episode10−2 普段へらへらしている者ほど怒らせると怖い

「それよりもだ」


 国王ゲオルグが苦悩のため息を吐く。どこか気弱なその態度は第三王子のアルブレヒトだけでなく、王太子であるヴィルヘルムとその側近アンハルトにとっても非常に珍しい威厳ある王の姿であった。


「エスター=テッヘン家から騒がせた詫びやなにか言ってくることを考えると頭が痛い。かの令嬢の王宮勤めを辞めさせるなどときたら事だぞこれは……ヴィルヘルム」

「はい。フリードリヒは静かにしているようですが」

「いまはエスター=テッヘン殿の容体第一のご様子ですからね。離宮に彼女を保護しひどい高熱で面会謝絶と報告を伝えてから、不気味なほど執務室で大人しくしています。エスター=テッヘン殿が困らぬようにと書類仕事をして」 

「兄上が?」

「はい」

「そういえば、父上。どうしてこの場に兄上がいないのですか?」


 はたと気がついてアルブレヒトは父ゲオルクに尋ねた。

 マーリカに明らかに懸想しいている、次兄のフリードリヒが一番の当事者ではないか。

 なのにまるで彼に隠れるように、こんな私的プライベート区画の応接室にこそこそ集まっているなんておかしな話だ。


「アルブレヒト、それは……」

「父上、私から説明します」

「ヴィルヘルム」

「私とて子を持つ父親です」


 いつも真面目だが、今日は一段と真面目で厳しい表情である長兄の様子に、アルブレヒトはなんだろうと思う。

 それにヴィルヘルムの言葉で、なにか思い至ったように日頃快活な印象である次兄フリードリヒ付近衛班長であるアンハルトまでが渋い表情となった。


「アルブレヒト」

「大兄上?」

「フリードリヒは、為政者で言えば暗君になりかねない気質なのだ」

「ん? なにをそんないまさら」


 なんといっても文官組織で“無能殿下”などと揶揄やゆされているのだ。

 実際、フリードリヒの補佐で振り回されてもいるアルブレヒトにとっては、皆が皆そんな深刻そうな顔でなにわかりきった話をといった感想だった。

 しかし、そんなアルブレヒトに対し、長兄ヴィルヘルムは生真面目そうな顔の目を伏せて緩く首を振った。


「お前の思う愚かさではない。そもそもあれは本人が投げ出しているだけで出来ないのとは違う。そうではなく、フリードリヒは一歩間違えれば、冷酷非道かつ残虐な王族になりうる。なにしろ良心がない」

「は?」


(なにそれなんの冗談? 兄上は破廉恥事案セクハラで訴えられるのを恐れて、マーリカを私室に連れ込んで手も出せないし、弟や家臣に叱られて謝る人だよ?)


「兄上はむしろ王族としては、良心の塊みたいなお人好しと思いますが?」

「ふむ。良心というと語弊があるな。あれは善悪の境というものを超越した感性の持ち主だ。最初にそれに気がついたのはフリードリヒが四つの時で……」


 フリードリヒが四歳の時、彼が可愛がっていた小鳥の番の片一方が病気で死んだ。彼は大いに悲しんだ。当然の反応だと周囲は思った。

 小鳥の世話を担当していた侍女は、泣いて悲しむ幼い王子に慰めの言葉をかけた。

 小鳥は病気で苦しんでいたし、それから解放されいまは安らかなのだと。

 番の小鳥もきっとほっとして、遠い空にのぼった小鳥が寂しくないよう歌っていますよと。

 離れていても一緒なので寂しくはないのです、と。


『離れていても一緒……?』

『ええ、そうですよ殿下』

『それは、番の声が空の上に聞こえるから?』

『え? ええ……そうですとも。わたくしも寂しいですがそう思うと少し寂しさも薄れます』


 侍女は一瞬、空の上まで番の小鳥の声が届くものか、嘘をつくなと言われた気がして、幼い王子を慰めるためとはいえ多少の罪悪感を覚えたらしい。

 しかし侍女の言葉をひとしきり聞いて、そうかとフリードリヒは泣き止んだ。

 ほっとした侍女だったが、すぐ恐怖のどん底に突き落とされることになる。


『声だけでない方がもっといいと思う』

『え、あの……殿下?』

『ねぇ、空の上にもう一羽をどうしたら届けてあげられる? やっぱり同じように病気にするのがいいのかな……あっ、あの番を世話していたし寂しいのだよね、やっぱり一緒の場所に行きたい?』

『ひっ……!』 


 にっこりと天使のように純真無垢な笑顔で、フリードリヒは侍女のスカートを掴んでそう尋ねた。

 だが、流石に王族に仕える侍女は気丈である。

 

『で、殿下もお寂しかったのでは……?』

『ううん。鳥の言葉はわからないけど、なにか話してて面白いなあって。でも面白くなくなっちゃったから悲しい』

『あああの……わ、わたくし……王妃様の御用がございました……っ』

『母上の? じゃあ行かないとね。あっ、誰か小鳥の病気に詳しい大人呼んできてよ』


(いやいやいや、待て待て待て! なにその恐るべき四歳児! 公務でなければ何気に満遍なくなんでもできる人だよなとは思っていたけど、普通に知能高い子供だし!) 


「大兄上……それ、子供の純粋さって残酷なんて話じゃないよね? どうして同じ病気でって発想? あと番の小鳥だけじゃなく、侍女も返答次第で空の上に送る気でしたよね……その侍女どうなったんですか」

「その日のうちに暇乞いを申し出た」

「ですよね」

「侍従長がフリードリヒの話をよくよく聞けば、離れていても一緒というのはなにか誤魔化しているように思えたと」

「兄上、たしかにそういうのは敏いな……まったく役に立ってはいないけど。それで?」

「本当は皆一緒がいいのだろうと考えたらしい。また空は広いから同じ手段でなければ、別の場所に行ってしまったら一緒にいられず気の毒だと」


 ヴィルヘルムの話を聞いて、アルブレヒトは背筋が凍りつく思いがした。

 いや実際に応接間の壁の隅にある鏡に映った自分の顔をみたら真っ青だった。

 エスター=テッヘン家の結束にもドン引きしたが、それより怖い。

 まさかあの天真爛漫で暢気な兄にそんな秘密があったとは!


「フリードリヒにとっては慈悲や憐れみだ。他にも似たようなことが色々と……」

「なにが慈悲や憐れみですか。しかも色々ってそれ真性やばい人でしょっ」

「い、いまは違う! 父上と母上と私でフリードリヒが歪まず真っ直ぐ育つように愛情深く構い、他の教育は多少疎かでよいから、社会道徳や倫理や遵法精神に関することだけは徹底的に教え込んだ。それでいまのお前が知る兄がいる!」


(兄上のあの天真爛漫な無能ぶりは、あんた達の甘やかしのせいか!)


「大兄上……そういうのって根っこはあまり変わらないと思いますよ」

「だが、実際のところフリードリヒは優しい兄だろう? 一応問題なく第二王子として社会適応できているし」

「そうですけど。ああ、でもすごく納得。兄上の感性独特すぎて時々意味不明だから」


 ここにいるアルブレヒト以外の者は、フリードリヒの気質を知っているということだろう。

 たしかにこれは厄介だと、フリードリヒについて考えアルブレヒトは思った。

 次兄の感性と発想は本当に独特なので予測がつかない。王族であるだけに暴走すると大変危険だ。


「とりあえず。狙うならマーリカでなく兄上にしてもらいたいですね」

「……アルブレヒトよ、先程余に酷いと言っておらなんだか?」

「事情を知れば別です。父上、思うに兄上のその気質って、興味関心の向いたものや執着したものにより強く発揮される傾向があるのでは?」

「その通りだ。三男の立ち回りに長けているだけあって、兄フリードリヒのことをよく知っている」

「正直、兄上がなにを考えているかなんて、あまり知りたくはないのですけれどね。マーリカは王宮勤め自体は辞める気はないと思うのですよね」

「ふむ」

「実家のエスター=テッヘン家がマーリカを連れ戻したら、マーリカの意志を尊重しなければとエスター=テッヘン家を滅ぼすとかいった方向へ走りませんか?」


 その場の全員がそれぞれ誰とも目を合わせないように黙り込んだ様子に、アルブレヒトは確信した。

 つまり。

 

