episode10−1 普段へらへらしている者ほど怒らせると怖い

 体が熱い、なんだか節々が痛くて動けない――。

 薄目を開けば、霞んだ視界にぼんやりと滲む金と薄紫の絹の色が見える。

 どこだここはとマーリカは思ったが、頭の奥がぐらぐらとしていて気分が悪い。

 とてもまともに頭を働かせ状況を把握し分析することなど出来る状態ではなかった。

 

(たしか実家から王都に向かっていたはず……)


 三年に一度実施される親族懇親会の場に出るため、マーリカは二週間の休暇をとった。

 エスター=テッヘン家に戻り、屋敷に集まった親族と二、三日過ごした後に、領地の温泉保養地視察という親族旅行が締めくくりであった。

 年頃の独り者を見れば、その恋愛状況を詮索し、特定の相手も想い人もないと見れば親族間での縁組や自分が目をかける者の紹介を持ちかけたがる。

 そんな年配親族に若干辟易しつつ、とはいえ悪気はないため久しぶりに本家の令嬢気分でそれなりに寛いでいた。

 親族のお節介に同じ思いを抱く、他国にいる従兄弟や再従兄弟と合流して互いに同情しあったり、上官が第二王子のフリードリヒなことについては適度にぼやかし王宮勤めの愚痴を聞いてもらったりもしていた。

 いつまでも人を幼い妹扱いしてくる、兄のような彼等に、「折角の黒真珠の如き見てくれで、いつまでも幼いことだ」「そんなに酷いなら王国など見限ってこの兄のところへおいで」などと苦笑されながら揶揄からかわれたけれど。

 「おにい様方には女性の苦労はわからないのです」と言い返せば、「本家の姫を怒らせてしまったぞ」「これは機嫌を取らねばな」と一日構われるのは、話の内容は歳と共に変わっても幼い頃から変わらない。

 年配親族達が微笑ましそうにそんなマーリカ達を眺め、もう三年経ったら彼等の中で話をまとめればいいかと勝手なことを言って縁組したい熱がやや下火になったのを見て、マーリカは予定を少し早めて王城へ帰る算段をつけた。

 帰ると決めたら、もうあの無能殿下なフリードリヒがなにかしでかしていないか、しでかす前に帰らねばと。

 父親が伯爵家の馬車で戻るよう勧めるのを、伯爵家の令嬢としてのんびり帰ることになると振り切って、温泉保養地を出る前に自ら手配した馬車に、翌早朝乗り込み王都に向けて出立したのだった。

 フリードリヒに調達を厳命されていた土産菓子も勿論忘れずに持って。


(ああ、そうだ……途中で事故に)


 きちんと町役場を通してそれなりの馬車を手配したはずが、急がせたのが悪かったのだろう。

 途中で一度馬を替えて、しばらく進んだところで、馬車の車輪が外れて御者が振り落とされ繋いだ馬が暴走した後、転倒した。

 幸か不幸か林道のそばにある湖に。

 凍っておらず浅瀬で転倒の衝撃をいくらか和らげてくれたことは幸運だったのかもしれないが、真冬の冷えた水中に馬車ごとマーリカは半身沈んで意識を失った。

 そこまで思い出し、しかしいまはどうやら立派な貴族の客間にある寝台に寝かされているらしいと、いつの間にか目を閉じていた意識の中でマーリカはどうしてと不思議に思う。


(……誰かが、助けてくれた……?)


 実家で過ごしていた間の回想半ばから、夢現だ。

 朦朧とする意識の中、あの御者は無事だろうか、破損した馬車の損害も補填しなければ……こんな事故を起こしては殿下や部下にどのような迷惑が……と実に令嬢らしからぬ仕事中毒の文官そのものなことを考えながら、マーリカの意識は再びそこで途絶えた。



 *****


 オトマルク王国、王都リントン。

 高台から栄える街を見下ろす王城の奥。

 王族の私的プライベート区画にある、普段使用されていない応接間に四人の者が集まり、無言で部屋の中央にある円卓を囲んでいた。

 一人だけ、円卓の席にはつかず一歩引いた位置に控えている。

 もしも、仮に迷い込んだ一般貴族がその部屋の扉を開け、そこに集う者達を見ればおそらく腰を抜かすか、下手すれば目を回すだろう。

 

