六章 3

 ブリジットが襲来したのは、シャルロットとカイエンが新人医師五人の教育を進めているときだった。

「久しいな、我が妹よ! 今日は侯爵に呼び出されていただろう! 私が案内役を賜ったぞ! さぁ準備は済んでいるか!」

 大声で教習中の部屋に突入してきたブリジットに、一同はしばらくの間固まって動けなかった。あまりに大きな声だったのもあるし、状況の確認もなしに部屋に突っ込んで来たのが公爵家の令嬢なのかと驚きもあったし、なにより急すぎた。

 教習生五名はいずれもぽかんと口を開いてブリジットを見ている。教壇ではシャルロットがこめかみに手を当て項垂れ、部屋の一番後ろではカイエンがぷるぷる震えていた。久方ぶりとのことだが、前回会ってから半月も経ってはいなかった。

「姉上、呼び出しはもう少し後のはずでは?」

「ん? そうだったか? まぁいいではないか」

「よくありません。まだ私は彼らの座学の講義中です」

「硬いことを言うな、我が妹よ。いっそのこと此奴らも一緒に連れて行ってしまえば良いではないか」

「無茶を言わないでください」

 からからと笑う姉をシャルロットは非難する。

 どうやら教習は終了するしかないようだと、カイエンは苦笑して片付けを開始した。教習生たちもそれに倣った。


「さて、話の腰を折ってすまないが、私は冗談ではなく彼らも連れ立っていくべきだと思っている。実際、アストリア侯爵から教習生五名の同行の許可も出ていてな。お前次第だが、彼らを連れて行っても全く問題はないのだよ」

 真顔に戻るブリジット。そこに嘘はないようで、シャルロットは怪訝な顔に変わった。

「どういうことです? 私が聞いたのは、後遺症に悩む軍人方を診察することのみです。そこに新人教育の話は出ていなかったはずですが」

「さてな、私も軍人として侯爵どのから指示を受けたにすぎん。元より貴族としては立場を離れつつある私に、貴族の意図などわかるはずがあるまいよ。しかし、新人教育にはちょうど良いのも事実なのではないか?」

「確かにそうですが……」

 結局、二人だけでは判断できずに、彼ら自身がどうしたいかを確認することとなった。カイエンがひとりずつ希望を聞いていく。

「我々二人は、ぜひ」

「シャルロット殿の術が見られる機会を逃す気はないですよ」

 真っ先に同行を希望したのは、侯爵から預かった二人だ。

 彼らは先の外科手術で治癒魔法役を務めた二人であり、シャルロットの医学と技量に惚れ込んで医師を志した。どのような形であれ、シャルロットの行う医術を見逃すつもりはなかった。

 それを聞いた残り三人の内二人も、すぐに同行を決めた。自ら希望して医師を目指す者たちの向上心ゆえか、非常に乗り気である。

 最後の一人が、迷いを見せた。

「僕はまだ座学もぜんぜん理解しきれてないし、ついて行って邪魔になるかもしれないです……」

 彼は貴族でも治癒士でもなく、領民の応募から採用した人物であった。


 彼——トーマスは、アインドルフ公爵領で木工職人を営む家の三男である。

 平民の家の三男というのは、実に厄介な立場だ。家業は余程のことがない限り長男が継ぐものだし、仮に長男が何らかの理由で家を離れたとしても次男がいる。とりあえずで技術を学んだものの家に居続けられるほどの余裕もない。トーマスが木工職人として父の跡を継ぐ未来はほぼなかったと言っていいだろう。

 平民の三男は大抵の場合トーマスと同じく立場を持て余す。せいぜいが軍人として国に勤めることが精一杯なのだ。

 だがトーマスは、父譲りの手先の器用さがあった。

 いよいよ軍に入るしかないかと決意を固める寸前に、公爵家からの募集要項が飛び込んできたのだ。

 医師という職が何なのかは今ひとつ理解できなかったが、細かい作業が得意な自分にもチャンスがあると思い切って志願したところ、見事採用されたのだ。熱意ある他の四人と己を比べるといたたまれない気分になってしまうため、五名の中では浮いた存在になってしまっていた。


「トーマス、あえて言うが、俺から見てもお前が他の四人に劣っているところがあるのは確かにそうだ。しかしそれは今までの人生をどのように歩んできたかの差だ。医師としての教育環境は全員が平等なのだから、お前には大きな伸びしろがある。それをみすみす見逃して後悔はないのか?」

「それは……」

「俺もお前と同じ医学とは縁遠かった平民だけどな。お嬢には死ぬ気でしがみついてる。諦めなければ何とかなるもんだぞ」

 しばらく躊躇いを見せたトーマスも、これで決心がついたようだった。

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