第4話 終末戦争(ラグナロク)

「なんでだよおおおぉぉぉっ‼」


 夜の街を、俺は駆け抜ける。先ほどまで感じていた涼しさはすっかり消え去り、身体が熱気で包まれていく。額から滴る汗は、走りからくる振動によって飛び散り、眼鏡を汚す。すでに足は限界を迎えており、尋常ではない痛みが生じてくる。


 普段歩いている道であるため気付かなかったが、この高校から最寄り駅までのルートは、どうも走りにくい。無駄にデザインが凝られているからか、細かな段差が目立つ。


 それにしても熱い。このままでは溶けてしまいそうである。


「対象ヲ確認。閃光ノ雷ミョルニルヲ召喚」


 冷徹な声が、俺の背後で発せられる。


 ちらりと後ろを振り向くと、俺の目に、浮遊する黄色い光の球がの姿が飛び込んでくる。球体の輪郭には、電撃がビリビリと生じている。


 逃げることに集中しつつ、目を凝らし、光の中を観察していく。すると、球体の中に、人影のようなものが確認できる。その影は、どうやら女性のものらしい。小柄な身体と、短めな髪を捉えることができる。


「あれはなんなんですかっ⁉」


 俺は、自分の左側を走る立花に、話しかける。


「詳しいことはあとっ! って、この台詞一回言ってみたかったんだよね!」


 何故こんなにも呑気なのだろうか。というか、彼女は光球の正体を知っているのだろうか? 何故他に人がいないのに、彼女だけはここにいるのだろうか? 色々と疑問はあるが、息切れがひどく、それを声にする余裕がない。


「雷ヨ、光トトモニ」


 光球からまた声が聞こえる。そして、その言葉に呼応するように、俺と立花の数メートル先に、雷が落ちる。


「おいおいおいおい」


 叫びながら、ギリギリのところで走りを止める。雷の落ちたアスファルトには、真っ黒に焦げた跡が残っている。こんなものが当たったら、ひとたまりもねぇな。


「閃光ノ雷ヨ、我ニ大蛇ヲ砕ク雷ノ力ヲ授ケヨ」


 今までよりも強く大きい声が、夜の暗闇に響き渡る。


 光球の方へと視線を向ける。その中に見える人影は、ハンマーのようなものを握りしめた右腕を振り上げる。その動作とともに、ハンマーは光りだす。


 明らかにやべぇ雰囲気だ。現在どんな状況に陥っているのか皆目見当もつかないが、とりあえずここに立ち止まっているのが、危険だということだけは分かる。


 俺は藁にもすがる思いで、立花の方へ振り向く。


「どうします? このままじゃ危険ですよっ‼」


 緊張、いやそれよりも恐怖に近いものだろうか。真っ黒な感情が俺の心を侵食していく。


 しかし、彼女は俺と対照的に、どこかこの状況を楽しんでいるように見える。


「座標ヲ認識。……発動」


 光の塊は、無慈悲にそのように告げる。その冷たい言葉と同時に、人影は力強く、右手に握られたハンマーを振り下ろす。すると、俺と立花の頭上に、もう一つの光球が出現。凄まじい轟音と閃光に、当たり一面が吞まれていく。


「立花さんっ‼」


 足がすくむ。身体が動かない。生まれて初めて経験する非現実的な現象は、恐怖そのものでしかない。何かに頼りたい。力を借りたい。そんな思いが、脳内をぐるぐると渦巻いている。そしてつい、立花という存在に頼ってしまうのだ。


「――大丈夫だよ」


 そんな俺に、彼女は優しく声をかける。俺の中の恐怖をぬぐうように、緊張をほぐすように、ゆっくりと、それでいて力強く。


「さて、管理者権限発動と行きますか!」


 立花は、学校で話したときと同じような調子で、明るく言い放つ。と同時に、右腕を突き上げる。その先には、頭上の光球。


「行くよ! 火大・アグニ!」


 立花の声に合わせ、彼女の右腕が、オレンジ色に光りだす。暖かい色が、ゆっくりと彼女を染めていく。少女の腕の先が、真夏の路上の陽炎のように、製作途中のガラス細工のように、滑らかに歪んでいく。


 そしてそこが、シャボン玉のように、半透明へと変わる。さらに、そのぼんやりとした空気が、花のような模様を形づくる。俺たちと光球との間に、美しくも大きな花が咲き、だんだんと広がっていく。


「閃光ノ……雷」


 人影を包んだ光球が、そのように告げる。すると、頭上の光球から俺たちに向け、雷の柱が出現。こちらへと解き放たれる。


 激しい衝撃と音を立て、立花のつくりだした花と、光球のつくりだした柱が、ぶつかり合う。両者の間から、火花のような、ガラスの破片のような何かが、飛び散っていく。


 立花の花が、ゆっくりと、それでいて力強く確実に、頭上の光球を包み込む。その瞬間、雷を放つ光球は、凄まじい衝撃波を放ちながら、爆散する。


「走るよ!」


 そう言い放ちながら、立花は俺を置いて走り出す。


「ちょっと、待ってくださいよ!」


 俺も、慌てて彼女の背中を追いながら、再び夜の街を駆ける。


 駅への一直線の道の途中、右に伸びる道の奥に、ボウリング場の看板が見えたあたりで、彼女はそちらへ右折。もちろん俺も、それに続く。


 どうやら、まだこの悪夢から覚めることはできないらしい。こんな状況でも走ることを強要してくるとは、本当に世知辛い世の中だ。


 世界に対する不満を思い浮かべながら、立花についていく。彼女は、ボウリング場の前に着いたあたりで、その足を止め、近くの物陰に身を潜める。少女の入った影へと、俺も進む。


 急に走るのをやめるのも、それはそれで身体に負担がかかる。息を切らしながら、彼女の近くにしゃがみ込むと、汗と痛みが一気に溢れ出す。汗の匂いはしていないかと、こんなときでも異性の目を気にしてしまうのは、俺の性というものだろう。


 しかし、立花はそんなこと気にしない。勢い良く身を乗り出し、俺の目前に顔を近づける。


「……山上くん」


 先ほどまで、彼女も俺と同様に、街を走っていたのだ。立花も息を切らしている。吐息交じりの声が、汗で濡れた首筋と相まって、意識させる。


「……君も、私と一緒に世界を救う仕事、やってみない?」


 は? このタイミングで何を言い出すかと思えば。


 つい、困惑を表情に出してしまう。すると、その様子に気付いたのか、彼女は説明を加える。


「んー。今のこの状況を踏まえて話すなら、とりあえず、光の中にいる和泉さんを助け出すのを手伝って。……こんな感じかな?」


 少しうまく伝えられない点があるのか、不安そうに伝える。


 それもあってか、正直彼女の話には現実味がない。ただ、恐らくあの光球の中にいる人影の正体が、和泉比奈である、というのは本当だろう。短い髪の毛と小柄な体型が、彼女の雰囲気を醸し出していた。


「どうする?」


 立花は、今すぐ決断しろと言わんばかりに、俺に右手を差し伸べる。


 彼女の言っていることが、すべて事実であると仮定すると、俺が彼女に協力するということは、あの光球と戦うということを意味する。


 数分前に感じた恐怖が、再び心に蔓延ってくる。ただ、それと比例するように、身体が熱を帯びてくるのが分かる。興奮しているのかもしれない。


 ずっと待っていたのだ。こんな、退屈な日常から抜け出せる、アニメ的マンガ的小説的展開を。ずっとずっとずっと。


「……連れて行ってください‼」


 立花の右手を握った瞬間、俺はオレンジの光に包まれた。

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