7-2 噛みつき姫は選び取る

 ヴィヴィア・チェスロックにとって、イツカ・クラマーズとは突然己のテリトリーに現れた人間だった。

 ヴィヴィアはチェスロック伯爵家に生まれた第一子であり、両親には見えない特別な目を持って生まれてきた。

 他の人間は見ることができない存在を認識することができる目。幼い頃、ヴィヴィアは自分自身の目を恐れたが、両親が『それはヴィヴィアにしかない神様からの贈り物だ』と繰り返し教えてくれるおかげで、己の目を特別なものとして受け入れることができた。


 自分は特別な目を持って生まれてきた人間だ。


 その自信はヴィヴィアに前を向かせ、自信は一種の美しさとなり、ヴィヴィア・チェスロックという少女を作り上げた。

 さらに、両親から与えられた一冊の本。そこに記されていた『友達を呼び出す方法』が、ヴィヴィアにさらなる自信を与えた。


『父様、母様。この本は……?』

『その本にはヴィヴィアの友達を呼び出す方法が書かれている』

『でも、一部の人にしかこの方法を実行することができないんですって。読み物として十分興味深い本だけど……ヴィヴィアは私たちの特別な子だから、できるかもしれないわね』


 何度目かになる誕生日。両親がそういっていた様子を、ヴィヴィアは今でもはっきり思い出すことができる。

 本に書かれていた言葉はどれも不気味だったが、ヴィヴィアが普段目にしていた存在や世界は何だったのかがわかって感動もした。本に記された手順どおりに『友達を呼び出す方法』を試せば、確かにヴィヴィアの目の前に『友達』が現れ、喜んだものだ。


 ヴィヴィアの『友達』は、とても心優しい存在だった。身体のほとんどが黒い靄で覆われていたけれど、ヴィヴィアが落ち込んでいるときは犬や猫、狐などの動物の姿になって慰めてくれる。

 ヴィヴィアが欲しいと思ったものは、なんだって持ってきてくれた。本も、お菓子も、お茶も、ぬいぐるみも。


 ――そして、密かに想いを寄せていた人も。


「ねえ、私ね。ネッセルローデ侯爵様が好きなの。お会いしたのは父様に連れられて行ったパーティ会場で、一度きり」


 でも、その一度の邂逅でヴィヴィアはフレーデガル・ネッセルローデという人物に心奪われた。

 己は伯爵家の令嬢で、相手は侯爵家の当主。身分差はあるが、それを乗り越えたいと思うくらいにヴィヴィアはフレーデガルを強く想っていた。

 人間の友人に打ち明けたことのない、己の恋の花。ある夜の眠る前、ヴィヴィアはそれを黒い靄に包まれた『友人』にそっと打ち明けたのだ。


「簡単にお会いできない人だとわかっているわ。でも、もう一度会いたいの。……ふふ、内緒よ。だって父様と母様がこんなことを知ったらネッセルローデ侯爵様と私がお会いできるように何かするもの。ネッセルローデ侯爵様もお仕事が忙しいから、私のわがままに付き合わさせるわけにはいかないわ」


 同じ年頃の友人と恋を囁きあうような、甘い甘い内緒話。

 ヴィヴィアが『友人』に胸の内を囁いたその数日後。その瞬間はやってきた。


 フレーデガル・ネッセルローデ。ヴィヴィアに関する噂を耳にしたといい、密かに想いを寄せていた彼が目の前に現れたのだ。


 最初は単なる偶然かと思った。『友人』以外の人間には胸の中に宿る恋心を伝えていなかったから。

 しかし、フレーデガルの話を聞けば聞くほど、彼はヴィヴィアが普段目にしている世界に住まう存在に悩まされているのが明らかになっていた。

 想いを寄せる相手が、己の得意分野に関することで悩んでいる――それを知った瞬間、ヴィヴィアの脳に『友人』の姿が浮かんだ。


(あの子だ)


 思い出すのは、あの黒靄に包まれた『友人』がヴィヴィアの欲しいものを持ってきてくれたこと。


(あの子がきっと、ネッセルローデ侯爵様を連れてきてくれたんだ)


 ヴィヴィアが『友人』へフレーデガルへの恋心を打ち明けたから。

 ヴィヴィアが『友人』へフレーデガルにもう一度会いたいと思っていることを打ち明けたから。

 だから、フレーデガルも同じようにヴィヴィアの下へ導いてくれたに違いない。

 わざわざヴィヴィアの得意分野に関することと結びつけて――ヴィヴィアとフレーデガルが親しくなれるように!


