第7話  指が伝える

 礼の部屋でチョコ交換をすることになった。男同士で何やってんだ、だけど、葵はどうせチョコなんかくれないだろうし。

 バレンタイン直前の週末三日の三連休、いつでもいいのだが、どうしよう。

 義人はあれこれ考えた。

 金曜なら帰りが楽だが、土日は家にいることになり憂鬱だ。日曜ならスーツ着用でいけば、週明けにそれを着て出勤できる。チョコレートも買わないと、となると、バレンタイン前日かな。

 当日。午前中デパートに寄った義人は、唖然とした。

 バレンタイン前日のチョコ売り場は殺気立っていた。女性があふれかえり大混雑、とても友チョコを買いに参入できる雰囲気ではない。

「ピエール・××、完売しました」

「サン・タン××、残りわずかです」

 係員がメガホンで叫ぶたびに、売り場の熱気がエスカレートしていく。

 やっぱりムリだ、ごめん、礼くん。

 義人は、やっとのことで売り場から脱出した。そのへんのコンビニに入り、適当なチョコをゲット、昼前には例の部屋にたどり着いた。


 チョコ売り場の話をすると、礼に大笑いされた。

「甘いですよ、義人さん。バレンタイン直前のチョコ売り場は避けるのが賢明です」

「そうなんだ。詳しいな」

 なんだか感心してしまう。

「先に着替えさせて」

 休日の友人宅でスーツ姿は窮屈だ。義人が脱いだそれを、礼はクローゼットに大事そうにしまった。

「おなかすいたでしょ。お昼はパスタにしました」

「へえ」

 待っていると、いい匂いがしてきた。

「茄子とリコッタチーズのトマトソースです」

「うまそう」

 義人は今朝もロクに食べていない。

 リコッタ? なんだか知らないけどおいしそうだ。

 大皿に盛られたパスタが出てきた。

 トマトソースの赤と、ほろっと崩れたチーズの白。やわらかく揚げられた茄子。牛ひき肉も入っていて、見た目も大満足だ。

 赤ワインで乾杯し、さっそく頬張る。

「うま!」

 義人は夢中で食べた。嬉しそうに見守る礼。

「マジうまいよ礼くん、店やれるレベルだよ」

「えー、ほめすぎですよ。イタリアンの店で食べて、作ってみようと思っただけです」

 謙遜しながらも、礼は満更でもなさそうだ。


「はー、食った食った」

 サラダまで平らげて、義人は大満足だ。食後のコーヒーを飲みながら他愛ないおしゃべり。それだけでも楽しい。

「そうだ。チョコ交換するんだったな」

「はい、これです」

 礼から渡された立派な箱を開く。義人が知らない外国のブランドだ。

「すげー」

 高級そうなチョコが並んでいる。

「しょぼくてごめん」

 コンビニで調達した小さな包みを義人は差し出す。

 礼は嬉しそうに受け取り、

「義人さんからもらえて嬉しいです」

「ほんと悪いね、こんなすごいのもらっちゃって。まるで本命チョコ」

 義人のはしゃぎ声に、礼は少し黙ったあと、静かに言った。

「本命だから」

「ん?」

 聞き間違いだと義人は思った。

 なんて言ったんだ?

 俺が礼くんの本命? まさかね。

 二人とも黙ってしまう。と、礼がいきなり、義人の掌の上で指を動かした。

「くすぐったい」

 笑いかけて、義人はハッとした。礼の人差し指は文字を書いていた。


 す・き・で・す


 まさか。

 もう一度「すき」と書かれたところで、義人は慌てて立ち上がった。

「ごめん。今日は帰る」

 どう対応していいか分からなかった。

 礼が自分に贈ったのは本命チョコ。

「すきです」と指で綴った文字。

 義人は戸惑う。

 礼くんが俺を好き? 男の俺を?

 俺は友達のつもりだった、だけど向こうは違うのか。



 半月ほど、義人は混乱し続けた。

 もう会わない方がいいんだよなあ。会ったら、きっと期待される。友達として付き合ってくれ、と言うべきか?

 楽しかったけど、彼の気持ちには応えられない。友人のままでいられないなら、おしまいにすべきだ。

 残念だなあ、せっかく仲良くなれたのに。一緒にいて、あんなに楽しくて気楽で落ち着ける相手はいないのに。でも仕方ないよな。

 またふられちゃった、と泣いていた礼。

 女性にふられたんだと思い込んでいたが、違うのか。

 イケメンなのになあ。ゲイだってイケメンの方がもてるんだろうに、なんで「また」なんだろう。


 初対面なのに部屋に泊めてくれた。快適な一夜、心のこもった朝食。

 一緒にクリスマスをやり直した、ケーキを食べただけだが。初詣にも行った。礼は、好きな人とうまくいきますように、と祈ったと。好きになってはいけない相手、あれは俺のこと? 確かに俺、人夫ひとづまだけどさあ。

 とっくに破綻してても不思議じゃない夫婦、どちらかが言い出せば、即壊れてしまいそうな脆い関係。

 葵は俺のベッドを鉄格子窓の部屋に移した。隣は窓のない、部屋とは名ばかりの物置で、その向こうが葵の寝室だ。少しでも俺と遠い部屋にいたいのだ。家庭内別居だよ、全く。


 礼の泣き顔。礼の笑顔。コーヒーやパスタの湯気の向こうで嬉しそうにしていた礼。

 あれは、俺が好きだから?

 俺が喜ぶ姿を見たかったから?

 そう思うと胸が痛いが、どうにもならない。

 スーツ、置いてきちゃったなあ。

 あんなもん邪魔だろ、捨ててくれ。

 もう会えないよ、ごめんな。

 俺は普通の男だ、礼くんの思いには応えられないよ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る