(それを懸念してここに皆集まったということか! いっそ乱心王族として幽閉でもしたら万事解決では……ああでもそれもちょっとまずいか。無駄に実績上げてて民にそこそこ人気あるもんなあ)


「……提案ですが、エスター=テッヘン家に使者を送るのがいいのではないでしょうか?」

「それは考えた。しかし、かの令嬢は王族付とはいえ秘書官だ。上級官吏なら業務上の危険は承知の上。秘書官のために王家が使者を送るなどせん。そもそも使者として目的を果たせるものはここにいる者くらいであろう。余や王太子や王子が弱小伯爵家に向かうなど有り得ぬ。アンハルトも務めを考えれば無関係だ」


 なにを言い出すかと思えばと、渋面で諭してきた父親やそれに頷いている長兄に若干子供扱いされたようでアルブレヒトはむっとしたものの、この二人は基本親バカで兄バカで兄上に対し過保護だからわからないのだなと思い直す。


「見舞いや詫びに出向いて不自然ではない人ならいるではないですか。マーリカの直属の上官であり、しかも最もマーリカが王宮から去れば困る人が」


 アルブレヒトが続けた言葉に、その場の全員がはっとしたように目を見開いたが、すぐさまいやそれはだめだと言うように緩く首を振る。

 まったくわかっていないと、アルブレヒトは再び思う。

 エスター=テッヘン家がマーリカについてなにか言ってくる前と後では全然違う。そしてなにか言ってくる前に向かわせなければならないのだ。


「兄上が、あの意味不明の強運でどれだけ有り得ないことを起こしてきたと?」

「いや、しかし。アルブレヒトよ……」

「父上。生来の気質がなせる技なのでしょう。無自覚ながら、震える相手をにこやかに追い込むことにかけて兄上は天才です。たぶん怒ってると思うし、エスター=テッヘン家の親族の面目とやらへ助力させるようにすればよいのでは」


 ――その発想はなかった!


 ゲオルクも、ヴィルヘルムも、アンハルトも。

 フリードリヒをいかに大人しくさせたまま、どうやり過ごすかしか考えていなかった。また国家間の問題にならぬよう首謀者の制裁にも手出しはできないと思っていた。

 しかしアルブレヒトの言うことには一理ある。

 たしかにフリードリヒならマーリカの上官として個人の義憤とできないこともない。その上官が第二王子であるため一抹の懸念はあれど、エスター=テッヘン家経由でならなんとなく誤魔化せそうな気もする。

 常人の感性では予測のつかない危うい方向へ、フリードリヒがうっかり振り切ってしまう可能性を心配するよりはるかにましだ。


「大兄上かクリスティアン子爵が兄上に説明すればいいのですよ。“少し前に条約締結した国にいた、道理のわからない貴族の逆恨みでマーリカは酷い目に遭った。彼の国の彼女の親族がとても心を痛めている。王族ではなく上官としてお詫びも兼ねてその胸の内を聞きにいってはどうか”と」

「アルブレヒトよ……令嬢に愛でられる可愛らしげな顔をして、なんという腹黒い息子に育ったのだ」

「父上。お言葉ですが、大兄上か兄上かといった両極端を支える第三王子として育てられれば嫌でもこうなります」

「む……そ、そうか」

「それに真性の馬鹿で無能な者のために、文官として尊敬するマーリカがあのような目に遭うなど。正直腹立ちますからね」

 

 腕組みしてうんうんと首を縦に振っている、令嬢達の言葉を借りれば“あざとかわいい”仕草で、まったく可愛げのないことを言っているアルブレヒトを眺めながら、彼の父と兄と、彼を知る家臣は思った。


「はい、決定でいいですよね。じゃあ兄上への説明よろしく!」


 エスター=テッヘン家といい、フリードリヒといい、アルブレヒトといい……普段温厚そうにへらへらとしている者ほど怒らせると怖いな、と。

 

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