「まずいことになったな」


 とんとんと右手の人差し指で円卓を叩きながら、そう口火を切るように呟いたのは、この国の王太子ヴィルヘルム・アグネス・フォン・オトマルク。


「だからこうして其方らを集めた」


 重々しい声音でヴィルヘルムの呟きに頷いたのは他でもない、国王ゲオルク・アンナ・フォン・オトマルクである。


「どうもただの事故ではなさそうです」


 そろりと不穏な言葉を口にしたのは、席につかづに控えていた人物だ。

 第二王子のフリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク付の近衛班長であり、ヴィルヘルム側近でもある。

 侯爵子息アンハルト・フォン・クリスティアン。

 彼の本当の肩書きが、諜報部隊第八局長であることを知るのはごく僅かな者に限られる。

 第八局は公安と対諜報を担当している。

 主に外交で目立つ功績を上げるフリードリヒを案じたヴィルヘルムが、第八局長に彼の信頼する側近のアンハルトを采配したのだった。

 クリスティアン家は武官家系で、現当主は王国騎士団総長を務めている。

 幼少期から剣技を鍛えらているアンハルトは、単純に護衛騎士としても腕の立つ男でその点でもヴィルヘルムに見込まれていた。


「“オトマルクの黒い宝石”を狙った事故・・なのは間違いありません」


 “オトマルクの黒い宝石”。第二王子付の筆頭秘書官マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘン。

 長い名前は、枝分かれた複数の親族から名を取る慣わしのためであるらしい。

 エスター=テッヘン家は王国における田舎の弱小伯爵家ながら、王国設立よりも古くから続く貴族だ。

 その家系図を正確に描き出せば、大陸地図に載る国の大半にまたがり各国の王侯貴族と遠く縁付いているといった由緒正しき家系の本家でもある。


「なんて愚かな」


 アンハルトの言葉にヴィルヘルムが顔を顰める。 

 エスター=テッヘン領から王都へ戻る途中で、マーリカが事故にあった。

 フリードリヒが彼女に執着していること、エスター=テッヘン家が周辺諸国と縁があることもあって、密かにヴィルヘルムはアンハルトに命じてマーリカに護衛をつけさせていた。

 そのため林道の途中であったがすぐに救助はされ、最も近い王家所有の離宮へマーリカは運ばれたが、馬車が転倒した場所は真冬の湖。

 怪我自体は比較的浅いものが多かったが、短くない時間、半身冷水に浸かっていた。体は冷え切って脈は弱り、かなり危ない状態であったらしい。

 幸い一命を取り留め、いまはひどい高熱で王宮から派遣された王族付きの医官が対応に当たっている。

 

「狙うなら、不肖の息子にしてもらいたいものだな」

「父上っ! それは兄上に酷くはないですか」


 いくら無能殿下と揶揄やゆされているからって……と、内心で付け加えたのは、第三王子のアルブレヒト・カロリーネ・フォン・オトマルク。

 まだ成人したてではあるものの、すぐ上の兄フリードリヒの補佐として、彼とその秘書官との関わりが深いために呼ばれた。

 二日前に、王城に事故の一報が入ってから、何故か国王である父親や王太子の長兄ヴィルヘルムがぴりぴりしていてこの場である。

 アルブレヒトにとっては、仰ぎ見るばかりな存在である大人達が集まり、彼等が一様に難しい顔をしていることに事態の深刻さを読み取って、彼は自分までが召集されたことにどきどきしていた。


(マーリカはいまやほとんど非公式な第二王子妃候補も同然、文官組織的にも痛い事態ではあるけれど。それにしたって大袈裟すぎる。やっぱりエスター=テッヘン家かなあ。複数の国に親族がそこそこの立場でいるわけだし)

 

