5-5 噛みつき姫の真実探し

「それじゃ、イツカ。元気に過ごせよ。ネッセルローデ侯爵様には失礼のないように」

「承知しております、お兄様。お兄様も研究に夢中になって倒れたりしないよう、お気をつけて」


 互いに納得いくまでゆっくり言葉を交わしたあと、コウカは最後に一言添えてからネッセルローデ邸を離れていった。

 だんだん小さくなっていく兄の背中へ手を振って見送り、イツカは小さく息を吐く。


 コウカが来訪するのは本当に急になってしまったが、彼に来てもらったのは正解だった。顔を合わせて呪詛や依頼についてじっくり話すことができたし、コウカのおかげで人工的に作られた怪異という新たな視点を得られた。

 それに何より、大事な家族の一人と話すことで、突然見知らぬ土地で婚約者候補として過ごさなければならなくなった不安や心配が少しだけ和らいだ気がする。


「……よし」


 コウカの背中が完全に見えなくなるまで見送り、扉を静かに閉める。

 突然の来訪者がいなくなり、ネッセルローデ邸の玄関ホールはいつもの様子へ戻った。

 その中で、ともに見送りをしてくれたベデリアがわずかに表情を緩めた。


「クラマーズ様は兄君と仲がよろしいのですね」


 一瞬きょとんとしてしまったイツカだったが、すぐににんまりと口元に笑みを浮かべる。


「自慢の兄ですもの。ベデリアさんにも軽く紹介することができてよかった」


 姿を見せただけに近いから、軽く紹介できたといっていいのか微妙なところだが。

 互いに顔を見合わせてくすくす笑いあったあと、イツカはベデリアへ言葉を続けた。


「一緒にお兄様のお見送りをしてくれてありがとうございます、ベデリアさん。続けてお仕事を依頼するようで申し訳ないのですが、お茶とお茶菓子の準備もお願いしてよろしいですか?」

「お茶とお茶菓子、ですか」

「はい。フレーデガル様のところへ持って行きたくて」


 イツカが理由を添えると、ベデリアも納得したらしい。

 彼女のきょとんとしたような表情が一瞬で変化し、ふわりと柔らかな笑顔へと切り替わった。


「かしこまりました。お二人のお話が弾むような、とっておきのものをご用意させていただきます」

「とびっきり奮発しなくてもいいのですけれど……でも、本当にありがとうございます。ちょうどフレーデガル様のお仕事が一段落しているタイミングだといいのですが――」


 イツカがそこまで言葉を紡いだとき、ふとこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。

 一つではなく、二つ分。うち一つは軽やかなもの。ゆったりとしたペースで近づいてくる音に反応し、玄関ホールへ繋がる廊下の片方へ視線を向けた。

 そちらをじっと静かに見つめていれば、見覚えのある二人の姿がイツカの視界へ映し出された。


「ベデリア。それにイツカ様も」

「クラマーズ様」


 廊下から新たに現れた二人のうち、一人は表情を緩ませ、もう一人はわずかに驚いたかのように目を丸くして声をあげた。

 どちらも聞いたことがあるその声は、聞き間違えるはずもない。

 ぱっとそちらへ目を向け、イツカもゆるりと目を細める。唇の端をわずかに持ち上げ、緩やかに笑みを浮かべた。


「フレーデガル様、チェスロック様。ご一緒だったのですね」


 こちらへ近づいてきた二つの足音の主は、フレーデガルとヴィヴィアだ。

 二人並んで玄関ホールへ移動してきたのだろう。並んだ姿からは二人の間にある信頼関係を感じさせるものがあり、見ていて少しだけ微笑ましい気持ちになるようだ。

 同時に、少しだけ寂しいような不思議な気持ちが胸の中に広がる。二人の間に割って入ったようなものなのはこちらだから、寂しさを感じるのはおかしいのだが。


(……なんだか胸の中がちょっとだけざわざわするようで、落ち着かないなぁ)


 心の中でため息をつきつつも、表面上は笑顔を浮かべたままを維持する。ここで表情を曇らせ、無駄に心配をかけてしまうのは避けたいところだ。

 ひっそりと胸の中で表情を曇らせるイツカへ、フレーデガルが歩み寄ってくる。


「ええ。つい先ほどまでお話を聞いてもらっていたんです。イツカ様は兄君とのお話が終わったところでしょうか」

「はい。ちょうど先ほどベデリアさんと一緒に見送りを済ませたところでして。もう少しタイミングが違ったら顔を合わせていたかもしれませんね」

「おや、もしそうなっていたらイツカ様の兄君にご挨拶ができたというのに。少々もったいないことをしました」


 そういって、フレーデガルがますます表情を緩ませる。

 イツカも彼の表情につられ、口元がさらに緩むのを感じた。

 つい先ほどまで感じていた不思議な寂しさはすでに消え去っている。我ながら現金な奴だと感じると同時に、少しだけヴィヴィアに申し訳ないような気持ちもある。

 ヴィヴィアがフレーデガルへ何らかの感情を向けている可能性もゼロではないだけに。


「もしかしたら、またお兄様にこちらへ来てもらう機会があるかもしれません。そのときに――」

「ネッセルローデ侯爵様」


 最後まで続くはずだった言葉は、最後まで紡がれることなくぴたりと止まった。

 ずっと静かにイツカとフレーデガルの声に耳を傾けていたヴィヴィアが動き、フレーデガルの衣服の袖を軽く引っ張りながら声をあげた。

 とっさに唇を閉ざし、イツカはヴィヴィアへ目を向ける。

 フレーデガルもわずかにはっとしたような顔をし、ヴィヴィアのほうへ目を向けるとわずかに苦笑を浮かべてみせた。

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