3-6 噛みつき姫の協力者
効果のあるお守りを作れること、不可思議な力があるという噂が流れているという辺りから薄々気配を感じていた。
だが、噂は真実だったのだとわかると衝撃を受けてしまう。
イツカの身の回りで家族以外に呪詛や穢れの存在を感じ取れる人間は少ないため、余計に。
彼女からイツカと出会う前のフレーデガルがどのような様子だったか、彼女から見て何かおかしいと感じた人が屋敷内にいないか聞き出せれば調査が大きく進むかもしれない。
けれど、まずは彼女に一度落ち着いてもらわなくてはその話もできない。
期待と不安を織り交ぜた瞳を真っ直ぐ向けてきているヴィヴィアへ、両手の手のひらを向けてイツカは苦笑を浮かべてみせた。
「どうか落ち着いてください、チェスロック様。わたしは逃げたりしませんので」
「あっ……す、すみません。本当に。もしかしたらって思ったら、つい……」
イツカの呼びかけではっとした顔になり、ヴィヴィアは申し訳無さそうに苦笑いを浮かべ、再度椅子へ腰を下ろした。
興奮した様子が抜けたのを見てから、イツカは軽く咳払いをして口を開いた。
「まず……チェスロック様が気にしていると思われる結論からお答えしてしまうと、わたしには不可視の存在を察知することができます。チェスロック様の予想どおりですね」
「……! やっぱりそうなんですね……!」
申し訳無さそうだったヴィヴィアの表情が切り替わり、みるみる間に笑顔になっていく。
まるで暗がりに光が差し込み、みるみる間に明るくなっていくような移りがわり具合だ。
明るい表情を見せたヴィヴィアへ大きく頷き、イツカもかすかに笑みを浮かべる。
「チェスロック様がおっしゃっていたとおり、廊下のあの一角からは嫌な気配を感じたもので……。放置しているとフレーデガル様のお身体に悪影響を与えてしまうかもしれないと考え、少々対処しておりました。チェスロック様がお聞きになった悲鳴はそのときのものです。驚かせてしまい、本当に申し訳ありません」
そういって、イツカはヴィヴィアへ深々と頭を下げた。
ヴィヴィアが屋敷を訪れていることを知らずに呪詛を祓い、驚かせてしまったのはイツカとしても申し訳ないところだ。発された音が悲鳴だったため、大きな不安を与えてしまったに違いない。
イツカが謝ってくるのは予想外だったのか、ヴィヴィアは目を丸くした。けれど、すぐに我に返り、慌てて顔の前で両手を振った。
「そ、そんな……! 謝らないでくださいませ、クラマーズ様! 逆の立場だったら、私も嫌な気配を取り除くほうを優先すると思いますもの。ネッセルローデ侯爵様に何かあってはいけませんものね」
ですので、どうかお顔を上げてください。
慌てた声で言葉が紡がれたあと、ヴィヴィアの穏やかな声での言葉が添えられる。
彼女の声に従い、ゆっくりと下げていた頭を上げ、イツカは再度苦笑を浮かべた。
「……暖かいお言葉、感謝いたします。チェスロック様」
「いえいえ。本当にお気になさらないでくださいね。……それにしても」
一度言葉を切り、ヴィヴィアが無言でイツカを見つめる。
少しの沈黙が続いたが、またすぐに口元へ緩く笑みを浮かべ、途切れた言葉の続きを口にした。
「クラマーズ様は本当にネッセルローデ侯爵様のことを大切に想ってらっしゃるんですね」
そういった瞬間のヴィヴィアは、笑顔を浮かべているはずなのにどこか寂しげにも見えた。
呪詛による被害の相談という負のきっかけだったとはいえ、ヴィヴィアはフレーデガルと親しくしていたに違いない。そんな相手に突然婚約者候補が現れたとなると――親しい人をぽっと出の他者に取られたように感じてしまったに違いない。
ベデリアと話していたときにも感じた罪悪感がイツカの胸に芽生え、つきりとわずかな痛みを与える。
