第95話

 薄暗い闇の中――、掻き消えそうな意識の中で、私は誰かと約束した。

 それは何なのか思い出せない。

 だけど……大事なことな気がする。


 ――ゆっくりと、私の意識はハッキリとしてくる。


 それと共に、眩しいという感覚から、私は瞼を開けた。


「ここは……」

「綾子!」

「……お、おとう……さん?」

「良かった! 無事で、本当に良かった!」

「え? 無事?」


 私は、お父さんの言葉に違和感を覚えながらも、回らない頭を必死に回転させ――、そして思い出す。


「お父さん! お母さんは!?」


 お母さんが危篤な状態で、病院の先生方が必死に蘇生措置をしていたのは覚えている。

 それで――、私は……。


「あれ?」


 病室から、どこかに行ったのかまでは覚えているのに、どこに行ったのかをまるで思い出せない。

 まるで、記憶が抜け落ちたかのように――、何か大切なことがあったはずなのに、それが思い出せない。


「大丈夫か? 紅さんが、お前が神隠しにあったからと連絡をくれたんだ。――で、紅さんの知りあいの霊能力者が、綾子を助けてくれたらしい」

「霊能力者……。神社庁の?」

「たぶん……な」


 歯切れの悪い言葉に――、


「お父さんも、詳しくは聞いてないの?」

「ああ。何でも神社庁に昔は所属していたが、いまは止めた凄腕の霊能力者だって話だった。だが、詳しくは、詮索はして欲しくないようだった」

「そうなの……。それで、お父さん。お母さんは……」


 絶望的で、どうにもならないという無力感に苛まれた記憶は、私の中に残っている。

 だから――、私が「お母さんは?」って、お母さんの安否を確認した時に、お父さんの表情に翳りが入ったのを私は見過ごさなかった。


「……お母さん……」


 胸が張り裂けるような痛みが、胸中を満たしていくのを感じる。

 やっぱり助からなかったという気持ちと感情が綯交ぜになる感覚。

 四肢から力が抜ける。

 それは、まるで現実味が無いみたいで――、まるで現実感がなくて……、


 もう、お母さんに会えないという絶望に呑み込まれそうになったところで病室のドアが音を立てて開く。


「聞いて!」


 ドアをガラッと勢いよく開けて入ってくる人影。

 その声は、私がよく知っている声で――、ここ数年、耳にする事が叶わなかった音。


「あなた! 私の身体は、やっぱり完治しているって!」

「恵子! 車椅子を使うようにと言われていただろう!」

「ええーっ。だって! ずっと寝たきりだったのよ? それに食事も点滴だったし……」

「え? あれ? え? えええええええーっ!?」


 どうして、寝たきりだったお母さんが、車椅子どころか松葉杖すら使わずに歩いていられるの?


「……綾ちゃん」


 私の名前を優しく口にしながら、近づいてきたお母さんはベッドの上で起きたばかりの私を優しく抱きしめてくる。

 たしかな体温。

 それは生きている証拠で――、


「お母さんなの? 本当に?」

「そうよ。綾ちゃんは、私の声を忘れてしまったのかしら?」

「ううん。そんなことない……けど……、本当に……、病が完治した……の?」

「そうよ! 治った理由は不明だけどね!」


 弾むような声で、お母さんは、私を抱きしめながら声をかけてくる。

 そこで、ようやく私は、胸の内に何かストンと落ちてくるような――、つっかえ棒が取れるような感覚を覚えて――。


「もう、綾ちゃんは、相変わらず泣き虫なのね」

「え?」


 気が付けば、私は頬に涙が伝っていた。

 それと共に感情が胸の内から湧き上がってくる。

 小学校の頃から、ずっと胸の内に仕舞っていた思い。


「お母さん、ごめんなさい……。私なんかのために――」

「もう終わったことだから大丈夫よ。そうよね? あなた」

「ああ、神社庁の人も、怪異が完全に消え去ったと言っていた。だから、もう大丈夫だと」

「紅さんって女性と、凄腕の霊能者に感謝しないといけないわね。だから、綾ちゃん、もう大丈夫だから」

「うん……うん……うん……」


 私は何度も小さく、擦れた声で言葉を返しながら、子供みたく、お母さんの胸の中で泣き続けた。

 気が付けば、私は病室のベッドで寝ていた。

窓からは、夕焼けに変わった空を見る事が出来た。


「お父さん、お母さん」

「どうした?」

「どうしたの?」


 二人とも、ずっと私が起きるのを待っていてくれたみたいで、目を覚ますと、部屋の椅子に座っていた。


「ごめんなさい」

「何を謝る必要があるんだ?」


 そう、私の言葉に答えてきたのはお父さんで――、


「そうよ」

「だって、私が不治の病に罹ったから、お母さんは……」

「もう全部終わったからいいのよ?」

「でも! 10年以上も! お母さんは苦し……んだ……から……」

「まったく、この子は――」


 呆れたような声で溜息をつくお母さん。

 きっと愛想つかされてしまったのかも知れない。

 でも、その方が、罪悪感が少しでも薄まるから……。


「何を言い出すのかと言えば!」


 お母さんは、私の側まで来てベッドに腰を下ろすと、優しく抱きしめてくる。


「親はね、子供を守るためなら何でもするの。それが神様との契約でもね。そして――、それが自分の命を差し出すことが代償だったとしてもね。貴女も、母親になれば分かるわよ。だから、この話は、ここでおしまい! いいわね?」

「うん……」

「そうだな。問題は片付いたからな」


 そこまで、お父さんが話したところで、私は、お父さんにどうしても聞きたいことがあった。

  

「お父さん」

「どうした?」

「お母さんの病気って、どうやって治ったの? 神様が治してくれたの?」

「……いや、それは何と言うか……私もよくは分からん!」


 どうして、そこまで知らないことを、お父さんは自信満々に言えるのか……。


「どういうことなの? 私の記憶だと、お母さんは死にかけていた記憶が……」

「それは昨日のことだな……、医師も恵子の死亡を一度は確認した。――で、私を呼びにきて、急いで恵子の元に来たんだが……、生きていた」

「えっと……、よく分からないんだけど?」


 どういうことか、まったく分かんない!


「とりあえずだな。そのあと、綾子が神隠しで行方不明になって、そのあと、学校で色々とあって、紅さんがお前を助けてくれたようだ」

「色々って……」

「そこは企業秘密で教えてくれなかった」

「そこは聞かないと駄目なんじゃないの?」

「そうだな……」

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