第3話 閃光の雷(ミョルニル)

「とりあえずは係内で、現状の報告をしていてください」


 放課後の会議室。プリティでキュアキュアなアニメが好きそうな文化祭実行委員長が、そのように告げる。すると、部屋に集められた実行委員は皆、係長や副係長に、自分の仕事の経過を報告しに行く。


 憂鬱だ。そんなことを思いながら、天井に取り付けられた蛍光灯が放つぼんやりとした淡い光を眺める。何度会議に参加しても、この空気は耐え難い。皆が一丸となって、一つのことを成し遂げようとする熱意と闘志。それが苦手なのだ。

実行委員会の面々は、この職務についてから、三か月しか経っていない。だからだろう。やる気もアイデアも満ち溢れている。一方、俺のような生徒会執行部は、そうでもない。ほとんどの生徒会メンバーは、次の夏で、もう二年も仕事をやってきたことになる。最初こそやる気があっても、ここ最近は仕事を単なる作業とみなしてしまっている。すなわち、だるい。こういうときは、話しかけるなとでも言いたげなオーラを出しつつ、隅の方でじっとする。光栄ある孤立だ。いや、それ十九世紀のイギリスの外交政策やないかい。


 ただ、仕事なのでそうもいっていられないのが現実。


 俺も自身の仕事について、直属の上司である、文化祭実行委員会総務係副係長、和泉比奈いずみひなへと報告に向かう。


「すんません、今大丈夫ですか」


 ある程度、彼女の周りから人がいなくなったタイミングで、話しかける。


「うん、大丈夫だよ」


 すると、彼女は優しい声で返答し、俺の方を向く。


「えっと……あっ、あの、係Tシャツの値段なんですけど――」


 俺は和泉さんに、前回の会議からの進展について話し始める。彼女は俺の話に合わせながら、「うん、うん」と相槌を打つ。


 和泉さんは、現在は文化祭実行委員の仕事を主にこなしているが、本来は俺と同様生徒会執行部の人間だ。うちの高校には文実の主要ポジションに、生徒会の人間を入れるという、暗黙の掟というか、そういう習わしがある。彼女がそれに選ばれたのだ。その役に値する実力があるというのも、選ばれた理由としてあるだろうが、彼女はそれ以上に、人との関係を構築するのが丁寧なのだ。俺のような、話しかけづらい丸眼鏡陰キャにも、「ありがとう」と優しく声をかけてくれたり、大きな仕事を信頼して任せてくれたりと、活発的に人と交流できる人物だ。


「――なるほど。じゃあ、それで進めてもらっちゃおうかな」


 話し終えると、和泉さんはショートカットの髪を揺らしながら、こちらを向いて小さく笑みを浮かべ、そのように返す。


「うっす」


 それに対し、俺もボソッと返事する。


「すごいなぁ、山上くん。やっぱりこの仕事には慣れているね」


 彼女が「慣れているね」などと言ってくるのは、俺が昨年の体育祭、風月杯でも似たような仕事を担当したからだろう。


「いや、流石に二回目ですからね」


 そう。別にすごくはない。さらに言えば、生徒会執行部に入ろうとしたのは俺の意思なのだ。自分から仕事を望んだ人間が、手を抜くわけにはいかない。


「だとしても、すごいよ」


 しかし、それでも彼女は俺を肯定してくれるらしい。こういう言動は、恋愛をまともにしたことのない、俺のような人間を勘違いさせかねないので、やめていただきたい。


「……あ、ありがとうございます」


 頭ではクールにそんなことを考えていても、それを口にはできない。というかする必要もない。適当に感謝を述べる。


「じゃあ、戻りますね」

「うん。また何かあったら連絡して」

「了解です」


 言い終えると、俺はそそくさと席に戻る。よくよく考えると、会議は何一つ進んでいない。今日も帰りは六時過ぎかと、電車の時間を考えていると、それを遮るように、実行委員長が声を上げた。