 不思議な『友人』が与えてくれたチャンスを逃してはいけないと考え、ヴィヴィアはフレーデガルの力になれるよう力を尽くした。彼から持ちかけられた相談には言葉を貸し、これ以上フレーデガルを蝕む現象に彼自身を守るためにお守りを渡し、ずっと支えてきた。

 同時に『友人』へ頼んで、彼へ近づく異性が現れないように妨害をしてもらい、己の恋路が上手く進むようにもした。あとはこれでヴィヴィアがフレーデガルの悩みを解決すれば上手くいく。


 ――上手くいくと思っていたのに。


 膝の上に乗せた手を強く握りしめ、ヴィヴィアは思考の海から意識を引き戻し、目の前に座るイツカを見つめる。

 ある日、フレーデガルの傍に婚約者候補として現れた人間。


 噛みつき姫、イツカ・クラマーズ。


 ヴィヴィアもイツカに関する噂は耳にしたことがある。だからこそ、はじめてイツカの姿を目にしたときはひどく驚いた。

 だが、それ以上にヴィヴィアが驚いたのは、イツカもどす黒い靄に包まれた何かを引き連れていたからだ。


 己を助けてくれる『友人』と非常によく似た気配を持つ黒い靄の何か――それと言葉を交わすイツカの姿を目撃したときは、驚愕のあまり声も出なかった。勇気を振り絞り、声をかけることができたのはイツカが黒い靄の何かと言葉を交わし終わったあとだ。

 フレーデガルとイツカがどのような経緯で出会い、婚約者候補として選ばれることになったのか、ヴィヴィアにはわからない。ただわかるのは、イツカはヴィヴィアにとって非常に邪魔な存在だということだけだ。


(クラマーズ様が連れてたあれは、きっと私が呼び出した『お友達』と同じもののはず。だって気配がすごくよく似てたんですもの)


 フレーデガルと妙に親しかった使用人のときと同じように『友人』へ頼み、妨害もしてもらった。

 イツカがフレーデガルに触れた瞬間、呪詛返しに遭ったかのように見えるよう工作もした。

 一定期間の体調不良程度で終わるのは予想外だったが、何か妙なことが起きているとフレーデガルに印象づけることには成功しているはずだ。


 フレーデガルにもイツカに注意するよう進言している。あとは、ヴィヴィアがイツカが怪しい動きをしていたから取り押さえたということにすれば完璧だ。

 さすがに身近なところにいた人物が怪しい動きをしていたとなれば、フレーデガルの中にあるイツカへの信頼も消える。反対にヴィヴィアはフレーデガルを守ったことになるから、再び彼の注目をこちらに集められる。


(正確には、私に危害を加えようとして呪詛返しに遭ったことにする。現行犯で取り押さえたことにすれば、ネッセルローデ侯爵様だってクラマーズ様は怪しかったんだって思ってくれるはず)


 そうすれば、婚約者候補の座にヴィヴィアがつくことだってできるはず。


(いつかは私が座るはずの場所だったもの。返してもらっても問題ないはずだわ)


 これまでフレーデガルと共有してきた時間の中で、彼には親身に接してきた。今すぐには無理でも、ヴィヴィアがフレーデガルの婚約者候補として選ばれてもおかしくない。

 一緒に連れてきたメイドがイツカに提供するケーキの準備を始める様子を眺めながら、ヴィヴィアは思考を巡らせる。

 イツカのお見舞いとして持ってきたケーキには、『友人』から分けてもらった呪詛の力が練り込まれている。ぱっと見はただのケーキだが、口にすれば体内に呪詛が入り込む特別なものだ。


「ありがとうございます、チェスロック様」

「いえいえ。クラマーズ様のお口に合うといいのですが……」


 何の警戒もせず、イツカがフォークを手に取る。

 彼女が操るフォークの切っ先がショートケーキを切り分け、白いクリームと赤い苺で飾られたスポンジを食べやすい大きさへと変える。そして、一口サイズになったケーキを突き刺し、イツカの口へと運ばれた。

 味わっていたのはほんの数秒。すぐにイツカの目がわずかに見開かれ、次の瞬間には彼女の手に握られていたフォークが滑り落ち、かつんと音をたてて床に落ちた。


(勝った)


 イツカが片手で口元を覆う。彼女を中心として黒い靄が次から次に湧き上がってくる。

 勝利を確信し、ヴィヴィアは口元に笑みを浮かべる。


(あとは、クラマーズ様が倒れたらメイドにネッセルローデ侯爵様を呼びに行ってもらって、一芝居うつだけ)


 イツカの身体がわずかに傾く。

 ――しかし、ヴィヴィアの思惑どおりイツカが倒れることはなかった。

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