四章 4

「だからよぉ、何回言やぁわかるんだよ! 俺たちはそんなわけのわからねえもんを体に入れたくねえんだよ!」

「牛の膿を体にいれるなんて、牛になっちまったらどうすんだい!?」

「天然痘は嫌だけど、わざわざ別の病になるのもやっぱり嫌だわぁ」

「なんだかよくわかんねえけど、本当に必要なことなんかい?」

 牛痘法の試験が終わり、いざ民への接種を始める段階になると、新たな問題が浮かび上がっていた。

 アインドルフ公爵領のとある小さな村。そこで民に牛痘法の説明会を開いたところで、烈火の如く猛烈に反対されたのだ。

 こうなることは半ばわかっていた。それでもシャルロットは説明会を開いた。

「私はこれ以外にやり方を知りません」

 領民が抱える不安は、既に接種が終了した公爵家側から見ても理解できるものだった。なにしろ自分たちですら、最初から諸手を挙げて賛成し接種することはできなかったのだから。

 しかし公爵家や家臣たちと領民には明確な差があった。公爵家に仕える者たちは勉学にも通じた優秀な者たちばかりだ。それと比べて農地を営むような民たちは幼いころから仕事に励む。教育など受けたことはなく、説明会の内容を理解できる者などほとんど存在しなかった。

 公爵家からの命として領民に強制接種させることもできなくはない。だが、その方法はシャルロットが頑として首を縦に振らなかった。

 諦めずに何度もシャルロットは説明会を開いた。その度に領民の間から怒号が走った。

「俺たちを殺そうってんだろ、この冷血女!」

 同行していたヨハンやカイエンの血の気が引いた。彼女の前世を聞くに、禁忌に等しい言葉が投げつけられた。

 あまりの無礼さに家臣が罵声を浴びせた民を拘束しようとするも、シャルロットが押し留めた。

「彼らは病にただ怯えているだけだ」

 静かに言うシャルロットに、家臣は血が滲むほど手を握りしめていた。


 ルーカスやマリア、ブリジットも協力して手を尽くした。

 シャルロットやカイエンに任せきりにせず、公爵家当主やその妻として村に赴いて、学んだことを民に丁寧に説明し続けた。

 心がすり減るような時間だった。医学の厳しさと難しさを実感していた。

 一筋の光明が差すのは、もう少し後になってからだった。


「お姉ちゃん、この針をさすとびょうきにならなくてすむの?」

 今日も手応えのない説明会を終えたシャルロットに、ひとりの小さな子供が声をかけてきていた。説明会に参加していた農民の子だった。

 慌てて家臣が対応しようと動くも、シャルロットが制止した。膝を折って子供の視線に合わせると、いつもの無表情をほんのわずかに柔らかくした。

「ああ、そうだよ。この針を刺すとほんのちょっと辛くなってしまうけれど、その後には大きな病気にならなくなるんだよ」

「そうなんだ。大きなびょうきになっちゃうとどうなるの?」

「辛いのはもちろんだけど、ときには死んでしまうかもしれない。それに君のお父さんやお母さん、お友達が同じ病気になってしまうかもしれないんだ」

「ぼく、おとうとができたの。ちっちゃいあかちゃん。おとうともびょうきになる?」

「そうだね、もし君が病気になってしまったときは、気をつけないといけない」

「ぼく、これ、やりたい」

 横で固唾を飲んで見守っていたカイエンがのけぞった。信じ難かった。

 子供は震えていた。怖いのだろう、けれども弟のためとありったけの勇気を振り絞っていた。尊敬すべき勇気だった。

 シャルロットは子供から目を逸らさなかった。

「よし、君のお父さんとお母さんはどこかな?」


 赤子を背負う女と並び立つ男が親だった。

 シャルロットは彼らに経緯を話すと、改めて牛痘法の説明をした。

 説明を終えると、深々と腰を折り、子供の両親に願いを告げた。

「どうか私にやらせていただけませんでしょうか。この子だけでなく、よろしければあなた方も。私も力の限りを尽くさせていただきたい」

 公爵家の令嬢から頭を下げられた彼らは、予想外の事態に困惑した。だがあまりにも真摯なその様子に、ついに子と共に接種を受けることを承諾した。

 すぐさま準備に入ると、その日のうちに赤子を除く三人に接種を済ませた。

「彼らが落ち着くまで、私は帰らない」

 告げるシャルロットに、カイエンも無言で付き従った。

 やがて彼らが牛痘を発症し、問題なく症状が収まるまで、ほとんど付きっきりでシャルロットは対応に当たった。

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