第一章 幻想のリスタート

第1話 はじまり(ビフレスト)

 暑い。


 ときは四月。桜の花びらもすっかり散り切り、山は樹木によって青々と染まっている。太陽の光も中々に強く、それが雲に遮られることなく、窓から入り込んでくる。ゆえに教室、特に窓際の席は暑い。春を押しのけ、夏が訪れを感じさせる。


 うちの高校は、他校に比べて少しばかり標高が高い。そのため、太陽への距離が近いのだろう。知らんけど。


 何はともあれ、この部屋が暑いことに変わりはない。気温、室温の上昇は、苛立ちを生む。さらにはそれを通り越し、俺に憂鬱という感情を植え付けてくる。


 ただその原因のメインは、きっと暑さではない。では、なんなのか。恐らくこのクラスにあるだろう。


 上毛高校三年三組。このクラスは、俺の高校生活の中で最も居心地の悪い場となるだろう。


 第一に、知人が少なすぎる。高校一年、二年と広げてきた俺の人間関係は、三組と同じ文系クラスである四組に吸い取られ、ほとんど意味をなしていない。このクラスにおける俺の知り合い。強いて言えば、俺の前の席である緑山冬馬みどりやまとうまくらいだ。彼とは高校二年のときに同じクラスになったという経歴がある。しかしながら、関係はそこまで深いものとは言えない。学校のある平日はまあまあ話すものの、休日に会うことはほとんどないに等しい。元々山上和也やまがみかずやと緑山と、番号順にした際に席が近いから生まれた関係だ。クラス全体に顔が利くほどのコミュニケーション能力をもっている緑山と、クラスの端っこの俺とでは、根本的に釣り合わないというものである。恐らく、緑山からしても俺は、席に着いたときに暇を潰すくらいの相手という感覚なのだろう。現に、朝のホームルームまでの今の数分、彼は自分の席から離れ、廊下側の席の奴らと楽しそうに会話をしている。


 もう一つは、クラスの雰囲気だ。うちの高校は、一組から四組の普通科と、五、六組の英語科の二つに分かれており、普通科は男子しかおらず、名目上も男子校になっている。それに対し、英語科は男女共学。ちなみにちょっとばかり偏差値も高い。そのため、本来うちのクラスは男子しかいないはずなのだ。しかしながら、室内には、女子生徒の声が聞こえてくる。正確に言えば、廊下にいる女子と、教室内の男子が話しているのだ。高校三年生ともなれば、皆受験に向けて本格的な勉強を始め、ぴりっとした空気が流れると思っていたが、クラスメイトの方々は、受験よりも、六月に開催される高校生活最後の文化祭へと目を向けているらしく、そんな楽しい雰囲気もあってか、男女活発に青春を謳歌している。


 にも関わらず、俺は完全に文字を目で追うだけの作業と化した読書をしながら、クラスを眺めたり、周囲の人間の会話を聞いたりと、青春とは正反対に位置するロクでもない行動に時間を費やしていた。


「はい、皆おはよう」


 八時半。物思いにふける俺を邪魔するかのように、担任がけたたましい音を立てながらドアを開け、教室へと入ってくる。そういえば高校のドアってなんであんなにもうるさいのだろうな。公立だからか。公立だからかもしれないな。


「ホームルームするぞ」


 担任の発言を合図に、皆席へと戻る。その流れに乗るように、緑山もこちらへと向かってくる。


「おはよう、やーかー」

「お、おう」


 席に座りながら、緑山が話しかけてくる。ホームルームがすでに始まっているというのに、平気で話しかけてくる。いかにも緑山らしい言動だ。


 ちなみに「やーかー」というのは、俺の苗字である山上と、名前の和也それぞれの頭文字から生まれた、いわゆるあだ名というやつだ。特に気に入ってはいないが、あだ名で呼ぶ程度には、俺を親しい相手だと思ってくれていると考えると、少し安心する。


「――文化祭実行委員、生徒会執行部の者……といってもうちのクラスは緑山と山上だけだったか?」


 言いながら、担任はこちらへ視線を向ける。


「そうっす」


 すると、緑山が難なく相槌を打つ。


 こういうクラス内で自分、もしくは自分を含んだ数人のみにスポットライトが当たる、というか注目が集まるのは苦手である。無論、俺に話が振られているからと言って、クラスメイト全員が自分の方を見ているというのは、自意識過剰である。そう理解はしているものの、やはり緊張してしまうものなのだ。こんなときにすっと返答できる緑山は、少なくとも俺よりはコミュニケーション能力が高いのだろう。


「二人は放課後、会議室にて臨時の定例会があるらしいので、忘れずに行ってくれぇ」


 俺は、脳内で臨時なのか定例なのかどっちなんだ、とツッコミを入れながら、緑山の様子を窺う。俺は生徒会、緑山は文実ということで、最近よく一括りにされることが多い。こういうとき、彼はいつも話を振ってくる。


「そういや、今日会議があるって言っていたな」


 案の定、緑山は頭だけを後ろに向け、話しかけてくる。


「有志のイベントについて変更があるんでしたっけね」


 おっと、敬語とため口が混じってしまった。キモイ、キモイ。


「あー、有志の奴か。だっるいな」


 おいおい、そんなこと言うなよ、と言おうとも思ったが、正直だるいのは確かである。会議とは言いつつも、文化祭についての話し合いなど、所詮は出来レースだ。長い歴史の中で決まった内容を確認する程度のもの。「会議は踊る、されど進まず」というやつだ。いや、これは少し違うか。というか全然違うな。


 それに、緑山は文化祭実行委員長に、半ば強引に巻き込まれてしまったという経歴を持っている。そんな彼にやる気や情熱を求めるのは、もしかするとお門違いなのかもしれない。


「――では、号令お願いします」


 担任の声で、週番が号令をかける。すると、皆「うーっす」と気の抜けた返事をしたのち、また友人同士で集まっていく。


 時計を見ると、針は三五あたりを指していた。一限の始まりが四五分。始業まではまだ十分程度時間がある。こういう暇な時間は、ぼっち度が浮き彫りになりやすい。悲しいものである。なにより居心地が悪い。周りの席の夏島なつじま松田まつだにでも話しかけられれば時間も潰れるのだろう。しかし彼らとは緑山を通じて、一、二回話した程度の関係。急になれなれしく話しかけても困惑させてしまうだけである。まだ早い、まだ早い。


 俺は逃げるようにトイレに向かう。


  ◆  ◆  ◆


 用を足し終え、トイレから出る。幸いなことに、三組はトイレの目の前に位置しており、移動が非常に楽だ。また、昨年の工事により改装され、トイレだけはそれなりに綺麗になった。うちのクラスは、このことに関しては申し分ない。


 廊下を横断し、教室のドアに手をかける。


 すると右の方から、人の走る音が聞こえてくる。かなりスピードを出しているのか、結構な音が響いている。


「ちょっと、君っ!」


 女の子の声が、廊下に響く。どうやら走っている人間と同一人物らしい。こういうとき、誰に話しかけているのか分からないながらも、声の主を見てしまうものである。


 右の方へと視線を向けた次の瞬間、全身に衝撃が走る。


「いやぁ、ごめんね!」


 そう話すのは先ほどまで廊下を走っていたと思われる少女であろう。どうやらこけて突っ込んできたらしい。


「大丈夫?」


 そう言いながら、女は俺に右手を差し伸べる。俺が女子の手に触れられるわけがなかろう。


 彼女の行いを無視し、立ち上がる。その様子を見て、彼女は再度口を開いた。


「緑山くんって、今いるかな?」


 どうやら、青春ラブコメの冒頭ではないらしい。

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