六章 6

 喜び狂うアリスを見つつも、これは必要な医学だとシャルロットは感じた。

 現時点でできることはこの程度が限界だろう。いくら義足を調整したとて、そもそもの性能が伴っていない。義足そのものを改良する必要があった。

 そして都合よくそれを可能とする人材が手元にある。

 今後のためにも、やらない理由はなかった。


 トーマスは師であるシャルロットから予想外の指示を受けた。

 いわく、木工職人としての腕を活かしてアリス・バックマンの新たな義足を作成すべし。期限は問わない——とのことだ。

「君から見てもこの義足が足りていないのはわかるだろう。だから、彼女に相応しい性能の義足を考案し作り出せ。無論私も協力する」

 横には飽きもせず立っては倒れるアリスがいた。泣きながら笑う彼女を見ていると、常に抱えていた劣等感が軽くなっていた。

 腹を括った。


 翌日から、シャルロットとトーマスは毎日アリスの元を訪れるようになった。

 まず第一に取り掛かったのは、義足に関節を作成することだった。

 これは簡単なようで難易度が高い。人間の関節は冗長性が非常に優れており、折り曲げるだけでなくある程度回転させることができる。それに加えて、衝撃を吸収できる機能も備わっている。現在の木工技術で再現するのはほぼ不可能だった。

 どのみち自力で動かせないのであれば関節などいらないのではないかと姉やトーマスは疑問を持ったが、シャルロットは「力が入らなかったとしても、膝を曲げずに立てますか?」と鶴の一言で二人を納得させた。

「やはり球体関節しかないか」

 義足の関節作成にはシャルロットの知識が用いられた。トーマスに原理から作成までの手順を伝えると彼は高すぎる作成難易度に顔をしかめたが、文句も言わずに作業に取り掛かった。実現した際のメリットを考えれば、やってみる価値はあった。

 トーマスは己の技術だけで義足の作成は困難であると実感すると、実家の兄たちを頼った。家族に球体関節の作成について相談すると、兄たちに火がついた。義足の作成を全面的に協力してくれるとのことだ。極めて高度で活用がいのある技術を実現することに、ある種のロマンを感じているようだった。


 トーマスが家族と共に球体関節機構の作成する一方、シャルロットはアリスのリハビリテーションに力を尽くした。

 長らく歩行が困難だったアリス・バックマンの肉体は衰えに衰えていた。太ももから先が欠損してしまった右足はもちろん、左足も体重が支えられないほど筋力が落ちてしまっていた。

 それだけでなく、関節自体も動きが少なかったことが原因で固まってしまっていた。

 シャルロットはトーマスについでとばかりに松葉杖の作成を依頼すると、物が届くと同時にアリスのリハビリと歩行訓練を開始した。


「ああああああああっ!」

 軍の施設内にアリスの甲高い悲鳴が響き渡る。

 リハビリにはブリジットも付き添っていた。まずはアリスの固まってしまった関節をシャルロットの手でほぐしていく。ブリジットも妹の指示に従い手伝った。

 固まった関節を再度元通りにするのは苦痛が伴う。アリスの関節に手を入れる度に悲痛な叫びがこだました。

 涙と涎を流しながら叫ぶアリスに思わずブリジットは目を逸らしそうになる。けれども妹のシャルロットは決して視線をアリスから外さなかったのを見て堪えた。


 関節がある程度柔らかさを取り戻してくると、シャルロットは次いで歩行訓練に乗り切った。

 棒もどきの義足をつけ、松葉杖を使いながら一歩ずつ前へ足を踏み出していくアリス。当然上手く進めずに何度も転倒して床を舐めた。どうにかバランスを掴めるようになっても、今度は体力が枯れ果てた。

 牛の歩よりも遅い速度で進んでいるのに、一刻もしない内に疲労困憊となってしまう。軍務にあたっていたころとはまるで変わってしまった己の体に、アリスは愕然とした。加えて関節の痛みも完全には治っておらず、せっかく掴んだバランス感覚も痛みと疲労でまるで役に立たなかった。


 訓練開始から何度床に転がっただろうか——ついにブリジットが耐え切れなくなった。

「……ここまでする必要はあるのか?」

「ここまで、とは?」

「アリスはよくやっている。これでは拷問のようではないか」

 ブリジットは口を濁したが、実際に施設内でそのような噂が蔓延していた。

 いわく、公爵家の次女は退役した軍人に対して残虐な行為を行なっているだとか。歩けない者を叱咤し悦に入っているだとか。公爵家の力を振り撒いて逆らえぬ者を虐げているだとか。様々な悪噂がブリジットの耳にも届いていた。そしてアリスに対しても媚びへつらう奴隷だの、拷問にも気づかぬ間抜けだの、散々に見下され嘲られていた。

 おそらくシャルロットも知らぬわけではないだろう。彼女に診察された患者以外には、何をしているかなどわかりようがない。

 けれどもシャルロットは折れなかった。

「時間をかければかけるだけ、彼女の体は衰えていきます。そのことに比べれば、悪評ごときが何だというのです、姉上」

「……しかしだな……」

「仮にここで訓練を緩めたとしても、彼女の為になりません。アリス・バックマンは例え歩けるようになったとしても、今後他人から特異な目で見られることは避けられないでしょう。健常者と彼女にはそれほどの差があり——それが私の医学の限界です。であるならば、私は私が忌み嫌われようとも、止めるつもりはありません」

 シャルロットはヨハンが冷たさを感じたのと同じ眼差しで断言した。

 もちろんブリジットは家族として姉として、シャルロットが為そうとしていることを理解している。妹はどれだけ時間が経とうともアリスから視線を外さない。それはアリスが怪我をしないように助けるためだったし、無理をしすぎて逆効果にならないようにコントロールするためでもあった。

 しかし周囲にはそんな意味は伝わらない。ただただアリスをいたぶっているような勘違いをされるのも、それをアリスが受け入れているように見られるのも、ブリジットは我慢ならなかった。


 言い争うブリジットを止めたのは、アリス自身だった。

「やめてよ、ブリジット。あんたの妹が正しいわ。悪いけどあたしにはあんたたちに付き合ってもらうしかないのよ」

 のろのろと松葉杖を支えに立ち上がったアリスがブリジットを睨みつける。額に脂汗を浮かばせ、苦痛に顔が歪んでいる。けれども以前ベッドに横たわっていたときと違い存在感の薄さは消し飛んでいた。

「あんたの妹はすごいわよ。周りの連中がそれに気づかなかったとしてもあたしにはわかる。あたしの体が言ってる。日に日に立てる時間が長くなってる。進める歩数が多くなってる。それを実感してるんだ」

「……アリス」

「見返してやるわよ。あんたの妹の言う通り、これからのあたしの人生にはこんな連中がつきまとうことになるんだわ——あたしを捨てた実家の奴らみたいなのが。だけど、あたしには関係ない。苦痛も情けなさも罵倒も、もう一度歩ける喜びに比べたら屁でもないわ。そして絶対に歩けるように、走れるようになって、あたしとあんたの妹を嗤った奴らをことごとく見返してやるわ」

 瞳は爛々と輝いている。それはかつての友にあった力強さを上回る生命力の輝きだった。

 ついにブリジットは何も言わなくなり、アリスの補佐に尽くした。

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