第2話 異世界の身体


手の特徴は個人によって様々だ。

肉付き、指の長さ、爪の形、みんな違う。


もし、体が別の人物に変われば、まずは手の変化に違和感を感じるはずだ。

そして鏡で確かめて確信する。



でも僕は逆だった。


手よりも先に鏡を見て驚き、手を見て自分の体ではないと確信した。

なんせ、昨日までの僕の手には頑張りの種子がないのだから。

僕は手にマメが出来るほど、物事に取り組んだことはない。


だから、これは絶対に僕の身体じゃないと、そう断言できる。


今思えば、目覚めた時からずっと違和感があった。

知らない家で目を覚ますのも、見知らぬ少女に姉だと呼ばれたのもおかしい。

僕は狭くて古いアパートで一人暮らしだし、妹も存在しない。


なのに、あの少女はまるで僕に対して家族と話すような口ぶりだった。



加えて、胸に手を乗せると、ささやかだが膨らみを感じる。

それに髪も長い。

この体は女で、恐らくさっきの少女の姉にあたるのだろう。


つまり、僕は別の誰かになっている。

現実的に考えればあり得ない。

ただ、僕はこのような不思議な現象を知っている。

映画、ドラマ、アニメで主人公がある日、知らない誰かになる。


そんな現象の名は・・・『入れ替わり』


要するに

『もしかして(私たち、俺たち)入れ替わってるぅぅ!!』である。

もしそうなら、僕の体にこの体の持ち主が入っていて、今この時もRADWIMPSの曲が流れているはずだ。


ただ、入れ替わりだと断定するのには、一つ気掛かりがある。


それは、このとがった耳だ。

この身体の耳は5センチばかり長い。

作りものって可能性も有るが、耳に触れてみると、その耳の尖ったところにも感覚がある。


尖った耳は間違いなくこの体の一部である。


僕が見たことのある人物を思いだしても、ここまで尖った耳を持つ人はいない。


そんな耳をもつのはファンタジーに登場する架空の人種、エルフだけだ・・・


エルフは長く尖った耳をもち、長寿で知識に富んでいて、魔法を使う架空の種族。


エルフが存在するこの世界はきっと異世界に違いない。


剣と魔法、魔物、勇者、魔王、多種多様な種族たち。

まるでゲームや物語の中のような世界。


そんな異世界と小さなボロアパート間で体の入れ替わりが起こるよりも、僕が死んで異世界の女エルフに転生した。そして今日、前世の記憶を思い出した──の方がよくある展開だ。ひょっとしたら、懸太郎とエルフの間にも何度か生まれ変わっていて前々前世の記憶かも知れないけれど、それは分かるはずがないし、どうでもいい。

そんなことよりも僕には異世界に転生したことが重要だ。

恥ずかしい話、僕は自分が異世界に転生したらと何度も妄想した。

大きな宿命と共に生まれ、ある程度成長すると旅にでて、その途中途中で頼もしい仲間が出来て、たぶんその旅では辛いこともあるだろうけど、仲間と協力して困難を乗り越えてゆく──そんな刺激的で充実した日々を夢にみてきた。


ただ、頬をつねると痛いから夢ではない、これは現実なのだ。


現実なら期待はしないほうがいい。

僕の知っている現実は大体裏切る。


僕の人生は期待しては裏切られて、期待したら裏切られる。

しかも期待すればするほど、裏切られたときの傷が深くなる。


だから、異世界転生と決めつけるのはまだ止めておこう。

これが異世界転生であると確信出来る情報も少ない。

それにここが本当に異世界だとしても、まずは何でもいいから情報が欲しい。


まずは・・・・この家を調べてみるか。


とりあえず、一番近くの部屋に入る。

寝ていた部屋と比べて広い部屋。この家のリビングってところか。

部屋を見渡すと家電らしいものはない。家具はただ木材を組み立てただけみたいな質素な造りだ。

他にも、ほぼ丸太に脚がついただけのような机と、その机の上には質素な食べ物が置いてある。


僕のぶんの朝ごはんだろうか。

今日のメニューは黒いパンと目玉焼きと見たことのない生野菜のサラダ。

そして全部山盛り。

ひとまず、僕は一口ずつ口に入れる。


「うーん・・・・」


パンは物凄く固い。唾液でふやかしながら食べるしかないほど固い。

さぁ気を取り直して目玉焼きとサラダはどうだろう・・・・

うん、まぁ素材はわるくない。ただ、素材の味しかしないのは減点だ。


どうやら、この世界には調味料はないようだ。せめて塩ぐらいはあっていいと思った。


でもパン作るときには塩を使うから、塩はあるとは思うのだが・・・

まさか、味付けする文化がないとかだろうか。もしかしたらここの住民は栄養がとれとけば十分と言うストイックな人たちなのかもしれない。


まぁ、でも味付けがないとはいえ、ここ最近何も食べていない僕はこの質素な朝ごはんが美味しいと思えた。


今まで失恋のショックで食事を取る気力もなかったのに、少しだけでも食べてしまうと歯止めが効かなくなってしまう。


僕にも生きようとする本能が残っていたことに驚いた。


久しぶりの食事なのに僕は全体の20%ぐらいを食べ終えた辺りで満腹になった。


「うっぷ」


なんだって味的には食べられないことはないけど、ただ元の量が多い。

こりゃあ、全部は食べきれない。


「ふぅ・・・」


完食は諦めて家の調査を再開する。

家にある部屋を見て回る。この家には物置部屋、キッチン、トイレ、風呂があった。でも、こうして部屋の殆どは見たけど、目ぼしい情報は見つけられなかった。

どの部屋も原始的な造りだから、暮らすとなるとそれなりに苦労するなぁとしか感想もない。


残りは鍵のかかった部屋と最初の寝室。

鍵なんか持っていないので、調べられる部屋は最初の部屋だけだ。


これで何か発見出来ればいいのだけれど、何もない気がしてしょうがない。

現場百回こそ捜査の基本らしいし、何かしらあるかもしれない。 

そう自分を出来るだけ前向きにさせてから最初に寝ていた部屋に入る。


ざっと部屋の中を見渡す。

特に他の部屋と一緒で異世界らしき物はない。


「しいって言うならこれぐらいか」


机の上に開いたままの分厚い本を手に取る。

何が書いてあるのだろう?

書いてあった文字を読んでみようとピントを合わせる。


「うーん・・・」 


何語だ? 


本に書かれた文字は日本語でも英語でもない──てか、僕の世界の言語ではなかった。


ん!? でもちょっと変だ。

知らない文字なのに意味は理解できるし読める。

あまりにも不思議な感覚だったので、見たまんま開いていたページを声に出して読んだ。

いや、読んでしまった。


「えーと、苦悩を溜し神よ、今こそ解放せよ。我、恵みの風を望む──『ブレイクウィンド』・・・・」


読み終えた瞬間、空気が足元に集まって来るのを感じる。

一瞬、空気の動きが止まるのを感じたら、風が下から上へと勢いよく吹き上がった。


下からの突風で履いていたワンピース調のパジャマが盛大にめくれ、風が天井を叩く。


ここにきて得た重大な情報は二つだ。


一つはこの世界は魔法が実在する異世界であること。

二つ目は異世界のエルフもパンツを履くってことだ。

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