7-3 噛みつき姫は選び取る
口の中だけでなく、身体全体がじくじくと痛みを放つ。
けれど、ゆっくりとケーキごと口の中に入り込んだ呪詛を咀嚼していけば、次第に感じる痛みも緩やかなものへ変化していった。
(……よかった。今度はイリガミ様もすぐに対処してくれた)
一度倒れた際は、予想していなかったタイミングの攻撃だった。故に倒れてしまったが、さすがに二度目はない。何より、常に飢えているイリガミ様が一度味わった味を忘れて見逃すことはない。
口元を押さえていた手を下ろし、取り落としてテーブルに転がっていたフォークを再度手に持つ。前屈みになっていた姿勢をしゃんと伸ばし、まだ残っているケーキへ切っ先を突き立てた。
一口、二口。残っているケーキを味わいながらゆっくり食べ進めていく。
イツカが一口食べ進めるごとに、こちらを見ているヴィヴィアの目がどんどん見開かれていき、信じられないものを見る目へ移り変わっていった。
かちゃり。皿の上にあったケーキを全て食べ終わり、ハンカチで口元を拭き取ると、イツカはにっこりと笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、チェスロック様。大変美味しいケーキでした」
イツカがそういった瞬間、ヴィヴィアがはっとした顔をした。
慌てて表情を取り繕い、ヴィヴィアも笑みを浮かべる。だが、イツカが普段目にしていた笑顔に比べると少々歪に感じられる笑い方だ。焦っているのを無理に隠そうとしているかのような。
「あ……え、ええ。クラマーズ様のお口に合ったようで何よりです」
「ふふ、とっても美味しくって感動しました。……しかし」
イツカがケーキを食べて異常を感じていたときは笑い、今は取り繕った笑みを浮かべている。導き出される答えは一つだけだ。
「チェスロック様。大変美味しいケーキだったのですけれど……」
一度言葉を切り、表情を引き締めて真正面からヴィヴィアを見つめる。
ほんのわずかに空白を置いたあと、イツカは静かにヴィヴィアへ言葉を紡いだ。
「あのケーキ。何か仕込んでいましたよね」
ぴくり。
イツカが発した言葉を耳にした瞬間、ヴィヴィアの指先がわずかに動いた。
相手をよく観察しておかないとわからないくらいの、非常にささやかなサイン。見逃してしまいそうなほどの反応だが、イツカの目にはしっかりと映っていた。
「――……何のことでしょうか。クラマーズ様」
先ほどまでとほとんど変わらない声色で、ヴィヴィアがイツカへ問いかけ返す。
肌に触れる空気がわずかにぴりつき、イツカの肌を刺激した。
「私は誓ってケーキの中に何も入れたりしておりません。見た目にもおかしい点はなかったでしょう? それなのに、私を疑うなんて」
「ええ。確かに、ケーキの中には何も入っていないように見えたことでしょう」
「ほら、ならどうして――」
「わたしたち以外の方の目には」
ぴた、と。ヴィヴィアの言葉が止まった。
こちらを見る彼女の目の中で敵意がちらつき、剣呑な空気をまとわせ始める。
人によっては怯んでしまいそうだが、イツカは怯むことなく、ヴィヴィアを見つめたまま言葉を続けた。
「チェスロック様は、呪詛や穢れといったものをご存知ですか?」
声の調子は尋ねているものだけれど、実際にはヴィヴィアの返事を待っているわけではない。
だって、ヴィヴィアが呪詛や穢れについて知っているのは、もうすでに確定していることだ。
「呪詛や穢れは、多くの人間の目に映ることはありません。しかし、不可視の存在を視認したり感じ取ったりすることができる人間はその限りではなく、呪詛や穢れの存在をより明確に感じ取ることができます」
「……」
「人の負の感情や悪意に満ちた魔法から生じるもので、人体にさまざまな悪影響を及ぼすものでもあります。……呪詛や穢れが体内に入れば、生き物はたちまち体調を崩す。人間も例外ではありません」
ここまで話せば、こちらが何を言いたいのかヴィヴィアも予想ができたらしい。
表情に強い警戒と敵意の色をのせ、棘を含んだ声でイツカへ問いかけた。
「……もしかしてと思いますが、クラマーズ様は私がケーキに呪詛や穢れを仕込んだとお思いなのですか?」
「ええ」
イツカがゆっくりと頷く。
場を満たす空気がさらに緊張感に満ちたものへ変化していき、ヴィヴィアの後ろで控えているメイドがわずかに表情を引きつらせた。
「チェスロック様。あなた様は、呪詛や穢れが織りなす世界を感じ取ることができるお方です。わたしが口にするものへ呪詛や穢れを仕込み、わたしに口にさせることなど容易いでしょう」
実際に、ヴィヴィアがイツカへお見舞いと称して持ってきたケーキには呪詛が仕込まれていた。それも、体内に入り込んでから短時間で効果を発するような高濃度のものが。
呪詛や穢れは限られた人間しか認識することができない。
ヴィヴィアの身の回りにいる使用人も呪詛や穢れを認識できるという話を耳にしたことはない――ケーキに呪詛を仕込むことができるのは、ヴィヴィアしかいない。
じ、と。言葉を切り、イツカはヴィヴィアの反応を見つめる。
はたしてどれくらいの時間だったか。空白の時間を置いたのち、ヴィヴィアが苛立ちを隠せない様子で深く息を吐きだした。
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