六章 4
軍施設に到着した一行は、そのままブリジットの導きに従って様々な容態の後遺症を目の当たりにしていった。
片目の視力を失った者、手の震えが止まらなくなった者、関節が曲がりにくくなった者——ひとりずつ診察を行うシャルロットを、医師の卵たちは見守るしかなかった。
治癒魔法では救われず、シャルロットの医学をもってしても匙を投げるような患者も存在した。生々しい戦場の爪痕に次第に言葉をなくしていった。
けれどもシャルロットは決して診察を中止しなかった。冷静な眼で軍人たちを見つめ、診断し、ときに改善させることもあった。
教習生五名はそれを神聖なもののように見続けていた。
「ここが最後の相手だ。三年ほど前に国境で競り合いがあったとき、敵の魔法の流れ弾が彼女に直撃した。一命は取り留めたものの、代償は大きかった」
ブリジットは悲痛さを滲ませる。
「彼女の脚は半ば以上粉々になった。なんとか治癒魔法で回復させたが、厳しい戦場に治癒士も限界で、浄化魔法を使う魔力が残っていなかった。その結果、戦場から帰還する頃には彼女の右脚は腐り落ちた」
傷口などに治癒魔法を行使する際は、原則的に浄化魔法を併用するのが鉄則である。これをしないと仮に傷が回復したとしても、後から問題が起こる可能性があるからだ。医学的に考えるのであれば、傷口に残る細菌類が人体に悪影響をもたらすためだと、教習生たちも教わっていた。
「彼女が私の友人——アリス・バックマン男爵令嬢だ」
窓際に置かれたベッドに、女性が身体を起こして座っている。
ショートカットの黒い髪に切長の目が印象的だが、何を想うのかわからないほどに感情の色が薄い。手足は痩せ細り、右脚は太ももの半ばからその先を失っている。幽鬼と見間違うほどに存在感がなかった。
「ブリジット——また来たのね」
「ああ、アリス。懲りずに今日も来たさ。友人だから、な」
「悪いけど、何度来ても無駄よ……。あたしにはもう、何も残ってないわ」
膝元に目線を落とし、失われた己の脚を見る。
「もう、あたしはあんたと一緒には走れないのよ」
アリス・バックマンは本来、快活で男勝りな令嬢だった。
貴族とは思えない立居振る舞いが目立ったが、そんな性格が逆にブリジットと気があった。爵位の差は大きかったが、互いに気にもせずに対等に友人関係を築き上げた。
やがて二人は魔法の才能に優れていたこともあり、部隊の下士官に昇進した。祝いの席の堅苦しさに揃って抜け出し、軍の寮に隠して持ち込んだワインで杯を交わした。全てが順調だった——あのときまでは。
三年前、突如として隣国が軍の動きを見せてトラヴァリア王国が警戒体制に入った。国境付近で怪しい動きを見せる隣国を牽制するため、王都からも軍が派遣された。その中にブリジットとアリスも含まれていた。
それはやはり唐突に起こった。宣戦布告も警告もないままに、隣国軍は王国軍に襲いかかってきた。奇襲に等しい攻撃に王国軍は瓦解しかけたものの、現場の指揮官たちによってかろうじて持ち堪えた。ブリジットたちは死力を尽くしていた。
混乱する戦場で、ブリジットが見えたのは、闇雲に放たれた敵の魔法が近くで味方を鼓舞していたアリスに当たったところまでだった。
その後戦場が落ち着きを取り戻すと、ブリジットは片脚を失くしたアリスを抱えて恐慌状態のまま治癒士を求めたが、ようやく見つけたときには魔力が尽きかけている有様だった。やむを得ず浄化魔法を使わずに治癒魔法だけをなんとか使用した。それが限界だった。
戦が終わりブリジットが友人を訪ねると、そこには溢れるばかりだった気力も生命力も無くした死体と変わらぬ彼女がいた。
世は能力の劣った者に厳しい。それが貴族社会なら尚更である。歩行という大多数が問題ない能力を失った彼女に、人々の目は冷たかった。
実家の男爵家には見捨てられてほぼ絶縁状態となり、軍人としても歩けぬ者が役に立つ道理はなかった。
アリス・バックマンは貴族令嬢としても軍人としても死んだも同然となった。
彼女はもう、自身が生きている価値を見出せなくなっていた。
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