第2話「彼氏」という生物

「お疲れ様でした」

「はい。お疲れ様」


 バイト先の店長にささっと挨拶をして、私はすいすいと店の裏口から路地にでた。コートにマフラーと結構厚着をしてきたのに、室内との寒暖差に思わず身震いする。閉めた裏口のアルミ製扉の隙間から、暖気が漏れてくるのを感じるほどだ。

 バイトでお世話になっているケーキ屋は『トライアングル』という。大学から少し離れているため、学生はあまり来ないのが気に入っている。後は変哲もないただの小さなケーキ屋だ。

 大学生になってから、ずっとこの店でバイトをさせてもらっている。時給はそれなり。一部のシーズンを除いてお客さんもそれほど多くはないから、コンビニのバイトよりかは楽なんじゃないかと思う。より一層、清潔感を保たなければいけないから、色々と手間は多いかもしれない。私の場合は、毎日髪を頭上に結ばないといけない。


 ケーキ屋が最も忙しいシーズンは既に過ぎ去っていたが、お客さんはそれなりに入っていた。最初の一年目のクリスマスを経験して以来、もうクリスマスにはシフトを入れたくないと強く思わされる。

 居心地はいいが、クリスマスはあまりに忙しい。

 ハロウィンで静かに沸き立った街の装飾は十月の末を境に全く見かけなくなり、変わって緑と赤の装飾があわてんぼうのサンタクロースのように動き始めていた。『トライアングル』でもハロウィン仕様のモンブランやカボチャケーキのポスターを剥がし、クリスマスのホールケーキを宣伝している。去年は十二月頭には予約がいっぱいになり、クリスマスに押し寄せてくるお客さんの数を考えては逃げ出したくなったものだ。


 もう一年経つのか、と時の流れの速さに驚きながらも、帰路を歩いていた。その時に、黒いジャンパーを着た男の目がこちらをちらりと見たのが分かった。見覚えのある顔だな、と思ったが興味もなかったので無視した。


「おいおい」


 その男が煽るような声をかけてきた。女連れの男だった。知っている顔だ。確か、大学に入って二か月ほどで告白してきた男だっただろうか。詳しくは覚えていない。

男は隣に連れた女をまるでぬいぐるみのように肩を掴んで抱き寄せた。今、自分の女はこいつだと見せつけるように、いや、それが目的だろう。へへ、と汚い笑い声を出していた。


「あら、久しぶりね」


 私はゆったりとして言った。女の方は目尻を少し細くして私を見る。私の知らない女だ。今夜はこんなにも寒いのに素足を外気に晒している。この男にはお似合いな馬鹿な女だ。男は、フンと薄ら笑いをして私を見た。


「聞いたぜ。また男に捨てられたんだってな。まぁ、お前みたいな女は捨てられて当然だ。いい気味だぜ」


 捨てられた? それは違う。私から振ったのだ。

あまりにもつまらなかったから、クリスマスを前に別れることにしたのだ。理由は単純でつまらなかったから、だ。

 そもそもつき合い始めた頃から、同じ学年のどこにでもいるような量産型大学生だった。無難な服装、茶髪のマッシュ頭、安っぽいリングのネックレスに、流行のスニーカー、ワイヤレスイヤホンを身に付け、趣味は筋トレと音楽鑑賞、主な移動手段はロードバイクで、そしてなにより自分をまともだと思っている。

 私にとって、付き合って二か月は見極めの期間だ。そして、その二か月で出た彼の評価は、つまらない上にろくでもない。彼氏としては無難だ。ただ、それだけだった。


「そうね。捨てられちゃった」


 否定して話をこじらせるのも面倒に思えたので、流すようにそれだけ言った。私が全く相手にしていなことに腹を立てた男が眉間に皺を寄せたが、「行きましょ」と女に袖を引っ張られ、男は苛立たしげに舌打ちをして歩いて行った。

 男はあの女を私に見せつけたかったのだろうか。それとも私とは違う女といる自分を見せつけたかったのだろうか。あのような男の性格上、恐らく後者だと思うが。


「馬鹿ばっかり」


 自然とそう呟いて、青信号が点滅する横断歩道をひょいひょいと渡る。車のライトが流れる夜の歩道をぼんやりと歩き出す。


「彼氏、ねぇ」


 一人で呟く。仕事帰りのおじさんが通りすがりにちらりとこちらを見た。「何?」と視線で返すと、「いやなんでも」というように情けない丸まった背中を見せて歩いて行った。全く活き活きとしていない、よぼよぼした歩き方をしている。あんなのは嫌だなと心底思う。


 私はよく男性から告白される。

 中学の頃から、私は度々人気のないところに呼び出され、告白を受けた。最初につき合ったのは中学二年生の頃で、名前は確か一成くんだったかしら、と当時を思い返す。


「俺たち付き合ってるじゃん」


 それが彼の口癖だった。というより、私に向けられた中でもっとも多い言葉だった。

 クラスのムードメイカーのような存在で明るく無邪気な彼だったが、私に対してはしつこく束縛をしてきた。今思えば嫌な奴だった。

 友人関係には口出しをしてくるし、休日も必ず毎日呼び出された。私はしぶしぶ彼の家に向かった。しかし、私が彼の家に行くとそこには彼の友人が来ていて、私は彼と彼の友人が遊んでいるのを見て、作り笑いをしながら眺めているだけなんて日もあった。

 呼び出しに断ることができたのは、家庭の事情が絡んだ用事があるときだけ。

 彼のわがままに付き合っている間に、元の友人との付き合いも減って、彼を中心にし た関係が増えた。とても友人とは呼べない人たちだったけれど、私が彼の彼女であるからか、当り障りのない関係でいられた。そういう意味では居心地が悪いわけでもなかったのだ。

 彼との関係は中学三年の夏まで続き、彼の浮気で幕を閉じた。この時、私は彼に捨てられたといっていいのだろう。当然のように腹が立ったし、今までの時間は何だったのだろうと思った。そんな私をよそに、彼は新しい女を連れて悪びれもなく周りに吹聴した。


「やっぱりね、大事なのは性格なんだよ。相性っていうのかな。顔ばっかりよくてもさ、うまくいかないよ。そういうもんなんだよ恋愛って」


 私は「彼氏」という生物が嫌いになった。

 それ以降、中学高校の間、私は告白を片っ端から断った。誰かの彼女にされるという体験は今後一度たりとも味わいたくないと思っていた。

 しかし、私に告白してきた男たちが、次の週には他の女のものになって幸せそうにしているのを見ると、その節操のなさに虫唾が走った。

『大事なのは性格なんだよ』

 どの口が言っている。私はほぼすべての男が私に対してそう思っているように思えた。

『顔ばっかりよくてもさ』

 うるさいなぁ。

 そして何よりも許せなかったのは、そんな節操もない下等な生物が、新しい女を連れて自分より幸せそうにしていることだった。

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