3-3 噛みつき姫の協力者

 なんともいえない沈黙が二人の間に広がる。

 イツカの視線の先にいる女性も、そしてイツカも、なんと言葉を発すればいいのかわからず黙ったままだった。

 互いの姿を見つめ合ったまま、イツカは視線の先に立つ女性の様子を観察する。


 柔らかい印象のある薄茶の髪は、ふわふわと軽くウェーブがかっており、背中の辺りまで綺麗に伸ばされている。こちらを見つめる瞳も同様に柔らかい茶色のため、全体的に優しそうな印象がある。身にまとう衣服は可愛らしさと清楚さを織り交ぜたドレス。爵位まではわからないが、イツカやフレーデガルと同じ貴族だろう。


 己の記憶を探ってみるが、視線の先にいる彼女と同じ特徴を持つ人物と出会った記憶はない――完全な初対面だ。

 けれど、もしかしたらイリガミ様と話しているところを見られたかもしれないという不安で、イツカの喉はなかなか言葉を発せなかった。


(……大丈夫、大丈夫)


 まだ見られたと確定したわけではない。

 繰り返し自分に言い聞かせ、早鐘を打ち続ける心臓を落ち着かせるために深呼吸をする。

 そして、ぱっと笑顔を浮かべ、口を開いた。


「こんにちは、お初にお目にかかります」


 挨拶とともにカーテシーをすれば、視線の先にいる女性もはっと我に返った。

 凍りついていた空気が溶け、広がっていたなんともいえない沈黙も霧散していく。

 女性はイツカの正面に立ち、同じように深々とお辞儀をした。


「はじめまして。すみません、不躾にじろじろと見てしまって……」

「いえいえ、お気になさらずに」


 言葉を交わしながら顔をあげ、イツカは緩く首を左右に振った。

 彼女がどのような人物なのかわからないが、フレーデガルの屋敷の中にいるということは彼と親しい間柄である可能性が高い。親しい人物の屋敷の中に見たことのない人間がいたら、まじまじと見つめてしまっても納得ができる。


(……あれ?)


 そこまで考えたところで、ふとイツカの脳裏にフレーデガルの声がよぎった。


『現在は、不可思議な力を持っていると幼い頃から噂になっている女性に相談し、彼女から受け取ったお守りのおかげで緩和されています』


 イツカに相談してきた日、フレーデガルはそう口にしていた。

 ということは、目の前にいる女性は――もしかして。


「……もしかして、フレーデガル様がおっしゃっていたお方とは、あなた様でしょうか?」


 感じた疑問をそのまま口にし、イツカはわずかに首を傾げた。

 すると、顔をあげた女性が柔らかな茶色の目を大きく見開いた。


「は、はい……。ネッセルローデ侯爵様とは親しくさせていただいていますが……?」


 言葉に詰まりながらも、女性はおずおずと問いかけてくる。

 彼女の問いかけではっと我に返り、イツカは再度ドレスのスカートをわずかに持ち上げてカーテシーをした。


「名前も名乗らずに申し訳ありません。わたしはクラマーズ伯爵家が一人、イツカ・クラマーズと申します。フレーデガル様の婚約者候補として、昨日より屋敷に滞在させていただいています」


 イツカが名乗った瞬間、女性がますます目を見開いた。

 けれど、驚愕の色を明確に見せたのはその瞬間だけ。次の瞬間にはふわりと表情を和らげ、深々とカーテシーを返した。


「ご丁寧に感謝いたします。私はヴィヴィア・チェスロック、チェスロック伯爵家が嫡女です。以前よりネッセルローデ侯爵様よりご相談を受けておりまして、本日もその件で尋ねさせていただいております」


 チェスロック家――少し考えたが、すぐにぴんと来た。

 確か、代々新魔法の研究を行っている家だ。クラマーズ家とは対照的な家のため、過去に参加したお茶会で知った際、記憶にしっかりと焼き付いていた。

 まさか、こんなところでチェスロック家の令嬢と出会えるとは思っていなかった。

 嬉しい偶然に目を丸くしたイツカだったが、すぐにまた表情を緩める。


「お噂はかねがね伺っております。なんでも、新魔法の研究を古くから行っているとか。わたしたちクラマーズ家は古い魔法の研究を行っているため、一度お会いしてみたいと思っていたんです」


 正確には、古代魔法と呪術の研究を行っているのだが、呪術の研究まで行っていることまで正直に伝えると怖がられてしまうおそれがあると考えて伏せておいた。

 笑顔を浮かべたままヴィヴィアに近づくと、ヴィヴィアは一瞬驚いたように肩を跳ねさせたが、やがてイツカの笑顔につられるかのように表情を和らげた。


「……私も、クラマーズ伯爵様のお話は伺ったことがあります。こうしてお会いできて光栄です。……まさか、ネッセルローデ侯爵様の婚約者候補のお方だとは思っていなかったので驚いてしまいましたが」


 ヴィヴィアの言葉を聞きながら、イツカは心の中で苦笑する。

 彼女からすれば前に訪れたときにはいなかったのに、急に婚約者候補が現れたようなものだろう。驚いてしまっても仕方ない。


(わたしだって、まさか嘘とはいえ婚約者候補になるとは思ってなかったもの)


 心の中で呟きながら、イツカはそっと口を開いて答えた。

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