赤いきつねのおうどんフェアリー
三衣 千月
赤いきつねのおうどんフェアリー
スーパーマーケットの、インスタントコーナー。
多くの商品が並んでいる中で、彼が最も好んでいたのは赤いパッケージのきつねうどんだった。
どこが好きかと問われると難しいのだが、好きだから好きなのだというのが彼の言い分で、その日も赤いきつねを買うために空の買い物かごをぶらさげていた。
棚には、残り一つだけになった赤いきつね。
すわ、一大事と足早に棚に近づき手を伸ばす。
そこへ。
不意に重なる細い手。無遠慮にその手を重ねて掴む形になり、彼は慌てて手を引っ込める。
「きゃっ」
「あっ、すみません」
鈴のように可憐な声の主も、彼と同様に手を引いて胸の前に置く。彼の視線は、自然と声の主へ、彼女へと移り、そして目が合った。
その瞬間。あつあつふっくらのおあげさんからしみ出してくるようなじんわり温かい気持ちが彼を――
〇 〇 〇
彼を――
その続きの文が、出てこなかった。
「……ありきたりすぎるじゃないこんなの!!」
パソコンの前で頭を抱え、ぼさぼさの髪をがしがしと掻く女性――
彼女は賞に応募するための小説を書いていたが、どうにもうまく事が進まず焦っていた。締め切りは迫るが、目の前にはほぼ白紙の原稿があるばかり。
「時代は令和よ!? 残った一つのカップ麺を手に取って恋が始まるなんて……平成通り越して昭和じゃない!! こんなシチュエーションしか出てこないアタシの頭が恨めしいぃぃ!!」
「確かに捻りもコシもないのである」
「そうでしょう!? ああもう、締め切りが近いのにこれじゃあ――」
机に突っ伏して己への恨みをぷつぷつと呟いていた彼女がハッと顔をあげる。今、誰かの声が聞こえなかったか。
部屋には自分しかいないというのに。
「誰よ、いまの!?」
勢い込んで振り返ると、こんがりキツネ色に肌が仕上がったボディビルダーが腕を組んで地面から10センチくらい浮いていた。
すっぽりと狐の着ぐるみの頭部をかぶっている。鍛え上げられた体を惜しげもなくさらし、燃える情熱を体現した真っ赤なビルダーパンツをはいていた。
「私が来たからには、もう安心だとも! 悩める者に手を差し伸べるうどんの妖精、おうどんフェアリーとは私のことだ!」
「ありがとう、おうどんフェアリー!! 具体的には何をしてくれるのッ!?」
赤井翠はぐいと詰め寄り、鼻息荒くおうどんフェアリーを見上げる。予想以上の食いつきにちょっと引きぎみにフェアリーが言った。
「待て待て、待つのだ。普通ならもう少しこう、驚いたり慌てたりするものではないのか」
「うろたえて原稿が出来上がるならそうするわよ。いい? 今は締め切り前なの。おうどんフェアリーの実在も非実在もどうでもいいの。助けになるなら猫の手でも妖精の手でも借りるし、そうでないなら石油王でも大統領でも叩き出してやるからね」
ぐわと見開かれた目で詰められ、おうどんフェアリーは恐々と何度も頷く。追い詰められた人間とはこれほど真に迫るものがあるのかと初めて知った。
「私は、おうどんフェアリー。うどんに関する願いならば何でも聞き届けよう」
「じゃ締め切り延ばして」
「無理である!!」
「なんでよ! うどんも伸びるんだから締め切りだって延ばせるでしょ!? うどんに関係あるじゃない!」
「ストライクゾーンの取り方が広すぎる……」
ジト目でフェアリーを見る赤井。慌てて筋骨隆々の腕をずいと前に出して彼は言った。
「かばんからいつでも鰹節が取り出せる能力はどうだ? 本枯節だぞ」
「それであなたの頭を叩いたら、さぞや良い音が鳴るでしょうね」
「ダメであるか……」
「逆になんでイケると思ったのよそれで」
ふう、と息を吐き、おうどんフェアリーは覚悟を決めたように頷く。おうどんフェアリーとして、悩める者を放っておくことはできない。どれだけ大きな犠牲を払ったとしても、この者を救わなければならないと、そう決意した。
「これは正真正銘のとっておきであるのだが――」
「え、ちょ、ちょっと! 何やってんのッ!?」
真っ赤なビルダーパンツに手をかける仕草を見て、反射的に彼女は身構える。
おうどんフェアリーはくるりと半回転して見事に仕上がった広背筋を見せつけながら、ビルダーパンツを数センチだけ下におろして尻をくいと上げた。
一瞬の静寂。
赤井の脳内処理が追いつかず、場の空気が固まっている中で、フェアリーは渋い声で言った。
「括目せよ。これが、これこそが、我が腰、つまりはうどんのコシである。三千大千世界広しといえど、うどんのコシを目視できる幸運はそうそうあるまい!!」
「心底どうでもいいわ!!」
おうどんフェアリーの腰を目がけて平手打ち一閃。鋭く乾いた音が部屋に響き渡った。
「ふぐぉっ!! 腰の入った、良い平手打ちである……もう、お主に教えることは何もあるまい。堂々と、おうどんフェアリーを名乗るがよい……」
「主旨が変わってる!」
締め切りまで、あと数時間。
● ● ●
“締め切りまで、あと数時間――”
そう書かれた文を読み、ページをスクロールする手を止めて、嫁さまは大きく息を吐く。
「旦那さん、ほんとにこれで応募するつもりですか?」
「え、何その曇りなき冷ややかな瞳。あかんか?」
話の発端は、嫁さまの好きな赤いきつねを旦那たる自分が勝手に食べてしまったことにある。食べ物の恨みというものは怖ろしく、また根深い。覆水盆に返らず、伸びたうどんもまた元に戻らず。
頬をぷくぷくと膨らませる嫁さまは実に可愛らしいと思いつつも、それを言葉にしてしまうと事態が悪化の一途を辿ることは経験則で以てよく知っていたので、デキる旦那たる自分はグッと本音を心の奥底に押し込んで誠心誠意謝罪をした。
その後、嫁さまから出された示談の条件というものが、つまりは『「赤いきつね」「緑のたぬき」幸せしみるショートストーリーコンテスト』で賞を取ってこいというものだった。
なるほど任せろと豪語し、山盛り4ダース、各地方のものを1ダースずつ取り寄せた赤いきつね。日夜、それらの魅力を文章にすべく日に2つはずるずるとうどんをすすりあげた。
ローテーションして1ダースほど食べ終えた所で、
「買ってきたやつ嫁さまに渡したらこれで解決ちゃうの?」
と真理に気づいてしまったが、賞をとると約束してしまったのだからこれはもうしょうがない。こうして時には嫁さまと共にうどんを食べ続け、目を閉じていてもつるつる滑らかな喉ごしが想像できるようになった頃、先の構成を思いついた。
書き悩む作家の元にうどんの妖精が舞い降りてくる、というものだ。
それを書き上げ、日曜の昼、昼食がてらまずはと嫁さまに披露目を行った。
赤いきつねを並べて、つるつるとすすりながら読んでもらった結果が、あの大きなため息と冷たい視線である。
「わりとポップに書けたと思うんやけど?」
「それはいいんです。旦那さんに聞きたいのは、冒頭の部分です」
「おお、恋愛ドラマの入りみたいにしたトコな」
「あのアイデア出したの私じゃないですか! ありきたりってバッサリ切るのはひどくありませんか!」
「いやだって化石やろあんなシチュエーション」
「ベタの良さが分からないなんて、ひどい旦那さまです」
「活かせる構成に組み立てたん、褒めてくれてもええんやで」
「私に構成とかそういう小説の難しいことは分かりませんっ」
ぷいと拗ねて横を向く嫁さまのうどんに、旦那たる自分のあげをついっ、と上乗せする。
「嫁さま、嫁さま」
「なんですかもう」
「おうどんフェアリーが、嫁さまのあげさん増やしてくれた」
「またしょうもないことを……」
嫁さまの冷ややかな視線は、ふわりと柔らかいものになった。普段は、嫁さまと小説の話をすることなどほとんど無い。創作は孤独に行うものだと、個人的には思っている。それが、赤いきつね一つでこうも話題が弾むのだ。
確かに勝手にうどんを食べてしまったことは悪かったが、結果としてこうして話をする機会が増えた。禍福は糾える赤いきつねの如し。極上のつゆがしみた絡み合ったうどんのように、細く長く日々を送っていければ良い。
夫婦そろって、和やかに赤いきつねを食べた。
これは、つまるところそういう話だ。
赤いきつねのおうどんフェアリー 三衣 千月 @mitsui_10goodman
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