいわよ?」

「俺が想像していたのと違う!」


 都のツッコミに、素で答える純也。


「それじゃ、後は――。桂木胡桃さんと、神楽坂さんは、一人一部屋でいいかしら?」

「胡桃は、お兄ちゃんと同じ部屋がいいです! 妹特権です!」

「胡桃ちゃん。一応、ここは旅館なのよ? しかも貸し切り! そういう我儘は駄目よ?」

「都さんが、まともな事を言っているの……」

「胡桃ちゃんには、普段の私はどう見えているのかしら? とりあえず、同衾していいのは将来を誓った男女だけ! そうよね! 優斗!」

「いや、俺は一人部屋でいいから」


 旅館貸し切りを、安倍先生がしてくれたって事は勉強に集中する為だろうに。

 その好意を無駄にする訳にはいかない。

 すると一人で勉強をする時間も必要だろう。


「えーっ!」


 とても不服そうな都。


「お兄ちゃんっ!?」


 そして、妹も不服そうな声を上げる。


「それでは、全員、別々の部屋ってことでいいかしら?」

「安倍先生! 出来れば! 胡桃とお兄ちゃんの部屋は隣同士にしてほしいの!」

「私も、私も!」

「――わ、わかったわ……」


 部屋割りも何とか決まり、旅館の女性に案内されたのは2階の一室。

 部屋には一つ一つ名前が付けられている。

 

「幽玄の間ね」

「ここは、由緒正しい部屋になります」

「そうなのか?」

「はい、以前は棋院が利用していた事もあります。そのため、幽玄の間という名前になっています」

「ほー。棋院って言うと将棋とか囲碁とか?」


 コクリと頷く女性。

 それにしても……、この女性、どこか浮世離れしているような雰囲気があるが……、まあ気のせいだよな。


 部屋の中に通されると、20畳ほどの大部屋。

 家電も一式揃っていて、室内には掛け軸などが飾られ調和がとれた作りになっている。

 外の景色が見える広縁には、マッサージチェアが置かれており、窓からは畑を一望することができる作りになっていた。

 

「景色はいいな」

「はい。こちらの部屋は人気がありますので。それでは、お食事の時間までごゆっくりとしてください」


 従業員が、部屋から出ていったあとは、俺はマッサージチェアに座り電気を入れる。


「おお、最新のマッサージチェアか……」


 家電量販店で見かけたことはあったが50万円近くするモノと言う事もあり、到底、手が出せるモノではなかった。


「それにしても安倍先生は、かなりお金持ちの生まれなのか?」


 それにしても、こんな旅館を貸し切りにしてくれるなんて、良い人である事には違いない。

 

「優斗!」


 扉をノックせずに入ってくる都。


「どうかしたのか?」

「牧場に行かない? 安倍先生が近くの牧場を案内してくれるって!」

「いや、俺は行かない」

「どうして?」

「いま、マッサージ中だから」

「優斗」

「何だよ……」

「巨乳先生の指導という雑誌の写真がここにあります。これを安倍先生に見せたら――」

「行きます! 全力で、行かせて頂きます!」


 すまないな、マッサージチェア。

 俺は、少し出かけてくるぞ。

 

「それじゃ優斗、行きましょう」

「お、おう……」


 



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