「いや、父上の言葉は正しい。アルブレヒト」

「大兄上までっ」

「お前は誤解している。事の影響を考えてのことだ」

「マーリカの、エスター=テッヘン家の親族を考えたら国際問題事案だろうけどさ……」

「問題はそこではない」


 テーブルに両肘をついて組んだ両手に顎先を乗せ、低く呻くようにいった父親である国王ゲオルクの言葉に、えっとアルブレヒトは貴族令嬢達から“あざとかわいい”と評されている顔を傾けた。


「アンハルトよ」

「はっ、陛下」


 ゲオルクに呼びかけられ、アンハルトは控えている場所に跪いた。

 この事態はどう言い訳しても、彼の落ち度である。

 彼が命じられていたのは第二王子のフリードリヒの守護が主で、エスター=テッヘン家のマーリカ嬢には護衛をつけるといったことだけであった。

 しかし彼女になにかあれば様々な意味で影響を及ぼすこともアンハルトは知っていた。知っていながら万全ではなかった。

 

「例の鉄道利権の相手国が首謀というわけではないのだな?」

「条約締結により、利権の旨味を当て込んでいたのが外れたことを逆恨みした、彼の国の貴族による単独犯の線が濃厚です」

「ふむ、立役者の二人の内、卑劣にもか弱き女性を選んだということか」

「そのように踊らされている可能性も探りましたが、こちらの手の者からの報せでは、下手に動けば首謀とされると平静を装いつつこちらの反応を伺っている様子。可能性は低いかと」

「二日でよく調べた」

「いえ、事の始末を終えましたらどうか相応の処分を」


 王宮勤めの上級官吏が外出の際は騎士が手配されるし、私生活ではエスター=テッヘン家の護衛騎士もつく。

 相手は伯爵令嬢であるしといった配慮から、隠密護衛一人しかつけていなかった。

 強襲なら予兆を察知して防げただろうが、まさか金で筋の良くない者を雇って替え馬の際に御者を交替させ、馬車に細工する嫌がらせのようなこすい手口とは……日頃、凶悪犯罪者や暴漢、組織犯罪を相手にしている盲点を突かれた感がある。実際、単なる脅しや嫌がらせ程度のつもりだったのかもしれない。


「話の通じぬ者の犯行ではな。ヴィルヘルム、調査内容はあれに送ったか」

「はい」

「単なる脅しや嫌がらせのつもりであったなら、その貴族、むしろ気の毒ではある」

「確かに。代償が大き過ぎる」

「おりしも親族会議の直後だぞ。本家や一族の信用を失えば親族付き合いから外される。彼の国側のエスター=テッヘンの親族は面目をかけ働きかけるはずだ」


(怖っ。親族懇親会って、家族行事ってそういうこと!? 親族仲が良すぎて困るとかいった話じゃないでしょ、マーリカ!)


 ゲオルクの言葉を聞いて、アルブレヒトはようやく「問題はそこではない」の意味を知って血の気が引く思いがした。いや実際引いた。ドン引きである。

 周辺諸国に彼女の親族がいるのは知ってはいたが、父親や長兄の話ぶりから推察するに、まるで大陸における国家間の均衡を裏で保つような一族ではないか。


(なにそれ、どうしてそんな一族の本家がこの国で弱小伯爵家な位置付けなわけ? それより兄上、とんでもない相手に懸想してない? 大丈夫? マーリカの醜聞一発でこの国滅ばない?)


「個人の問題でめくじら立てる一族なら、繁栄を極めるか反発にあって滅ぶかしておる。アルブレヒト」

「父上……人の考えを勝手に読み取らないでください」

「誰かに向けて物言いたげな顔をしておるからだ。エスター=テッヘンは地味に静かに平和に続くのを良しとしている家であるゆえ、あってないような扱いで構わぬ一族。向こうもそれを望んでいる」


 つまり国家間や親族間を拗らせることさえしなければ、特別気にかける必要はないから田舎の弱小伯爵家でいる訳か、とアルブレヒトは彼の意識の忘備録に記録した。こういったのがあるから古い家系は厄介だよなと思いつつ。


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