六章 2

「随分と手酷く当たったな、ルーカス。狐に思うところがあったか」

 会議が終えた後、言論をまとめるルーカスにアストリア侯爵が寄ってきた。

 ふたりは高位貴族として付き合いが長い。加えてアインドルフ家の長姉ブリジットは軍属であり、その意味でも知らぬ仲ではない。

 馴れ合う関係ではないが、必要に応じて手を取り合い、ときに対立する。ルーカスとしてもグラファイドは手応えのある貴族として親交を深めていた。

「グラファイド侯。私は宰相として勤めを果たしているだけだよ。伯爵の行いに思うところはあるけれど、仕事に私情は挟まない」

「であろうよ。しかしお前にしては血の気が多かったではないか。普段ならもっとあしらうであろう?」

 ルーカスは肩をすくめる。伯爵に妨害され、一部の場で報復しているのを誤魔化す気はないのだが、ことさらに言いふらすつもりもなかった。

「まあ良い。それでだ、お主に頼みがある」

「治癒士二人を受け入れる以外にまだ何かあるのかい?」

「お主の娘を、少し貸して欲しいのだ」

「シャーリー……シャルロットを?」

「そうだ、聞いてくれ」


 グラファイドがルーカスに語った内容は、あの兵士以外の後遺症を持つ者たちの診察ができないかというものだった。

「軍人が後遺症を負って働けなくなるのは昔からの社会的な問題であろう? 少しでも改善できるのであれば、惜しみたくないのだ」

「なるほどね……。確かに今までは実質捨て置かれてしまっていた状況だし、娘もできる限りのことはしてくれるはずだ。病院のための実績づくりとしてもちょうどいい」

「であろう? 正直に言うと俺はあの場では賛成の立場にいたが、お前の娘を全面的に信用しているわけではない。後ろ盾がお前でなければ間違いなく反対していただろう。しかし軍人にとって有益なのも確かなのだ」

 グラファイドは顔をしかめる。

 珍しい様子にルーカスは片眉を下げた。未知の技術と知識に不信感があるのだろうが、この男がそれをはっきりと口にするのは極めて稀だった。

 繋がりがあっても貴族は貴族である。己の弱みになるような言動は避けるのが常であり、まして侯爵ともなれば言うまでもない。

 問いかける視線に、グラファイドは小さく呟く。

「あの場にいなかったお主にはわかるまいよ……兵士の治療であると知っていなければ、神に歯向かう儀式だと言われても違和感はなかったからな」

「私も父親だ。あの子の異質さはよく知っているよ」

 ある種の悟りを得て、ルーカスは返した。

 ルーカスは侯爵を否定しない。できるはずがなかった。


 今、ルーカスの手元には先程の会議では未提出の要望書がある。侯爵に見せるつもりはまるで無いため、伏せている。

 それは、死者——遺体の解剖嘆願書だった。


 アストリア侯爵領から来る二人の治癒士を合わせると、現時点で医学の学習を希望する者は五人に達していた。それを知ったシャルロットは本格的な教育に乗り出すこととなったのだが、同時に希望されたのがこの遺体解剖についてだった。

 医学の基礎知識である人体の仕組み——それを知るのには実際に検分するのが必須だとシャルロットは言った。

 罪人でも誰でもいいからと、解剖を求められた。

 人の身体のどこに何があるのか、それはどういった機能なのか、手術する際にはどうすればいいのか、医学の全てに通じる道だと。

 ルーカスも理性では納得できる。だが感情面で忌避感が働くのは避けられなかった。

 遺体を辱めるに近い行為を平然と娘が希望したとき、わずかながらも逡巡した。すぐさま必要な覚悟だと腹を括ったものの、躊躇いがあったのを恥じた。ルーカスやマリアの誓いに背くものだったから——この世界ではルーカスの反応が一般的なものだったとしても——だ。


 実の父であるルーカスでも娘の全てを受け入れるのは困難なのだから、グラファイドが不信感を持つのは致し方ないのだ。

 ルーカスにできるのは、その上で可能な限りの理解を周囲に広めることだった。

「まぁ、良い。今はあの娘の力が必要だ。俺にはそれがわかっていればいい」

「ああ、私も全力を尽くす」

 二人は用は済んだと互いに踵を返した。

 少し歩を進めたところでグラファイドが振り返って見ていたが、ルーカスは気づかなかった。

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