五章 9
「それで、その兵士と牛痘法はどうなったんだい?」
アインドルフ公爵家に戻ってきたシャルロットとカイエンは、ルーカスに今回の報告を行っていた。横では母マリアも興味深そうに耳を傾けている。
「お嬢の手術によって兵士は完治。その後予定通りに牛痘法についても侯爵領で推し進めることを確約いただきましたよ」
「ふむ、ならば良しとしよう。シャーリーの手術がこの目で見られなかったのは無念だけれどね」
「まぁ、お嬢が凄まじすぎて、少々見せつけてしまった感は否めませんが」
「気にする必要はないさ。さあ、休んでおいで。疲れただろう」
ルーカスは手を仰ぐと、二人を退室させた。
二人の足音が遠ざかるのを聞くと、ルーカスとマリアは顔を見合わせて溜め息をついた。
「まさかアストリア侯爵にも手が及んでいたとはね」
「左様ですわね。けれども、シャーリーの力で姑息な計は退けられたようでなによりですわ」
「余計に警戒させてしまったかもしれないけれど」
「それはそれ、ですわ旦那様。あの子の価値がわかれば迂闊に手を出すことなどできませんわよ。もし手出しするのであれば容赦しなければ済む話ですわ」
マリアは持っていた扇を翻す。口調とは裏腹に、娘を危険に晒してしまった怒りが口元に滲んでいた。それはルーカスも同じ想いだった。
苦笑して、妻の怒りを宥める。失敗に対する反省は必要だが、いつまでも同じところで足踏みするほど時間の余裕はなかった。
ルーカスとマリアは今後の展望を話し合う。
マリアは既にコントーレ伯爵家に社交で圧力を加えていた。伯爵家はしばらく針の筵のような立場になるはずだ。それほどの影響力がマリアにはある。
ルーカスも伯爵家の妨害に対応しつつ、着実に人材を確保していた。
「少し気になるのが、王妃様の目つきですわね」
「キャンベリー妃がかい?」
「ええ、あの方は昔から野心家でしたけれど、最近は特にわたくしを見る目が変わりましたわ」
「王妃の野心の対象は、シャーリーの医学に関することだろうね……」
苦虫を噛み潰したような顔になるルーカス。
王家の支援は有り難いが、過度に干渉されるのは得策ではない。
病院事業は王国としての施策だが、可能な限りシャルロットの意向に沿うように練られている。そこを王家に掻き回されれば、シャルロットが気持ちを裏返すことになりかねない。それだけは避けたかった。
「あと少しで人材も確保できるところまで来ている。あの子のためにもより慎重に事を進める必要がありそうだ」
半ば独り言としてこぼすルーカスに、マリアは艶やかに微笑んだ。
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