7-7 噛みつき姫は選び取る

「な、ん……」


 なんだ、これは。

 そう発されるはずだった言葉は恐怖で張り付き、上手く言葉にならなかった。

 こんな生き物、これまで見たことがない。

 まるで複数の生き物を寄せて集めて、無理やり一つの形にしたかのような――こんな歪で気味の悪さしか感じない生き物など。

 これが一体何なのか頭が理解するのを拒否していたが、これが存在してはならない生き物だというのは直感できた。


「イツカ様、これは一体……あの生き物は、なぜ」

「あれ、見えるんですか? ……ううん、ならあいつ、この土壇場でさらに力をつけたかな。早くケリをつけないと厄介かも」


 きょとんとした顔をして、けれどすぐに顔をしかめてイツカが呟く。

 彼女は今、確かに『見えるのか』と口にした。ならば、あの生き物――イツカが怪異と呼んだ生き物は全ての人に見えるわけではないのだろう。

 そうでなければ、わざわざ『見えるのか』なんて言い回しは使わない。


「先ほども言ったでしょう。あれは怪異です。人工的に作り出されたものですが、人を害するには十分すぎる力を持ったもの。……連中は恐怖や悪意、人の負の感情を力に変えるのでフレーデガル様にも見えるくらいに力をつけたんでしょう」


 フレーデガルに答えながら、イツカが止まっていた足を動かした。

 怪異の姿が見えなくなるように、こちらの視界を遮るようにしながら。


「こいつは術者の指示に従って、フレーデガル様を害し続けていました。ですが、術者本人にも牙をむき、この騒ぎに繋がったというわけです」


 びくり。

 イツカがそういった瞬間、フレーデガルの腕の中にいるヴィヴィアが大きく両肩を跳ねさせた。

 彼女たちの間で何があったのか、その場にいなかったフレーデガルにはわからない。

 しかし、術者という言葉がイツカの唇から発された瞬間に怯えたような様子を見せたということは――それが意味することは一つしかない。


「……イツカ様、もしや今回の騒動の犯人は……」


 まさかそうなのかという気持ちと、信じたくないという気持ち。

 二つの気持ちを抱え、フレーデガルはイツカへおそるおそる言葉をかけた。


「気になるかとは思いますが、そのお話はあとで。今はこの怪異をどうにかしなくてはなりません」


 ちらりとイツカの視線がこちらへ向けられたのち、ぱ、と笑顔になった。

 こちらを安心させようとするかのような――見ていたら不思議と安心するかのような、独特の力を持った笑み。


「大丈夫です、フレーデガル様。少々想定外が起きましたが、あんなツギハギの怪異、わたしたちの敵ではありませんので」


 イツカが浮かべた笑みを見て、彼女が口にした言葉を耳にした瞬間、不思議な安心感がフレーデガルの胸の中に広がっていく。

 それは腕の中にいるヴィヴィアも同じだったのだろう、イツカがそういった瞬間に彼女の身体の震えがわずかに弱まった。


「チェスロック様も、フレーデガル様も。そして、そこにいらっしゃるメイドの方も、誰にも傷を負わせずにあれをどうにかすると約束いたします」

「……可能なのですか、そんなことが」

「ええ」


 イツカが浮かべた笑みが、穏やかなものから好戦的なものへ切り替わる。


「フレーデガル様、あなた様はわたしが何者なのか、お忘れですか?」


 かつ、こつ。足音をたてながら、イツカが部屋の奥へ進んでいく。

 その足音と気配に反応し、家具の上に横たわっていた怪異が唸り声をあげてイツカへ飛びかかった。

 てらてらと唾液に濡れた鋭い牙がイツカへ迫る。

 その場にいる誰もが、彼女の華奢な身体に鋭い牙が突き刺さり、骨が砕ける音を想像した。

 けれど。


「わたしはイツカ・クラマーズ。呪詛や穢れがもたらす現象について知識を持つクラマーズ家の一員であり、不浄なる存在である憑き物をこの身に宿す者」


 場に響いたのは、イツカの悲鳴でも彼女の骨が砕ける音でもない。

 怪異の牙がイツカの身に食い込むよりも早く、怪異の頭ががくんと下がり、そのまま床へ叩きつけられた。


「そして、クラマーズ家の中でもっとも強い力を持つ――わたしだけの神様を持つ者です」


 彼女の声が響いた瞬間、何もないはずの空間が再び揺らいだ。

 怪異の頭を抑え込んでいる、不自然なほどに痩せぎすの獣の足が浮かび上がる。さらに、人間の一人や二人くらい簡単に飲み込めそうなほどに巨大な身体が視認できるようになった。


 生きているのがおかしいほどにやせ細った四肢と身体。

 煤け、汚れ、ボサボサとした乱れきった毛並みに、首周りに引かれた赤い線と大きな縫い目。

 今にも死にそうな印象を受ける見た目に反し、ギラギラと輝く飢えきった目。

 怪異とは異なる威圧感を放つ巨大な狼犬の姿が、フレーデガルの目に映った。

 きろり。イツカの目が動き、己のすぐ傍にいるその獣を見上げ、彼女は再び笑みを浮かべた。


「イリガミ様。わたしの神様、わたしの犬神。わたしの信仰をあなた様に捧げます」


 流れるように、歌うように、イツカの唇から言葉が紡がれる。

 彼女の言葉を耳にし、フレーデガルも理解した。

 イリガミ様と呼ばれたあの狼犬は、不気味で不吉な気配をまとっているがイツカの力になるだ。

 イツカが胸の前で指を組み、すぅと大きく息を吸い込んだ。


「――わたしの信仰とともに、これをあなた様に捧げます」


 凛、と。

 イツカの声が空気を震わせ、部屋全体に響き渡る。

 瞬間、イリガミ様が深い笑みを浮かべ、口を開いた。


『あァ。いつものように、お前の心に答えてやるよ。おひいさん』


 男の声でそういった瞬間、イリガミ様の牙が怪異の身体に深く深く食い込んだ。

 ばき、ばき。ごぎ、ばぎ。骨が砕けるような音が、複数種類の獣の悲鳴が、フレーデガルの鼓膜を激しく震わせる。

 誰もが顔を青くさせてもおかしくない音が鳴り響く中、フレーデガルの目はイツカの姿だけを見つめていた。


 地獄のような空間の中、歪な姿をした憑き物に祈りを捧げる彼女の姿は美しかった。

 呆然とした頭で、ぼんやりと理解する。


 イツカ・クラマーズ。彼女は噛みつき姫ではなく――神憑き姫なのだと。

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