第2話 災いの枝(レーヴァテイン)
ひどい目に遭った。
昼休み。生徒会室から教室に戻る途中、俺は朝の出来事を思い出していた。俺とぶつかったあと、例の女は緑山の居場所を聞き出し、彼の方へと向かっていってしまった。彼女と緑山の関係は分からなかったが、この時期にあいつを訪ねてきたということは、恐らく文化祭関連であろう。あいつは文化祭実行委員会の中で、放送係の副係長を務めている。そこで、文化祭当日に行われるラジオ放送のタイムテーブルをつくらされているらしく、先日も自分の予定を緑山に伝えに来る生徒が何人かいた。文化祭についての話なら、あんなにもスピードを出す必要はなかっただろう。とほほ……。
今日はついていない日であるらしく、先ほどまで生徒会だけで行われていた定例会でも、サボっていた仕事がばれてしまい、散々だ。いや、これは俺が百悪いんだけどもね。
大半の生徒は呑気に学校生活を送っているが、一部の生徒は、お陰と張りつめた雰囲気に覆われていた。原因は、開催を二か月後に控えた本校の文化祭、花鳥祭の準備にあるだろう。文化祭の準備など、ほとんどは例年のやり方を真似していれば済むのだが、やることが決まっているからと言って楽かと言われればそうでもない。かくいう俺も、生徒会として文実の仕事を手伝わされており、全生徒分の文化祭ポロシャツや、係別に柄の異なるTシャツの製作をしなければならない。そのため、業者と連絡を取ったり、集金をしたりと、それなりに大変だったりする。
「山上氏」
俺の憂鬱を晴らすように、ある男が声をかけてきた。
突然のことで驚きながらも、声の主の方を見ると、そこには見覚えのある寝癖アフロ男の姿があった。
「こんなところでなにしとるん?」
現在、場所は二階廊下。俺たちの教室は三階にあるため、昼休みに二階にいる奴は、何か用がある奴、と判断できるというわけだ。ちなみにこいつは関西人ではない。
「まぁ、生徒会だな」
今の時期、生徒会の仕事も、文化祭実行委員の仕事も混同している状況あり、多少返答に困ったが、この男には今の返答で十分である。
「また仕事かよ。ほんと社畜やな」
ねぎらいの言葉をもらってしまった。しかし、この男はそれを本心から言うほど温かくない。
「文化祭とか、誰も期待しとらんやろ」
そう、この男にはこういう男である。周囲に対して素直というか、興味がないというか。とにかく冷たい男なのだ。ただ、このキャラが周りから受け入れられているのも事実。こいつは自由奔放に生きながらも、それなりに周りのことも考えているから、憎みきれない。
「まぁ、そうはいっても仕事なんでね」
一応返答してみるも、どうやらこの話を深堀するつもりはないらしい。相槌を打ちはしているものの、特に次の言葉はない。
「そうだ。読ませてくれよ、竜次の小説」
こいつは、一応小説を書いているらしい。あくまで「らしい」だ。というのも。俺は竜次の小説を読んだことがない。というか、恐らく他人には読ませていないのだろう。
「いや、出版してからやな」
今回も軽くあしらわれてしまった。
「てか、あんたは書いているん?」
「いやぁ、スランプなんだよ、スランプ」
「スランプになるほど考えとらんやろ」
ごもっともである。スランプになるほど、俺は小説を書いていない。小説家のような、何か特別な存在になりたいという漠然とした願望、自分でストーリーをつくりたいという欲望、それはある。逆に言うとそれしかない。それしかないのだ。自分のためだけに小説を書こうとする、自己満足な人間に、良い小説など書けるわけがない。
「まぁまぁ、俺の話は置いておきましょう」
「なんやそれ」
「お前の小説の話を聞かせろって」
無理やり話題をすり替えにかかる。
「テーマは北欧神話だったっけ?」
「テーマというか、元ネタって感じやな」
「なるほど」
北欧神話。ギリシャ神話や日本神話と並び、よく創作物のモチーフとして使われる神話だ。主神オーディンやラグナロク、ユグドラシルなんかは、北欧神話を知らない人でも聞いたことがあるだろう。俺も豊穣神フレイアの名前を使った映画を撮ったことがある。
創作する際の元ネタなんて、かっこよければ何でもいいのだ。
「すまんな、そろそろ行くわ」
近くの会議室の時計を、ドアについている窓から覗きながら、竜次はそう口にする。
「おう」
見送ると、竜次は一階へと降りていく。恐らく玄関にある自販機にでも行くのだろう。
俺も再び、教室への帰路に着く。四限が始まるまでの時間は、まだそれなりに残っている。ただ次の授業が世界史であることを考慮すると、そう言ってもいられない。あの先生、授業の開始が早いからなぁ。
などと考えていると、俺の耳に不吉な音が聞こえてくる。廊下を走る音である。上履きが廊下をける音が、タッタッタッタッと鳴り響く。
朝と同様に、音の方向へと視線を向ける。
そこには朝ぶつかった、件の女の姿があった。
「おーい! 山上くん!」
またぶつかってくるのではないかと強張り、身構える。ただその心配は無用だったらしく、彼女は俺の目の前で歩みを止めた。
「いやぁ、探したよ! 山上くん」
「はぁ」
何故俺の名前を知っているのかという疑問を抱きながら、とりあえず表情で困惑を示す。すると、彼女はそれに気付いたのか、俺のもとに訪れた経緯を説明し始める。
「私、文化祭の放送係で、朝、緑山くんにはそれについての話をしに行ったんだよね。そしたら、そのとき君の仕事を手伝ってほしいって頼まれちゃってさ」
以前俺は自分の仕事、具体的にはTシャツを配布するのを手伝ってくれと、緑山に頼んだことがあった。配布の際、係ごとにTシャツを渡していくため、係の生徒を呼び出すのに、放送設備の使おうと考えていたからだ。そのとき、緑山は知り合いの生徒を手伝いに回すと言ってくれていた。恐らく、それが彼女なのだろう。
よりによってなんで女子なんだ。勘弁してくれ。緑山は俺のコミュニケーション能力の低さを理解しているはずだ。忘れてしまったのだろうか。いや、あいつのことだからわざと彼女に頼んだのだろう。ふざけやがって。
「ってことでよろしく!」
言いながら、彼女は俺を覗き込んでくる。
朝見たときからは気付いてはいたが、この女、美人である。肩にかかるかどうかのところまで伸ばされた髪は、明るい茶色をしていて、艶がある。なめらかなさらさらとした動きから、どこか大人っぽい印象も受ける。俺を直視する瞳は、パッチリと開いていて大きく、それでいて全体のバランスも整っている。
「……あの、ところでお名前は?」
そう、こいつはまだ俺に名乗っていない。まったく、礼儀のなっていない人間だ。
「あっ、そういえばまだ言ってなかったね」
彼女は体勢を整え、こちらに向き直る。
「私は
チャイムの音が鳴り始めたのと同時に、彼女は美しい声で、そう名乗った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます