第四話 黒い靄糸を辿って
4-1 黒い靄糸を辿って
フレーデガルに用があるというヴィヴィアと一度別れたあと、イツカは使用人たちの姿を求めて屋敷内の散策を再開した。
屋敷内に散った呪詛や、呪詛に引き寄せられた穢れがないかの見回りも兼ねているが、本命は使用人のうちの誰かと接触することだ――ローレリーヌがどこにいるか、その手がかりを手に入れるために。
周囲をしきりに見渡しながら歩く姿は少々怪しさがあるが、幸いイツカに不審な目を向けてくる者はいない。むしろ、興味深そうな目で見てくる人ばかりだ。
それでも声をかけてこないのは、イツカがどうしたいのかを判断しようとしているからだろう。
(今、手が空いてそうな使用人の方はー……)
考えながら、イツカはちらほらと姿を見かける使用人たちの様子を観察する。
ネッセルローデ邸は広い。現在、イツカが知っている以外にもたくさんの部屋が存在する。それはつまり、掃除や手入れをする場所が多いということでもある。
使用人たちの邪魔はせず、声をかけて情報を手に入れたい――となると、手が空いていそうなメイドか執事に声をかけるのがベストだ。
(それから、ローレリーヌ様がスティルルームメイドであることを考えたら、キッチン周りを担当してる人に声をかけてみるのがいいかもしれないけど)
けれど、キッチン周りは大体忙しそうな印象があるところでもある。
一人でうんうん考えながら屋敷の中をどんどん歩いていたイツカだったが、ふと、廊下の窓辺に置かれたコンソールに花瓶を置いているメイドの姿が視界に入った。
ただ花瓶を置いているだけなら、さほど気にしなかったが――彼女の手元に黒い靄がまとわりついているのが見え、思わず足を止めた。
(――あれは)
見間違えるはずも、見逃すはずもない。
一人のメイドの手を覆い尽くすかのようにまとわりついている黒い靄は、イツカがフレーデガルと出会うたびに目にしているものと同じだ。
「あの、少しよろしいでしょうか?」
「ひゃいっ!?」
一度見つけてしまったら、見なかったことにするのはできない。
イツカは軽く深呼吸をしたのち、相手にできるだけ緊張を与えないため、柔らかい声色でそのメイドへ声をかけた。
けれど、驚かせてしまったのには変わりない。イツカに声をかけられた瞬間、花瓶の花をぼんやり見つめていたメイドは大きく肩を跳ねさせて振り返った。
赤みがかった茶髪を首の後ろで一つにまとめたメイドだ。他のメイドたちと同じデザインのエプロンドレスを身にまとっているが、大人というよりは少女に近い年齢である。花瓶に添えられた両手には黒い靄が確かにまとわりついており、靄の隙間から傷だらけになった両手がかすかに見えた。
痛々しそうな両手の様子を目にし、眉間にシワが寄りそうになるが、ぐっとこらえて申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。
「……驚かせてしまってすみません。お仕事の途中だったのに」
「あ、その、お気になさらないでください! あたしがちょっとぼんやりしてただけなので!」
そういいながら、メイドは花瓶に添えていた両手を顔の前でぶんぶんと振った。
ベデリアやヴィヴィアとはまた違った、元気のいい少女らしい仕草は見ている者の表情をわずかに緩ませるものがある。
彼女は気を取り直すように小さく咳払いをしてから、わずかにきりっとした顔をする。
「旦那様の婚約者候補のお方ですよね? あたしはハウスメイド見習いのタニアです。何かご用でしょうか?」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。もうご存知かと思いますが……わたしはクラマーズ伯爵家が第二子、イツカ・クラマーズと申します」
名乗ってくれたタニアに対し、イツカも軽くお辞儀をしながら名乗り返した。
その後、緩やかに笑みを浮かべて本題へと入る。
「少々お疲れのように見えてしまいましたので、大丈夫かなと少し心配になってしまいまして……大丈夫ですか?」
