【短編】恋人たちときつねとたぬき

スタジオ.T

雪の夜


 引っ越しの荷物を運び終えて、なんとか二人分の布団を敷く分のスペースが出来上がった時、外はもうすっかり夜になっていた。雪がちらついていたから、今晩はかなり寒くなるかもしれない。


「疲れた疲れた。もう一歩も動けないよ」


 三咲みさきはうんざりした様子で、段ボールに突っ伏していた。まだ封も開けていない。そんな段ボールがあと二十個近くある。


 内見に来た時は随分と広いなあと思っていたリビングは、二人の荷物を合わせただけで、随分と手狭になってしまった。必要なものだけ、と決めていたはずなのに、どうしてこんなにも物であふれているのか。


 どうにも分からない。


「だめだ。終わる気がしない」


 僕が言うと、三咲も深々とうなずいた。


「もうやーめた。ご飯にしよーっと」


 準備するから荷解きよろしく、と結んでいた髪を下ろして、三咲は立ち上がった。いつの間にかウサギの顔が描いてあるスリッパを履いている。最初に友達の紹介で出会った時、割とクールな性格だと感じていた彼女は、いざふたを開けてみると、むしろ真逆で良く喋る子だった。


「そりゃあね。緊張するでしょ。初対面だし」


 女子校育ちで男っ気なかったからね、とくすくす笑いながら彼女は言った。最初のデートは映画館だった。盲導犬と少年が出てくる映画で、三咲は始終ぼろぼろに泣いていた。「涙もろいんだよ」とその時までのかしこまった敬語が取れると、せきを切ったように本来の性格を出し始めた。最初は戸惑ったけれど、そっちの方が彼女らしくて可愛いと思うようになった。背が小さい彼女は、いつも忙しそうにちょこちょこと歩いている。


「カップ麺にしよう。前に実家から送られてきたやつ」


 ビニール袋をあさりながら、三咲は言った。そうしよう、と僕は答えて、次の段ボールに手をかけた。


 同居を決めたのは、付き合ってからちょうど一年が経ってからだった。三咲が住んでいたアパートの更新期限が間近に迫っていたので、バタバタで引っ越し先を決めた。もうちょっと前もって言えば良かったと、僕は今になって後悔していた。おかげで家具が全然揃っていないし、引っ越しの業者が見つからなくて遅い時間に作業する羽目になった。


 かじかむ手をこすりながら、段ボールを解体していく。中には本が入っていたけれど、まだこの家には本棚がない。見なかったことにして、再び封を閉じた。こんなんじゃ一生かかっても終わらない気がする。


 どうにもならないと頭を抱えている間に、三咲がカップ麺を持ってきた。テーブルもまだないので、フローリングの床に容器を置いて彼女は言った。


「緑のたぬきと赤いきつね。どっちが良い?」


「どっちでも良いよ。好きなの選べば」


「私はどっちも好きなんだけど」


 と言って三咲は悩んだようにあごに手を置いた。


「じゃあ、私はこっち」


 遠慮がちに緑のたぬきを自分の前に持ってきた。


「私はたぬきにする」


「じゃ。きつねをもらう」


 いただきます、と箸を割る。ふたをめくると、湯気と共にかつおの出汁の良い匂いがした。スープをまとってきらきらしているお揚げをかじると、じゅわっと熱い汁が口の中に広がった。甘くて柔らかい。


「ああおいしい」


 顔をほころばせて、三咲がほっと息を吐いた。


「さいこうだなあ」


「うまいな」


「温かいものを食べると、温かい気持ちになるね」


「分かる」


 さっきまでの殺伐とした気持ちが、幾分かなくなっている。空腹と寒さは人間を内向きにさせる。温かいうどんをすすると、肩の力がストンと抜けていった。


「ねえねえ。一口分けてよ」


 少し食べたところで、三咲は僕に言った。赤いきつねを差し出すと、三咲は嬉しそうにうどんをすすった。


「うどんも美味しい」


「だろ」


「ねー……あ。なんか思い出してきた」


 ふと三咲は箸を止めて僕を見た。


 何を、と僕は聞いた。


「いやさ。実家にいた時、家族に良く言ってたなあって。一口分けてよってお母さんとかお父さんに」


 彼女は懐かしそうに言った。


「一人だと一つしか食べられないじゃん。でも、二人いると二つの味が食べられる」


「ああ、お得だよな」


「そうそう。それが、なんかすごく懐かしくてホッとするっていうか……」


 言葉を止めると、彼女は自分の目をおさえた。するりと落ちてきた涙に、三咲は不思議そうに首をかしげた。


「あれ。私。なんで泣いてるんだろ」


 どうかした、と聞くと、彼女は困ったような笑顔で言った。


「じんわりきちゃって。なんだろう」


「思い出し泣き?」


「うーん、あれだよ。急に温かくなると、人って泣きやすくなるんだよ」


 寒さで涙腺がカチコチになっていたんだよ、と三咲は分かるような分からないようなことを言った。鼻をすすりながら、彼女は再び箸を動かして、こくりとうなずいた。


「うん。やっぱり美味しい」


「涙もろいのは相変わらずだろ。ほら。お揚げも食べて良いよ」


「ありがとう」


 彼女は涙をふきながら、照れ臭そうに微笑んだ。今度は僕の方に、スッと緑のたぬきを差し出した。


「じゃあ。たぬきあげる。かき揚げ食べて良いよ」


 ふわふわと湯気を立てる容器を手に取る。触れた場所が、ほんのりと温かい。


「ありがとう」


 僕がお礼を言うと「どういたしまして」と笑いながら三咲は答えた。スープが染み込んだかき揚げをかじると、優しい出汁の味がした。お腹のあたりで温かいものが広がると、自然と笑みがこぼれた。


 ああ。こういうことか。


 確かに涙腺がほぐされている感じがする。人のこと言えないなと思いながら、ぐっと堪えて飲み込んだ。ここで泣いているところを見られるのは、ちょっと恥ずかしい。


 段ボールに囲まれている家らしくない家。それなのにこんなにも穏やかな気分になっていく。


 きっと、これからもっと家らしくなっていく。目の前で美味しそうにカップ麺を食べる彼女とならすごく楽しい家になるんじゃないかなと、僕は思った。


 窓の外はさっきよりも大粒の雪が、静かに降っていた。


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