事故と大切な人達
遠藤良二
事故と大切な人達
僕は昨日、車でひとをひいた。それも住宅街で。でも、夜だったのでまわりに人影はなかったはず。でも、怖いというのもあったので、処置をせずにその場から逃げ出した。
数時間後、救急車とパトカーのサイレンの音が鳴った。きっと、僕がひいたひとの件かもしれない。
これから僕はどうなるのだろう。 逃げ切れるか? それとも刑務所行きか? どちらにせよ、ひいたひとのことが気がかりだ。
それなら、いっそのこと、出頭したほうがいいのでは?
でも、刑務所にはいったら自由がなくなる。おいしいご飯も食べられなくなるし、彼女や友達にも会えなくなる。罪をつぐなうという意味では刑務所にはいって、反省すべき。
でも、彼女や友達にひとをひいたことを言ったらなんて言うだろうか。彼女とは、このまえプロポーズしたばかり。知ったら、婚約破棄になるかもしれない。それは避けたい。親や兄弟に打ち明けたら、自首しろと言うだろう。
自分で考えて決めなくては。
まずは、落ち着くために自宅のアパートにもどろう。いままでは、パチンコ屋にいて遊んでいた。
そうだ、職場に知られたら、たぶん解雇されるだろう。
かりに、自首して、刑務所から出てきても、前科者をやとってくれる会社なんてあるだろうか。
僕が思うに、被害者は飛び出して来たのが事実。三十歳くらいの男性だった。
あれからどうなっただろう? もし、亡くなっていたら僕はどうやって償えばいいのだろう。彼の遺族に何とお詫びしたらいいのか……。その時だ、スマホが鳴りビクッとなった。
もしかして……警察からか? そう思いながら出た。
「もしもし」
『あのう、境さん?
「はい。どちらさんですか?」
僕は怯えているのを自覚した。
『私、斎藤といいます。
何で知っているのだろうと思った。
「はい、ひきました」
『実はその目撃者がいまして、目撃者と被害者は夫婦なんですよ。奥さんは、訴えない代わりに示談にしようと言っています。どうしますか? 示談金は一億です』
僕は金額を聞いて驚いた。そんな額、払えるはずがない! 一生かかっても無理だ。
『もし、払えない場合は告訴すると言っています』
どちらにしろ、僕に不利な条件ばかりだ。どうしよう。告訴されたら負けると思う。
「そんなお金は持っていませんので、告訴するならして下さい」
開き直るしかなかった。仕方がないとしか言えない。
『それで本当にいいんですか? 分割で払ってもらってもいいとその奥さんは言ってましたよ』
「分割? 何回ですか? ていうか、あなたの苗字はわかりましたが、被害者とどういう関係ですか?」
斎藤さんは、電話越しで笑っているように感じた。何が可笑しいというのだろう。
『その奥さんは、境さんが死ぬまでに払ってくれればいいと言ってました。わたしは被害者の奥さんの弟です』
それを聞いて驚愕した、死ぬまでって。その奥さん、僕を苦しみのどん底に落とすつもりか! こんな話、フィアンセや家族に言えない! どう考えても借りられる額じゃないし。心配をかけるだけだ。でも、どうやって支払うお金を受け取ろうと思っているのだろう?
振り込みか? 僕の顔も見たくないのかもしれない。加害者だから。
支払い方法は分からないけれど、出来る限り払っていく様にはする。
「それとどうして、僕の連絡先を知っているんですか?」
「それは、奥さんが境さんの車のナンバーを覚えていたから、そこから探し出しました」
なるほど、確かに車のナンバーから割り出すことはできるだろう。
フィアンセと結婚したら言わなければならないだろう、それとも結婚する前に言うべきか? よくよく考えたら、車の保険で払える額だ。何故、気付かなかったのだろう。
早速、保険屋に電話をした。数回の呼び出し音で僕の担当の人に繋がった。
「もしもし、境ですー」
『あっ、どうもー。久しぶりですー』
言ってしまうしか道は無くなった。僕は逮捕されるのか? 保険屋は何て言うだろう?
そう思うと恐ろしくなってきた。言わないで逃げれば良かったかな。
担当者に電話はしたものの、僕は荷物をまとめてこの町から出ようと思った。でも、親や兄弟、フィアンセはどうする? 失いたくない人達ばかりだ。最終的に誰が大事か? それは自分自身じゃないかと思った。結局、僕は自分のことしか考えていないと思う。
でも、大切な人達だとは思っている。
ここまできたら大切なみんなに洗いざらい打ち明けたほうがいいのかもしれない。うそは付けば付くほど苦しくなるばかりだから。そして、被害者のために刑務所で罪を償うべきなのかもしれない。ひとを殺めたかどうかは確認していないからわからないが、ひとをひいてしまった事実をつたえよう。わかってほしいけれど、簡単にはいかないだろう。
保険屋の担当者には、
「ひとをひいてしまった」
と正直に言った。すると、
「警察には出頭してないですか?」
単刀直入に訊かれた。
「してません」
「それは、自首したほうが境さんの罪も軽くなりますよ」
そんなことはわかっている。
「そうですね、保険の手続きが済んだら、警察に行きます」
目の前で書類を作っている担当者は淡々と、パソコンを打っている。まるで、僕と担当者の間に境界線があるかのように感じられた。関係ないというような。確かに関係ないかもしれない。でも、この人には人情というものはないのか。仕事でやっているからそんなものか。
保険の手続きが終わり、僕はフィアンセと親、兄弟に連絡した。みんな一様に驚いていた。フィアンセは会って話したいと言ったが、自首、という決意が揺らぎそうなので、
「いまは会わないほうがいい」
と言って電話を切った。でも、また電話がかかってきた。フィアンセからだ。
『あたしたち、これからどうなるの!?』
僕は思ったことを言った。
「できれば、待っていてほしい」
『いつまで待てばいいの? ねえ! いつよ!』
「それはまだわからん。出頭してみないとな」
彼女は泣いている様子だ。
僕は、何も言えずただ黙っていた。
「手紙書くから。詳しいことが分かり次第」
『うん、待ってる。面会にも行くからね』
「わかった」
『ねえ、』
「うん?」
『明日、自首したら? 今日はあたしと一緒にいてよ』
「そうするか。いまからいくから」
そう言って出かける準備をはじめた。また、電話がかかってきた。母からだ。
『康介! どういうこと? いま、お父さんともはなしていたけど』
「さっき、はなしたとおりだ」
すこし間があいて、
『いつ自首するの?』
「明日する」
『すこしでもはやいほうがいいんじゃないの?』
「いまから、
『怜ちゃんもびっくりしてたでしょ』
僕はだまっていた。そして、怜と同様に、
「手紙書くから」
そう言って電話を切った。
支度が終わってから僕はアパートを出て、車にのった。
彼女が住んでいるアパートは隣町にあり、約一時間かかる。会えなくなることを考えると、無性に会いたくなってきた。アクセルを深く踏んだ。このひとを跳ねた車は、ボンネットがすこし浮いており、塗装も
パトカーにすれ違うこともなく、無事、怜のアパートに着いた。彼女の部屋は二階だ。二〇二号室。部屋の前に立ち、チャイムを鳴らした。中から、「はーい!」と彼女の声が聞こえてきた。元気そうだ、僕がこんなだから意気消沈しているかと思ったけれど。
「僕だけど」
そう言うと、ガチャリとドアが開いた。
「康介?」
「うん、そうだよ」
「はいって」
促されるまま僕は怜の部屋にはいった。
「大変なことになってしまった。ほんとうにすまない。この分だと今年の六月に予定していた結婚式できないな」
「……そうね」
「ごめん……。僕のせいだ」
怜は俯いていた顔を上げて言った。
「出所したら結婚式挙げればいい話じゃない」
「……そうか、ありがとな」
僕は彼女の優しさに触れて、感極まった。
その日の夜は、怜のお手製のハンバーグをご馳走になった。とても美味しかった。
彼女の手作りハンバーグは多分、刑務所から出るまで食べられないだろう。仕方ない。
僕の未来は決して明るいものとは言えないけれど、なるべく明るくなるように努力しよう。そして、明日、自首しよう。被害者のために、そして、大切な人達のために。
(終)
事故と大切な人達 遠藤良二 @endoryoji
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