2-5 侯爵の契約婚約者
夕食時なら、もう一度フレーデガルと接触できるかもしれない。
そう考えていたイツカだったが、ベデリアに呼ばれて向かった食堂にはフレーデガルの姿はどこにも見当たらなかった。
なんでも、仕事中にまた小さな怪我をしてしまい、その分遅れてしまったらしい。料理を運んできてくれたメイドの一人からそのことを聞いたときは、思わず眉間にシワを寄せてしまった。
ちなみに夕食はとても美味しかった。一瞬感じた不安や心配が綺麗に消え去るほどの味だった。
「……ネッセルローデ様、大丈夫かな……」
かつ、こつ。軽やかな足音を奏でながら、フレーデガルの姿を探して屋敷の中を歩く。
夕食のおかげで一度は不安や心配が消え去ったが、一人になるとどうしてもぶり返してしまう。仕事中に怪我をしたということは、彼に憑いている呪詛が悪さをしたのだろうし、できればフレーデガルの様子を確認しておきたかった。
使用人たちの誰かと出会えたらフレーデガルがいそうな場所を尋ねてみようか――考えながら歩を進めていたが、ふと視線を向けた窓の向こう側に広がっていた景色に足を止めた。
「わ……」
窓ガラスの向こう側には、夜闇に包まれた庭園が広がっている。
昼間は美しい緑と色とりどりの花々が織りなす自然の美しさを楽しめたが、太陽が隠れた今の時間は夜闇に閉ざされてほとんど見えない――はずだ。しかし、イツカの視線の先に見える庭園は所々が明るく照らされており、夜闇の中でも花々を鑑賞することができる。
故郷であるクラマーズ領では一度も見たことのない庭園の作りに、イツカの目がきらきらと輝く。
フレーデガルを探さないといけないとわかってはいるが、好奇心に背を押されるまま夜の庭園へ行き先を変更した。
ネッセルローデ邸の庭園は、昼と夜とで受ける印象が大きく異なっていた。
庭園を散策しやすいように作られた小道にはテラコッタタイルが敷かれ、歩きやすく舗装されている。小道のすぐ傍には光を放つ魔法石が設置されており、夜闇の中でも足元がしっかり見えるようにされていた。
庭園の中央部に設置された噴水も同様に魔法石でライトアップされている。
小道に沿うように植えられた植物や花々のほとんどは夜闇の中に隠されてしまっていたが、一部はやはりライトアップされており、夜闇の中でも花々の美しさを楽しめるよう工夫されていた。
ライトアップされている花々は夜闇にも負けない白いものが中心のためか、明かりを受けて輝いているように見える。
夜闇に閉ざされた庭園の中、白い花が光り輝いているかのように見える光景は、まるで無数の星々が落ちてきたかのような美しさがあった。
「すごい……こんな庭園の作り方なんてあるんだ……」
イツカがよく知っている庭園といえば、昼間に楽しむことを中心に考えたものだ。しかし、ネッセルローデ邸の庭園は昼間も夜間も楽しめるよう工夫されている。
昼と夜で全く異なる美しさを楽しめる庭園。はじめて目にするタイプの庭園に、イツカの胸が強い好奇心で踊った。
夜特有の少し冷えた空気とともに、花々の柔らかな香りもいっぱいに吸い込んで表情を緩める。
「イリガミ様とも一緒に見たかったけど、誰かに会うかもしれない場所では姿を見せてくれないからなぁ」
小さな声で独り言を口にしながら噴水の前を通り過ぎ、庭園の奥を目指す。
夜闇を恐れずにどんどん進んでいけば、屋根を花々で飾られたガゼボが見えてくる。
はたしてガゼボはどんな状態になっているのか――好奇心に突き動かされるままに歩を進めたイツカだったが、そこにいた人物の姿に思わず目を丸くした。
「……クラマーズ嬢?」
「ネッセルローデ様」
相手がこちらよりも早く名を呼び、イツカも名を呼び返す。
イツカよりも先にガゼボにいたのは、玄関ホールで別れてからなかなか出会えずにいたフレーデガルだった。
ガゼボの中にはティーテーブルと椅子が設置されており、庭園の中で休憩することができるようになっていた。そこの椅子に腰かけていたため、どうやらフレーデガルも庭園を散策しに出てきていたようだ。
探していた本人とこんなところで出会うとは予想していなかったため、イツカの目が丸く見開かれる。けれど、無事にフレーデガルとまた接触できたという安堵感から表情が緩み、ぱっと無邪気な笑みを浮かべた。
「こんばんは、ネッセルローデ様。良い夜ですね」
ぽかんとしていたフレーデガルも、イツカの声ではっと我に返り、穏やかな笑みへ表情を切り替える。
「こんばんは、クラマーズ嬢。……ええ、月も星も楽しめる良い夜です」
そういいながら、フレーデガルが片手で空いている椅子を示してイツカへ着席を促す。
イツカも軽く頭を下げたあと、フレーデガルの隣にある椅子にそっと座り、改めて庭園へと視線を向けた。
奥のほうに設置されたガゼボからは、庭園のほぼ全体を見渡すことができる。ぽつりぽつりと明かりに照らされた花々が見える庭園は、屋敷側から目にしたときとはまた少し違った印象を受ける。
時間帯によってだけでなく、どこで見るかによっても印象が変わる――ああ、本当に何度でも楽しめる素晴らしい作りになっている庭園だ。
「……見事なお庭ですね」
ぽつり。イツカの唇から感動の言葉がこぼれ落ちる。
「わたしの家もお庭には力を入れていますが……夜の間も楽しめるようにはなっていなかったので感動しました」
「もしや、それでここへ?」
「はい。窓から庭園を見たとき、綺麗だと思って出てきてしまいました」
不思議そうな顔で問いかけてきたフレーデガルへ視線を戻し、イツカは小さく頷いた。
夜にイツカが庭園にいたのが不思議だったのだろう――どこか不思議そうな目でイツカを見ていたフレーデガルだったが、返事を聞いた瞬間に納得したような表情へ移り変わった。
「なるほど。クラマーズ嬢のお姿を目にしたとき、何故こんな時間にと思いましたが、そういうことだったのですね」
フレーデガルの目元が優しく緩む。
心底嬉しそうに、どこか照れくさそうに。
つぃ、と。イツカの視線を追いかけるかのように、フレーデガルの目も庭園へと向けられる。
「私の希望を聞いたうえで、要求以上のものを作り上げてくれた庭師たちには感謝してもしきれないくらいです。また調査に疲れたときにでも、息抜きで楽しんでくれたら嬉しいです」
「あら、それならお言葉に甘えさせていただきますね。ありがとうございます、ネッセルローデ様」
ぱ、とイツカがフレーデガルへ視線を戻し、無邪気な笑みを浮かべる。
フレーデガルも視線に反応してイツカを見やり、目を細めて柔らかく微笑んでみせた。
だが、次の瞬間には両者とも再び夜の庭園を見つめ、唇を閉ざした。
しんとした静寂が二人の間を包み込む。
「……屋敷の中はどのような状態でしたか」
夜の静寂を破ったのは、フレーデガルだった。
屋敷の中はどうなっていたか――ぱっと聞いただけでは言葉どおり、イツカから見た屋敷の状態を尋ねる言葉だ。しかし、フレーデガルが言葉どおりのことを尋ねたいわけではないのは簡単に読み取れる。
庭園をじっと見つめたまま、イツカが彼の問いかけに答えるため、口を開いた。
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