10キロよりも遠い距離
貴志
①:自覚
小学生の頃、背の高い私は学年で一番足が速かった。
休み時間に鬼ごっこをしては、体育の時間に競走しては、クラスメイト全員を地にひれ伏せさせた。
皆が私に一目を置いた。当時の私は、さながら一城の主だったのだ。
それが高学年になり、中学生になり、皆の身体が私に追い付くにつけ、我が牙城は崩壊していった。
周りの成長が止まるころには、私はもうすっかり際立つところのない一般人になり果てていた。
後に残されたのは、幼いころから何も変わらないちっぽけな自尊心。
自分が全く特別な人間でないということを、今でもまだ認められないでいる。
「賞状、中谷
体育館の壇上で華々しく賞状を受け取る美千代のことを、舞台下から口をあんぐりと開けて眺めていた私は、さぞ滑稽な姿を晒していたことだろう。
美千代は、友達だ。同じクラスの同じグループで、グループの中でもお互いが一番よく話す相手だと認識している程度には仲がいい。
彼女がよく本を読むのも、文を書くのが好きなのも、読書感想文のコンクールに応募していたことだって知っている。
だけど、まさかこんなことになるなんて。
2月も半ばに入った体育館には、換気のために開かれたドアから隙間風が吹く。それがまるで私の心の内にまで入り込んできているように、寒々しくざわついて落ち着かない、そんな気分だった。
「美千代すごいじゃん!」
「賞状めっちゃでかくてビックリしたわ」
「賞の名前、長くて覚えられなかったんだけど! なんか偉い人の名前入ってなかった!?」
教室に戻ってくるなり、美千代はまるでヒーローだった。いつものメンバーに加え、普段あまり交流のないクラスメイトまで、こぞって美千代を取り巻いた。
私は、どうしてかその輪の内に入れずにいた。
普通だったら、普段から仲のいい私が一番に祝福の言葉を掛けてしかるべしだ。周囲の様子から見ても、コンクールに応募していたことを彼女が私だけに話してくれていたのは明らかで、そのぐらい私は美千代に信頼されていということになる。
なのに、私は彼女にどう声をかけていいのか分からずにいた。
そうしていたら、人垣を分け出てきた美千代の方から私に話しかけてきた。
「まど
「え……何が」
満面の笑みでなぜかお礼を言う美千代に対し、私は困惑することしかできない。
辺りがざわつく中、誰かが美千代へと疑問を投げかけた。
「え、佐伯さんが何か関係してるの?」
「うん。まど佳ちゃんにね、コンクールに提出する前に読んでもらってアドバイスをもらったの」
美千代の発言に、周囲の関心は一気に私へと注がれる。意外そうに、不審げに、または好意的に向けられるそれらの視線を、私は気まずく受け取るだけだ。
だって、私は本当に何もしていない。
確かに、賞に出す前に美千代から受け取った原稿を読んだ。誤字脱字が無いことを確認して、読んだ感想を伝えて、後は適当に褒めたのを覚えている。
でも、そんなことは誰にでもできることだ。その程度のことを、こんなにも大衆の前で、それほどまでに恩に着られても、どう立ち振る舞っていいか見当もつかない。
こちらの困惑をよそに、美千代は熱に浮かされたような目で私の手を取り、ギュッと握りこんで、言った。
「賞を取れたのは、まど佳ちゃんのおかげだよ。いつも私の話に笑ってくれて、一緒にいてくれて……初めて友達のことを大切に思える気持ちが分かるようになったの」
美千代の告白のような発言に、周囲は沸いた。多くの歓声に囲まれて、私たちはエンドロールを迎えた主人公とヒロインのようだ。
でも私の胸中に渦巻いていたのは、断じてそのようなキラキラとした華やかな感情なんかでは無い。むしろ、目の前の光景が美千代を覗いて全て黒く塗りつぶされたかのように視界は曇り、私は動揺していた。
気付いてしまったから。
どうして私は、素直に美千代を祝福することができないのか。彼女からの好意を心地よく受け取ることができないのか。
どうして私は、彼女と友達になったのか。
それは、彼女が自分よりも劣っているという確信があったからだ。
美千代は背が低くて、運動が苦手だ。テスト順位は下から数えた方が早いぐらいで、国語以外は壊滅的。人付き合いも上手い方ではなく、まともな友達は私しかいない。
そんな美千代だから。
私は安心して彼女を見下せていたというのに。
背中から、手から、足の裏から、今まで流したことのない嫌な汗があふれ出てきているのが分かった。
人生でそう何度もある物ではない注目と喝さいの中心にいながら、私はかつてないほどまでの焦りに苛まれていた。
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