己の中で確かに主張する痛みを飲み込み、イツカは小さな動きで頷いてみせた。
「……はい。まだお会いして日が浅いですが……大事に思っているお方です」
それは、決して恋愛感情からくる想いではないけれど。
真実を胸の中に秘めたまま答えれば、ヴィヴィアの表情がほんのかすかに色濃い寂しさで曇った。
だが、次の瞬間にはまた穏やかな笑顔へと移り変わる。
「……ふふ。ネッセルローデ侯爵様がクラマーズ様のような素敵なお方と出会えて本当によかったです」
ヴィヴィアが柔らかい笑顔で言葉を紡ぎ、優しく目を細める。
「ここ最近のネッセルローデ侯爵様、精神的にすっかり弱ってしまっていたので……どうかクラマーズ様がお支えしてあげてください」
精神的にすっかり参ってしまっていた――というのは、深く考えなくてもわかる。呪詛が引き起こす悪影響のことだ。
どのように切り出すか考えていたが、向こうから振ってきてくれたのはありがたい。
(わたしとお会いする前のフレーデガル様について聞くなら、今がチャンスだ)
お互いに自己紹介は済んでいる。
イツカもヴィヴィアも呪詛や穢れの存在を感じ取れることを知っている。
言葉を選ぶ必要はあるが、話の流れ的にも今なら不自然さを感じない。
――今が絶好のチャンスだ。
「ええ、わたしもそのつもりです。はじめてお会いしたときも、フレーデガル様は大変にお疲れのご様子でしたので……わたしにできる範囲になりますが、お支えするつもりです」
小さく頷きながら答えたあと、イツカはわずかに首を傾げる。
ここからが本題だ。
「ところで、そのことについて少々お聞きしたいのですが……チェスロック様から見て、フレーデガル様のお姿はどのように見えていますか?」
イツカから見たフレーデガルは、いつも大量の黒い靄を――大量の呪詛や穢れを引き連れている。同じように呪詛や穢れの存在を感知できるのであれば、ヴィヴィアから見たフレーデガルの姿も普段とは異なる姿として映っているはずだ。
様子見も兼ねて問いかけてみると、ヴィヴィアが大きく目を見開いた。わずかに時間を置いたあと、そっと唇を開き、イツカの問いかけに答える。
「……その、クラマーズ様だから素直にお答えしますが……他の方にお話しても、信じてもらえないような状態に見えています」
ヴィヴィアの表情がみるみる間に曇っていき、再度不安げなものへと移り変わっていく。
イツカも表情の変化につられ、静かに目を細めて真剣な眼差しを彼女へ向ける。
「クラマーズ様から見たネッセルローデ侯爵様がどのようなお姿になっているか、私にはわかりません。ですが、私から見たネッセルローデ侯爵様は……その、無数の手にいつもお身体のどこかを掴まれているように見えてしまって」
それは――それは、非常に不気味で恐ろしい。
ヴィヴィアの唇から語られた光景を想像したイツカの眉間に深いシワが刻まれる。
イツカは黒い靄として呪詛や穢れを認識しているが、ヴィヴィアはより具体的な形でその存在を認識している。フレーデガルの様子を目にしたときの精神的な負担が大きいに違いない。
けれど、それならヴィヴィアがフレーデガルへお守りを作り、彼に渡したのも納得できる。
「ちょうどそのときに、私に関する噂を耳にしたネッセルローデ侯爵様からご相談を受け、お守りをお渡しして今に至るのですけれど……」
「なるほど……貴重なお話をありがとうございます。チェスロック様」
ヴィヴィアにとって話しにくいだろうことを話してくれたため、非常にありがたい。
彼女への感謝の言葉を改めて口にし、椅子に座った状態のままで深々と頭を下げる。少しだけその姿勢を保ったのち、ゆっくりと頭を上げた。
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