心配になったのは嘘ではない。タニアの両手には今もはっきりと呪詛がまとわりついているから。
てっきり何か用事を言い渡されるのかと思っていたタニアは、少しだけきょとんとしたが、すぐにまたぶんぶんと両手を振った。
「大丈夫です! このとおり! ご心配をおかけしてしまってすみません。ちょっと考え事をしていただけですので……って、仕事中に心配されるほど考え事に集中するのもよくないんですけど……」
そういって、タニアは苦笑いを浮かべる。
彼女の返事を耳にし、今度はイツカがきょとんとした顔をする番になった。
「考え事ですか?」
プライベートのことか、仕事のことか、はたまた違うことか。
純粋に気になって復唱すると、タニアの表情がほんのわずかに曇る。
「はい。その……あたしがまだここで働き始めたとき、いろんなことを教えてくれた先輩がずっと具合が悪いみたいで。お医者様からもらったお薬も効いてないのか、全然良くならなくて……心配になっちゃいまして」
「!」
タニアから見て先輩ということは、使用人の一人で間違いない。
ずっと具合が悪く、医者が処方した薬を飲んでもなかなかよくならない。
――イツカの脳裏に、ヴィヴィアから聞いたローレリーヌのことが思い浮かんだ。
「そのお方って、もしかしてローレリーヌさんでしょうか?」
はつり。イツカが確認をとるため、呟くように問いかける。
瞬間、タニアが大きく目を見開き、ぽかんとしたような顔をして口を開いた。
「ご存知なんですか? ローレリーヌ先輩のこと」
タニアの唇から返ってきた言葉は――イエスだ。
「チェスロック様からお聞きしたのです。ローレリーヌさんがご用意してくれるお菓子はすごく美味しいんだって。ぜひ、わたしも味わってみたいと思ったのですが……体調が優れない状態が続いているのなら難しそうですね」
ヴィヴィアからローレリーヌについて聞いたのは真実。
けれど、どのような形で聞いたのかという部分にはそれらしい嘘を織り交ぜる。
口にしてから、これでローレリーヌがお菓子作りを不得意としていたらどうしよう――という不安がイツカの心に押し寄せてくる。
不審がられていないか確かめるため、ちらりとタニアへ視線を向ける。
しかし、どこか納得したように見える彼女の表情が視界に映った瞬間、イツカが感じていた不安は綺麗に消え去った。
「なるほど、チェスロック様からお聞きしたんですね。先輩、本当最近お仕事に出てこれてないからどこで聞いたんだろうって驚きました」
そういったタニアの顔には、納得したような色が確かにあった。
よかった、ローレリーヌについて全くといっていいほど知らないが、どうやらスティルルームメイドなだけあってお菓子作りの腕がいいらしい。
新たな情報を心に書き留めるイツカの前で、タニアが言葉を続ける。
「先輩が作るお菓子、本当に美味しいんですよ! チェスロック様にも何度かお出ししたことがありますから、きっとそのときに覚えてくれてたんだろうなぁ。先輩が元気だったらクラマーズ様にも味わっていただけたんですけど」
「体調が優れないのであれば仕方ありませんよ。ローレリーヌさんが元気になるときまで待とうと思います」
ここまで絶賛される腕なら、自分もここに滞在している間に味わってみたい。
そんな思いを込めて言葉を返したあと、イツカはわずかに首を傾げ、次の情報を聞き出すために口を開いた。
「……その、お見舞いにいきたいとも考えているんですが、ローレリーヌさんがいらっしゃるお部屋はわかりますか?」
イツカの屋敷でもそうであるように、ネッセルローデ邸にもどこかに使用人たちの部屋があるに違いない。具体的な場所を聞き出せたら、ローレリーヌが今どのような状態なのか確認しにいくことが可能になる。
それらしい理由も添えて尋ねれば、タニアは腕組みをして悩みだす。
答えるべきか、答えないべきか――ひたすらに考えていたタニアだったが、やがて一人で小さく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます