6-3 手がかりと真実確定

「いやぁ、本当によかったです。クラマーズ様がお目覚めになって」


 そういいながら、タニアはサービングカートに乗せたティーポットを手に取り、一緒に持ってきたカップへ紅茶を注いだ。

 イツカが目覚めた姿を見た直後は泣き出しそうな顔をしていた彼女も、少し時間が経てばあっという間に落ち着いた。心なしか、イツカが以前会ったときよりもほんの少しだけ落ち着きのある振る舞いをしているような気さえする。


「お身体はどうですか? 悪いところはありませんか?」

「はい。身体に不調は感じないんです。なんで倒れたのかわからないくらいで……」


 本当はどうして倒れたのか、理由はわかっているけれど。

 ほんの少しの罪悪感を覚えつつも、こればかりは素直に理由を答えるわけにはいかず、イツカはタニアからの問いかけにぼんやりした答えを返した。

 差し出された彼女の手からカップを受け取れば、柔らかな紅茶の香りがイツカの鼻をくすぐる。記憶の中ではつい最近も楽しんでいた香りだが、三日ぶりなのだと思えば、不思議と懐かしく感じられた。

 温かな紅茶で喉を潤すイツカの傍で、タニアが言葉を発する。


「お医者様もおっしゃってました、特におかしな場所は見当たらないって。だからこそ、どうして倒れたのかみんなわからなくて……旦那様は特に心配されてました。毎日、空き時間を見つけてはお見舞いにいらっしゃるくらい」


 彼女の口ぶりから、イツカが倒れている間、身の回りの世話をしてくれていたのはタニアなのだろう。

 頭の片隅で予想をつけながら耳を傾けていたが、フレーデガルの名前が出た瞬間、イツカははっと目を見開いた。

 そうだ。イツカが倒れていた間、呪詛や穢れの対処が十分にできていなかった可能性がある。

 手元のカップからタニアへと視線を移し、イツカは慌てて問いかける。


「その、フレーデガル様のご様子は?」


 イツカが急激に呪詛の影響を受けたのだ、フレーデガルだって無事ではないかもしれない。

 不安で早鐘を打つ胸を押さえ、タニアの返事をじっと待つ。

 慌てたようなイツカの様子を前に、タニアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにぱっと表情を切り替えて口を開いた。


「大丈夫ですよ、クラマーズ様。旦那様はお元気です。クラマーズ様がすごく心配みたいで、毎日そわそわとして過ごされていますよ」

「そう……ですか。よかった……」


 具体的にどのような状態かはわからないが、ひとまず事態が急激に悪化したわけではなさそうだ。

 ほっと胸をなでおろし、イツカは手元にあるカップに改めて口をつける。

 タニアもどこかほっとしたような顔を見せたあと、着替えらしき衣服の用意をしながら言葉を続ける。


「またこちらにいらっしゃると思うので、そのときは何かお声をかけてあげてください。今日はチェスロック様とお会いしているので、遅い時間になってしまうかもしれないんですけど……」

「チェスロック様と、ですか」


 ヴィヴィアがフレーデガルに声をかけ、何か会話をしている。

 彼女もフレーデガルに何かが起きていると知っている人物の一人のため、おそらく呪詛や穢れによって引き起こされている何かの話だと思うのだが。

 フレーデガルが他の異性と話している――そう考えるだけで、なんともいえない複雑な思いが胸の中に広がった。


(……って、いやいや。横取りしたようなものなのは、わたしのほうだって)


 フレーデガルはまず、ヴィヴィアへ相談したのだから。

 親しくなっていたであろう二人の間に割って入ったのは、ヴィヴィアではなくイツカのほうなのだから。

 先に相談をし、それを受けていたという点で、フレーデガルとヴィヴィアがお互いに想い合っていてもおかしくない。むしろ、そう考えたほうが自然だろう。

 だが、そのような想像をすればするほど、イツカの心が針を刺されたかのような鋭い痛みを訴える。


(……多分、そういうことなんだろうなぁ……)


 偽りの婚約者候補であって、本当にそのような関係ではない。

 己へ依頼をしてくれた保護対象という目で見ることはできても、恋愛対象としてはまだ見れない。

 そう思っていたはずなのに、気がつけば『これ』とは。心は自分の力ではどうしようもできないものとはいえ、どうしても自分自身に対して苦笑いが浮かんでしまう。

 わずかな憂いを抱えるイツカの傍で、タニアがそれを吹き飛ばすかのような満面の笑みを浮かべる。


「そうだ! クラマーズ様がお目覚めになったら、ぜひお伝えしたいと思っていたことがあったんです?」

「わたしにですか?」


 きょとんとし、イツカはわずかに首を傾げた。

 タニアとは一度言葉を交わした仲だし、コウカが来てくれたときもお茶の準備をしてくれた人物だ。ネッセルローデ邸に滞在中の間、何かと繋がりがある相手ではあるが――急いで伝えたくなる情報があっただろうか。

 イツカの胸の中に疑問が浮かんだが、タニアの言葉を耳にした瞬間、その疑問は一瞬でかき消された。


「ローレリーヌ先輩が復帰したんです!」

「!」


 ローレリーヌ。呪詛の影響を色濃く受けていた人物にして、呪術について綴られた本の持ち主。

 犯人を見極めるためにも話を聞きたいと思っていた人物だ。

 タニアへ向けた目が大きく見開かれていくのを感じる。


「あれだけ体調が悪そうだったのに、嘘みたいに元気になってて……! クラマーズ様、ローレリーヌ先輩が作るお菓子に興味を持っていらしたじゃないですか。だから、目覚めたらお知らせしないとって思ってたんです!」

「なるほど……わざわざありがとうございます、タニアさん」


 ふわりと柔らかな笑顔を浮かべ、イツカはタニアへ感謝の言葉を告げる。 

 おかげで、もっとも欲しいと思っていた情報が無事に手に入りそうだ。


(ローレリーヌさんを見つけたら、まずは話を聞いてみないと)


 呪詛の影響を受けた身体をしっかり休めないといけないけれど――無事に動けるようになってからの行動は、これで確定だ。

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