発達障害という言葉に対してモノ申す系の作品を読んだ事への感想

@iuuuuuuuuu

第1話

『世の中にはADHDとかいうワードやら発達障害とかいうワードがあるが、そういうのはけしからん


 特に「障害」という部分がよくない!


 彼らは確かに一部劣った能力があるのかもしれない、それは企業的な利益からみれば問題とされるかもしれない、でも彼らは悪じゃないし、もしかしたら隠れた能力があるんじゃないか、そういうのを社会全体で理解してあげてもっと視野を広げてほしい、そもそも個人の能力差は千差万別だし劣った能力の人は実際は劣ってるんじゃなくてそれもまた「個性」のひとつなんだ!!』






 みたいな感じでしたが、自分は発達障害とかADHDみたいなワードの存在は許容しますね。


 まあ確かに差別的な響きありますし、実際差別的な意味で使ってる人もいるかもしれませんがそれでもです。あと、発達障碍者は「悪」ではないです。


 一部の能力的には劣等とされるかもしれないけど人としては悪じゃないよ?みたいな感じの事がかかれてましたけど、そもそも論として発達障害がどの程度の深度であろうともそれは悪たりえません。


 善だの悪だのってワードが出てくる時点で得たいの知れない反発心を覚えます。






 自分は発達障害やADHDはれっきとした「障害」だとおもいますし、発達障害やADHDといったワードが無くなり、「個性」だと置き換えられることには反対ですね。




 なぜなら「障害」だからこそ福祉の対象になりますし、「障害」だからこそ周囲の人間はその人に配慮して物事を進めやすくなるからです。乱暴な言いかたですけど「この人発達障害らしいから振る仕事は選ぶか」みたいな対処ができます。




 また、「国や社会が認める障害」だからこそ露骨、あるいは暴力的な差別から守られることになります。これも乱暴な言い方ですけど今のご時世、発達障害だからって露骨に差別したら炎上するのは本人ですよ。




 確かに能力は人それぞれ個人差はありますし、それは個性であるという論は別に間違っちゃいないとはおもいますが、かといって「君はあからさまに劣った能力だけどそれも個性だからね!障害なんてことは一切ない!」ってなったらそれはそれで問題が発生するとおもいます。




 多分ですけど、そうなったら周囲と同程度の能力を努力で取得しろみたいなことになるとおもいます。


 努力でどうこうできる事じゃないのに障害じゃない事を免罪符に努力を強要され、至らなければ怠慢だと叱責される…そんな感じの事になるんじゃないでしょうか。




 いわゆる社会が「発達障害」みたいな言葉を産み出したのは別にその人を迫害しようなんて意図があるわけではなく、ある意味その人を守るためではないか、と自分は考えます。

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