7-4 噛みつき姫は選び取る

「――なんで、あなたがネッセルローデ侯爵様のお近くにいるんですか?」


 吐き出されたヴィヴィアの声は、これまで言葉を交わしてきた中で耳にしたものとは大きく異なる声だ。

 苛立ち、恨み、怒り――さまざまな負の感情を煮詰めたような、どろりとした声。

 いつも柔らかい視線をイツカへ向けていた目が釣り上がり、鋭く睨みつけてくる。

 相手を威嚇するかのような目には、イツカも覚えがある。何か事が思い通りに運ばなかったときや相手に抑えきれないほどの怒りを感じたときに人が見せる目だ。

 ぎらぎらとした目でイツカを睨みつけたまま、ヴィヴィアはさらに言葉を続ける。


「クラマーズ様がどこでネッセルローデ侯爵様とお会いしたのかわかりませんが、そこは元々私がいるはずだった場所です。あなたがいる場所も、本来なら私のもののはずです。なのに、何故あなたがネッセルローデ侯爵様のお傍にいられる場所をもらっているんですか」

「お嬢様」


 ヴィヴィアの傍にいたメイドが彼女の肩に触れながら声をかけるが、ヴィヴィアは鬱陶しそうにその手を振り払った。

 ヴィヴィアがどろどろとした声で言葉を吐き出すたび、部屋を満たしている空気が重く感じられるようになっていく。

 部屋の四隅から染み出してくるかのように広がってくる気配は、使用人たちのために用意された離れを満たしていた空気と非常によく似たものだ。


「あのお方の傍にいるのは、私だったはずなのに」


 ぎりりと音が立ちそうなほど強く、ヴィヴィアが膝の上で手を握った。

 その瞬間、彼女の足元に落ちていた影が揺らぎ、そこから黒い靄が染み出してくるかのように床へ広がりだした。


『おひいさん』


 イツカの耳元でイリガミ様が囁く。

 姿を見せずに、けれどイツカに注意を促すかのように声をかけてきてくれた彼へ小さく頷いてから、イツカは口を開いた。


「チェスロック様。……わたしは、フレーデガル様の御身の周りで起きている現象を調査するうちに、人工的な怪異によって引き起こされている可能性があるという答えに辿り着きました」


 ぴくり。わずかにヴィヴィアの指先が動く。


「お尋ねします。あなた様は、人工的に作り出した怪異と今も一緒にいますね?」


 そうでなければ説明がつかない。

 ヴィヴィアがイツカへ負の感情を向けた瞬間、離れを支配していた嫌な空気が場に満ち始めた。まるで、ヴィヴィアの感情を表すかのように。


 呪詛や穢れが負の感情に反応するように、怪異も人間の負の感情に反応して力を強める。呪詛や穢れと異なる点は、負の感情を抱いている人間がいればいるほど、その力を強めるという点。

 そして、負の感情を抱いている人間が一人だけであったとしても、その一人が強く負の感情を抱いていれば大きく力をつけるという点だ。


 ヴィヴィアがイツカへ恨み言をぶつけるようになった瞬間、彼女の足元から呪詛が染み出してきたのが――彼女が人工的に作り出した怪異を連れている何よりの証拠だ。

 す、と。イツカの目が細められる。


「……もしそうなら、今すぐ怪異と離れることをおすすめします。怪異は人工的に作られたものであっても、人とは異なる領域に存在しているものです。怪異がチェスロック様を害する前に何らかの対策を――」

「うるさい!」


 黒幕であったとしても、イツカ個人の感情を優先するなら、ヴィヴィアはクラマーズ家以外でイツカと同じ世界を感じ取れる貴重な人間だ。

 ローレリーヌのことを知れたのもヴィヴィアから話を聞けたからだ。複雑な思いもあるが協力者になってくれたという一面もあるため、可能ならば怪異の影響からヴィヴィアを守りたいという思いもある。

 しかし、イツカの思いも振り払うかのように、ヴィヴィアが叫ぶ。


「あの子は私の友達なの! 私が欲しいと思ってたものは全部用意してくれるくらいに良い子なの! クラマーズ様が連れてるような嫌な気配を撒き散らすだけのものとは違うの!」


 激しく首を左右に振って叫ぶ姿は、柔らかな雰囲気をまとっているヴィヴィアの姿とは大きく異なるものだ。

 まるで、自分の思い通りにいかなかったからと駄々をこねる幼い子供のような姿。

 イツカの目がゆっくりと、さらに細められていく。


「あの子は私の友達、あの子はすごく優しい子なの! ネッセルローデ侯爵様のことも連れてきてくれた! ずっと小さい頃から一緒にいたんだから、あの子のこともちゃんと制御できるんだから!」

「……」


 ふ、と。イツカの唇からため息がこぼれた。

 もし本当にヴィヴィアが怪異をコントロールできると思っているのなら、大きな間違いだ。


「……怪異は、わたしたち人間が扱える存在ではありません。もし本当に扱えるのだと思っているのなら、考え直したほうがいいですし警戒するべきです」


 ヴィヴィアの足元から溢れ出ている黒い靄がますます濃くなり、ヴィヴィアの背後へ集まっていく。


「人間に従うふりをして、油断した瞬間に牙をむく。それが怪異が得意とするやり方ですから」


 イツカの言葉を肯定するかのように。

 ヴィヴィアの背後に集まっていた呪詛が一つの大きな塊になり、大口を開けた歪な獣へと姿を変えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る