本人が一番こわい
ごく最近、祖母は薬が変わった影響でめまいを起こして倒れたが、それ以来祖父がずっと家事全般をこなすようになってしまった。祖母はそれに甘えて、何事に対しても気力を失いつつある。我慢強かったはずが、すぐに「疲れた。」「腰が痛いから動きたくない。」などと言うようになってしまっている。その上に「めまいがして倒れたら困るから」と杖をついて歩くようになった。
この元凶は何であろうか。
恐らく、きっかけはめまいがして倒れたことであることは間違いない。だが、本人には「治る病気だ」という風に伝えていても、薬を飲んでも治らない現状、何かを始めても結局何処かで躓いてしまい、今まで通りにやることも出来ない、忘れてしまう、それ故に自分は治らないのではないのかと察し始めているのだと考えている。加えてこれは彼女自身がもし認知症を患っていなくても、自信を失っていく要因になるのではないか、と考えたのである。そして、もしそれが本当は出来ることだったとしても、仮に出来なかったら?と考えてしまい、失敗してしまったときには彼女の自尊心は大いに傷つくだろう。それでは無気力状態になっても何らおかしくはない。健常者でさえも自信を失えば無気力、無関心になってしまうこともある。自信を失い、長年やってきた主婦業をまともにこなすことも出来ず、物を忘れる自分など必要とされていない、と感じているかもしれない。だからこそ彼女はめまいで具合が悪いと言って心配されたいのだ。
忘れていくこと、出来たはずのことが出来なくなっていくこと。それはきっと、とても恐ろしいことで不安になるだろう。こればかりは本人ではない私にも家族にも想像がつかないことだ。
そこで私は考えた。「孫」という立場を利用することを。
手始めに考えたのは、子どもの頃に一緒に遊んでもらった遊びをすることだ。「退屈だから久しぶりにやろうよ。」と私は声をかけた。最初こそ抵抗されたが、始めてしまえば此方のものだ。知っていることでも、敢えて「これって何だったっけ?」と訊いてしまうのだ。認知症になっても昔のことは記憶に残っていることが多いので、当然のように「これはこうだよ。」と教えてくれる。そうしていくうちに段々と楽しくなってきたらしく、自分から「もう一度やろう。」と言ってくれるようになった。これは無気力状態よりはかなり良い状態ではないだろうか。そして、昔祖母がしてくれたように勝負には敢えて負けることもした。
そして私は認知症になった祖母のことを「ある意味かわいい」と思うことがある。勿論、馬鹿にしているわけではない。しかし、理性分野の少し薄くなった彼女は感情表現がはっきりしているのだ。楽しい時には楽しいとわかるし、別の感情の時も何となくわかったりする。それはある意味で特別なことではないだろうか。もし祖母が忘れてしまっても私は思い出として覚えていることが出来るのだから。
そしてある日、昔のアルバムを見てみようということになり、いくつもあるものを祖父に押し入れから引っ張り出してもらった。これも自信をつける作戦のひとつではあったが、見始めると「これは誰々だ。」というような話が始まり、色々と教えて貰うという状況が作り出せた。このときの彼女は昔のことを思い出しながら、楽しそうに笑って話していた。こういう時間が増えていけば、本人が快適に過ごせる時間も伸びたりするのではないかと期待している。
次の作戦は料理を教えてもらうことだが、それは年末年始に取っておきたい。
こういう風に少しずつ、自信を取り戻せるような環境作りが出来たら、きっと彼女も楽しめるし、私も嬉しいだろう。そして時々祖父も交えて、楽しく遊ぶことが出来る。私はもし彼女が、この時間を忘れてしまったとしても「楽しかった。」であるとか、「まだまだ出来るな。」というような自信を少しでも感じてくれればそれで良いのである。
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