四章 5
ルーカスは王宮の執務室にて、国王と王妃が話し合うのを黙って待ち続けた。
今は二人のみでは決められぬと、ルーカス以外の主要な貴族も集めて、事の是非を議論している。
あの後、勇気ある子供とその家族は問題なく復調した。
それを見た他の領民も、ぽつりぽつりと接種を希望する者たちが出てくることになった。ひとりの子供の勇気が、頑なだった領民を理解に導いていた。やがて領民の半数以上が、自分から接種を求めてやって来た。しばらくはシャルロットが忙殺されてしまったため、他の領民への説明会は主にルーカスやマリアが担った。
無論全ての領民の理解は得られなかった。しかし接種が進むにつれて、天然痘に罹る者の数は明らかに減少していた。
王宮に提出する資料をまとめたとき、調査結果を以前と比べてルーカスとマリアは抱き合った。ブリジットは朗らかに笑い、ヨハンはただただ喜び、カイエンは秘蔵のワインを開けた。家臣たちも大いに喜び、宴が開催された。それほどの快挙だった。
だから、ルーカスたちは次に踏み込んだ。今度はトラヴァリア王国にシャルロットの医学を広めるために。
結局、改めて大会議を開くことになりその場での決定はなかったものの、ルーカスは強い手応えを感じていた。
国王と王妃はむしろ牛痘法を広める前提での問題点などを会議で洗っていた。病院に関しても感触は悪くなく、貴族たちも半分は強い興味を表して議論に当たっていた。
少々気になるのは、治癒局長のシンネル・コントーレ伯爵か。
上手く隠してはいたものの、時折憎々しげな黒い視線をルーカスに向けていた。おそらく治癒魔法を使う貴族としてのプライドに触れてしまったのだろう。
とはいえ、もうルーカスは止まる気はない。このまま病院の設立まで走り抜けるつもりだった。
それがあの子の親となった自分の責務だと信じていた。
アインドルフ公爵家のサロンは、先日と異なって軽やかな空気が築かれていた。
お付きの侍女を下がらせると、マリアは優雅にカップに口をつける。洗練された動作が高い気品を感じさせた。
「これであの子の医学は王国全体に普及していくことになるでしょう。わたくしも忙しくなりそうね」
言葉にすることでより実感が得られた。
牛痘法は王宮——いや、トラヴァリア王国そのものに激震が走るだろう。そして誰もが気づくはずだ。牛痘法をもたらした者——シャルロット・アインドルフとアインドルフ公爵家の価値について。
「ブリジットは放っておいても自分でなんとかするでしょうね、あの子はわたくしに似て図太いもの。ヨハンはまだ若すぎるからそこまでの力はないし、ちょっかいをかけられる心配は薄いわ。問題はやっぱりシャーリーよねえ」
今回の件でシャルロットには王家や貴族から注目が集まるだろう。それは好意的なものだけでなく、敵意も含まれているはずだ。
今後医学を広めることに妨害は間違いなく入る。けれども、マリアも好きにやらせるつもりは毛頭なかった。
「まずはこのまま医学が有益なものだと印象づけていくしかないかしら」
既に社交の場で各家のご婦人たちに、医学についてはそれとなく情報を流している。マリアはただの女ではない。公爵家夫人として、この手の情報操作はお手の物だった。
「必ず守るわ。どんな手を使っても」
ひとり紅茶を嗜むマリアは、消えない誓いをその胸に宿していた。
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