②:宣言
「今度マラソンの大会に出ようと思うんだよね」
言った。言って見せた。
私の突然の宣言に、お昼ご飯を食べている最中だった皆はそろって目を丸くしていた。
無数に刺さる、視線。そこに込められた感情が図り切れず、一瞬でおでこの生え際が湿り気を帯びる。
誰かがしゃべり始めるまでの数秒にも満たない時間が、永遠にまで感じられた。
「え、どしたの急に」
一番お喋りの杏奈が、苦笑交じりに声を上げた。
それに同調するように、何人かがうんうんと首を上下させる。その反応は、未だ否定的なものか肯定的なものか判別することができず、心臓はバクバクと煩く鳴りやまない。
私は、心の中で何度も反芻して準備しておいたセリフの形に、何とか口を動かした。
「い、いや、テレビで駅伝見てたら何か目覚めたって言うか……も、もともと走るのは好きなんだよね」
「まど佳も見たんだ。あれ、凄かったよね」
思わぬところから同意の声が上がり、ギョッとする。グループの中でもリーダー格の
美優は、普段お喋りに参加してくることは少ない子だ。だけど頭がいいし、頼りになるし、何より美人だから皆から一目置かれている。その美優が私の発言に乗って来たものだから、周囲はあっという間にこの話題に興味を持ち始めた。
「あ、私も見た。何か大学生が走ってたやつだよね」
「え、え、どんなの?」
「何か山の中とか走るやつじゃない」
皆がそれぞれ、うろ覚えの知識やイメージで話題に入っていこうとする中、美優だけが変わらず私の方をじっと見続けていた。
私はなぜか尋問でもされているような気分になって、目線を逸らせずにいた。
「何キロのに出るの?」
「じ、10キロ」
その瞬間、ワッと辺りがざわめいた。
「10キロってヤバくない!?」
「まど佳って帰宅部じゃん、いやいや無理っしょ」
「どうしちゃったのまど佳!」
口々に飛び出す、驚きや疑問の声。その一つ一つに責め立てられているような気がして、冷や汗が止まらない。
「だ、大丈夫……練習とかも、始めてるし」
皆に注目されながら、私の緊張もピークに達していた。
こんな反応を期待していなかったと言えば、嘘になる。私はこうやって、皆の関心を集めたかった。
そして、私も特別になりたかった。
大会にエントリーしたのは、本当。練習をしているのも本当。
だけど、走るのなんて全然好きじゃない。家の近くを軽く一周するだけで、億劫になってすぐ止めてしまう
10キロなんて、全然走れてない。
だからこそ皆に宣言して、退路を断ってしまいたかった。じゃないとすぐに諦めてしまいそうだったから。
だけど、ここまで否定的な反応をされるとは思わなかった。自分が何かとんでもない失態を犯しているような気がして、体から熱が逃げていく。
目の前で自分を捉えている瞳に向かって、「なんてね~」とでも言いたくなる。そうすれば……そうすれば。
またいつも通りの、無価値な自分に元通り。
「まど佳ちゃん、小学生の頃走るの凄く速かったもんね」
隣から、小さくだけど声がした。すぐそばで、箸でおかずをつまんだままの美千代が、こちらを見上げていた。
いつも私の隣で小さく縮まっているだけの美千代が喋ったことに、皆が驚き一瞬の間が空く。普段の美千代だったらその静寂に耐えられず、そのまま黙って俯いてしまうはずだった。
だというのに、そこから美千代はまたグイッと顔を上げた。
「まど佳ちゃんの走る姿が見られるの、私楽しみだよ」
「美千代……」
声が出なかった。
どうして彼女は、ここまで変わることができたのだろうか。
私も何かを得ることができれば、こうやって一歩を踏み出すことができるようになるのではないか。
やっぱりそんなことを考えてしまう。
どこかから、ふっと笑い声が聞こえた。
「がんばってね、まど佳」
美優がポツリと呟くと、皆の反応も肯定的なものに変わっていった。
そうして、私のマラソン参加は周知の事実となったのである。
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