五章 1

 彼にとって、治癒魔法とは何なのか。

 問われれば何の迷いもなく答えるだろう——己の全てである、と。


 魔法とは貴族の誇りである。

 トラヴァリア王国の歴史は、魔法と共に始まる。力を持たない民たちが村とも呼べない共同体で寄り添っていた中、初代国王が強大な魔法の才をもって民をまとめ、敵を排除し、地を治めることでこの国は成り立った。

 そうして国と成ってからは民たちの間でも徐々に魔法の才に恵まれた者が増えていき、彼らは初代国王に倣って魔法で民を守るまでに至った。これが現在の貴族である。

 故に貴族は魔法を尊ぶ。己の立場があるのは、魔法によるものなのだから。それは彼の家も例外ではなかった。


 伯爵家に生まれた彼は、非常に優れた魔法の才能があった。

 赤子の頃より次期当主として求められ、物心がついたときには既に魔法教育が始まっていた。記憶に残っているのは、教師役に見せられた治癒魔法を何の苦労もなく発動させたことだろうか。幼いながらもやはり秀でた才覚を見せる彼に、家族は大いによろこんだ。

 彼自身も自らの才能を磨くことに異論はなかった。時間を費やせば費やしただけ、彼の魔法は進化していった。成人するときには、治癒魔法において彼に並ぶ者は存在しなくなっていた。

 そしてついに国にすら認められることとなり、伯爵家としては初めて治癒局長として任を受け、それから十年に渡って局長を務め続けている。

 それが彼––シンネル・コントーレ伯爵だった。


 先日の王宮での議論を思い出すと、彼ははらわたが煮え繰り返る。

 国王と王妃の両名による珍しい呼び出しに参上してみれば、そこで議論されたのは治癒魔法とは異なる『医学』なるものの話だった。

 それまで治癒魔法でも対処できなかった天然痘が、魔法すら使わずに予防ができるといった議題を聞いたとき、シンネルは鼻で笑った。そんなことができるはずがない、と。


 なんでも牛痘法とかいうその方法は、敢えて牛痘に罹ることで天然痘を予防できるという胡散臭いにも程がある内容だった。そんなことで治癒魔法ですら治らないあの死の病が防げるものか。

 しかし、論と同時に提出された資料には、確たる事実が記されていた。

 人が持ち得る抵抗する力を利用し、病に対して学習させる。シンプルでいて高い効果を発揮したそれは、さまざまな治癒魔法を網羅したシンネルでも理解も想像も追いつかないような代物だった。

 奥歯が砕けそうなほど歯を軋ませた。

 シンネルは議題の提出者であるアインドルフ公爵を隠れて睨んだが、公爵は意にも介さなかった。


 よりによって魔法ですらないその方法は、シンネルには到底受け入れられなかった。

 魔法でないということは、貴族の誇り高き手段ではないということだ。そんなものを平然と提出する公爵にも、普及させるつもりの国王たちも、呼応する貴族どもも許せなかった。

 魔法こそが彼の全てだった。


 手元の牛痘法、並びに病院設立の計画書を見やる。

 暗い炎が彼の魂で燃え盛っていた。

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