「では、そろそろ始めていきましょうか」


 本会議のテーマは、文化祭のスローガンについてらしい。こんなものはあってないようなもので、毎年毎年考えられてはいるものの、内容を気にするのは、運営側の人間だけ。それっぽいものを考えておけばいいのだ。しかし、ここではそう思っている人間の方が少数派らしい。コの字に長机が並んだ会議室が、一気に討論の熱気に包まれた。


「山上くん。やっぱり漢字二文字だと大変かな?」


 実行委員らの話し合いを、意識半分飛ばしながら聞いていると、和泉さんが話を振ってきた。


 花鳥祭のスローガンは、毎年漢字二文字。そして、それは文化祭Tシャツにも刺繍される。彼女はそのことを気にして、俺に質問したのだろう。


「別に、ひらがなやカタカナ、英単語なんかでも大丈夫です」


 俺は業者のおっちゃんが言っていたことをそのまま伝える。


「分かった。ありがとう」

「うっす」


 感謝の言葉を述べ、彼女は討論へと戻っていく。


 正直、こういう多くの人が聞いている状況で、話を振らないでいただきたい。会議に出席しておいて、このような不満を漏らすのもどうかと思ったが、そうはいっても苦手なものは苦手なのだ。ただでさえ異性との会話は慣れていないのだ。にも関わらず、それを他人に聞かれているとなれば、自分の話し方や視線、態度なんかを気にしてしまって、まともに話すことができない。


 とりあえず、これ以上話を振られないよう、身を潜めよう。


  ◆  ◆  ◆


 寒い。


 会議も終わり、玄関へと向かう。ガラス張りの入り口から外を見ると、すでに暗くなっていることが分かる。春が始まったと言っても、日の落ちた四月はまだまだ涼しい。俺は、学ランの第一ボタンを留め直し、上履きから靴へと履き替える。靴底が冷たい。テンションを下げつつも、ようやく帰宅できるという喜びを糧に、ドアへと進み、外に出る。


 静かだ。俺が生徒会の仕事をサボったことについて、顧問から説教されている間に、先ほどの会議のメンバーは皆、すでに帰路に着いてしまったらしい。本当に音がない。


 何もない世界が、俺の傷をえぐる。特に傷つくような人生は送っていない。いや、傷つきもしない人生だからこそ、逆に痛むのかもしれない。


 人との関係を築くのが、怖い。人間関係のトラブルや面倒ごとに巻き込まれたり、そうならないように周りに合わせながら生活したりすることに、疲れてしまったのだ。だから、無理に人と関わろうとするのはやめよう。そう、自分の中で判断し、自分から選んだ。そう、自分で選択したのだ。それなのに、俺はその生き方すらも拒絶する。


 何も起きない、平穏な日常を過ごすのも嫌。人との関係に悩みながら、トラブルに巻き込まれないように気を遣って生きるのも嫌。どちらも中途半端に嫌っている。そんなことを考えている自分が、情けない。にも関わらず、こんなふうに考えてしまっているのは、自分のせいではなく、世界のせいだ。そう、心の中で考えている。俺は、身勝手に世界を恨んでいる。自分の思い通りになってくれない、この世界を。そんなこと、無意味なことだと分かっているのに。


 それにしても、不気味なほど静かだ。


 とぼとぼと、玄関から校門までの道のりを進んできたものの、その間何一つ音がしなかった。風の吹く音や、木々の揺れる音といった、自然が発する音は存在している。ただ、モノや道具が出す無機質な音、人同士の話し声といった、人の存在を示す音がまったくもって聞こえない。


 気になり、校舎へと視線を移す。いくら帰るのが遅くなったと言っても、誰一人校内にいないはずがない。現に明かりのついている教室も、いくらか確認できる。しかし、人の気配がまるでない。


 校庭にも、普段ならまだ練習をしている野球部やサッカー部の姿があるはずなのだけれど、しれもない。竜次がよく助っ人として駆り出されているラグビー部もいない。


「山上くんっ! 危ないっ!」


 困惑している俺の名を、誰かが叫んだその瞬間、黄色に光る雷が、身体の右側へと落ちてくる。まるで、アニメに出てくるレールガンのように、凄まじい。


 轟音の鳴り響く中、俺は名前を叫んだ人間の方へと視線を向ける。


 そこには、立花瑞希の姿があった。

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