最終話 険しい道でも

「ホワイトデー、義人と礼は駅裏のレストランで食事した。

 特にプレゼントはなし、お互い、モノが欲しいわけではないからだ。

「こうしていられるの、まだ夢みたい」

 礼は微笑んで、ワインのグラスを合わせた。

 ほんのひと月前、バレンタイン前夜、礼の指文字で告白された義人は、どうしていいか分からず逃げ帰ってしまった。

「あの時はごめん」

「しょうがないですよ。ダメだろうと思ってました」

 義人も、礼を受け入れるのは無理だし、もう会わないはずだった。なのに心の奥底では求めていたのか。

 帰り道、礼は義人の顔を見ずに、

「彼女ができたら、ちゃんと話してくださいね」

「そんなこと言うなよ」

「でも、大事なことだから」

 ノンケである義人は、女性に轢かれて自分から去っていくかもしれない。礼の不安は無理もないのだ。義人は自分が男であることを承知の上で受け入れてくれているが、いつ気持ちが変わるかもしれないのだ。

「わかったよ。礼も、俺が嫌になったら、ちゃんと言えよ」

「それはありません!」

 夜道を幸い、礼が義人の腕にしがみつく。

 俺、そんなに惚れられてるのかあ。

 義人は人知れず赤面した。


 帰宅後、義人は突然、

「いつか別れると思って結婚する奴はいない」

 と口にした。

「離婚するなんて夢にも思わなかったんだ」

 婚約、入籍。葵の不機嫌さに気づく前は、ただただ幸せだった。

「ねえ義人さん。奥さんのこと、あんまり恨まないでね。きっと、事情があったんだよね」

「うん、そうなんだ」

 かつての義母に挨拶に行った時に葵が自分との結婚した理由を聞いたのだ。

「ごめんなさいね、義人さん。

 葵には三年もつきあった彼氏がいて、婚約寸前だったの。それが急に他の女に心変わりしたの。葵は大ショックを受けて。ひきこもってしまったの」

「ようやく立ち直り、見合いして結婚すると決めたのだそうだ。最初の見合い相手が義人ということだった。

「そうだったんですね」

「結婚したのが間違いだったんだ、俺もあいつも」


 彼女にとって俺は何の縁もない男だったはずなんだ。そんなのに体を許すなんて酷t辱だよな。もっと早く気づけばよかった」

 義人の肩に例が頭を載せて、

「僕、学生時代に仲のいい女の子がいたんです」

 何でも話が合って、会うたびに楽しくて、親友だと感じた。けれど彼女は礼を異性として好きだったから、付き合ってと言われて別れてしまった。

「初めから、僕はゲイだって言えばよかった。どう断ったらいいか分からなくて。他に好きな人がいると言ってしまったんです」

「そうか」

「勇気がなくて、彼女を傷つけてしまいました」

「仕方ないよ。なかなか本当のことって言えない」

 礼もある意味、加害者だったと知って、義人はなんだかほっとしていた。子供の時に犯され心に深い傷を負った、可哀そうなヤツ、俺が守ってやらなければ、なんて気持ちもあったのは事実だが。人の心は一筋縄ではいかない、心ならずも礼が振ってしまった彼女はその後、どうなったのだろう。人はみんな、傷つけあって生きていく。


 三月の末、同じマンションに空きが出た。2DKで今よりは広い、さっそく二人は見に行った。五階で見晴らしもいいし、いっぺんで気に入った。

 古いマンションなので、和室がある。

「畳かあ。ベッドはやめて、布団にしようか」

 義人はぼそっと呟いた。

 今は礼のベッドにソファベッドをくっつけて寝ているが、前の相手とここで、と思うと、ちょっとだけ嫉妬してしまう。

「部屋を広く使えちいですね」

 礼も賛成した。

 ソファベッドも捨てることにした。フローリングに大きめのクッションで十分だろう。

 同じマンション内の移動なので、少しずつ荷物を移せばいい。冷蔵庫や大きな家具は二人で運ぶ、そんな共同作業も楽しいものだった。

「引っ越し代が浮いたから、いい布団を買おう」

「はい!」

 新しい部屋での暮らしも順調に始まった。


 桜も開花し、春本番。

 義人と礼は少し遠くの公園まで散歩した。

 カップルや親子連れた楽しそうに散策している。

 離婚前は、誰もが幸せそうに見えていじけたりしたが、今はそんなことはない。ここにいる誰よりも幸せだと実感する。

 義人は、礼の手を握った。

 驚き顔で礼が見上げる。

 こんな人の多いところで、と戸惑っている。

 義人も視線を感じなかったといえば嘘になる。少し歩いたところで、礼がそっと手をほどいた。

「見られてますから」

「うん」

「でも、うれしかった」

 短い時間であっても、表で手を繋いで歩いた。義人の方から手を握ってくれた、それが礼には嬉しいのだ。


 礼を離したくはない、どこまでも共に歩いていきたい。

 これほど安らぐ相手は初めてなのだから。

 とはいえ、世間の目は厳しい。

 これからも幾多の困難が待ち受けているだろう、けして楽な道ではないのだ、と想像はつく。

 それでも礼と、この男と生きていきたいと義人は思うのだった。


(了)

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どこまでもいこう チェシャ猫亭 @bianco3

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