四章 3

 ルーカスは即座に牛飼いと天然痘の関連について調べ始めた。

 現時点では国として動かず、あくまで公爵家の家臣を動員した。といってもアインドルフ家で使える人間はほぼ全てを調査に派遣したことから、ルーカスの本気が垣間見える。

 牛飼いは日常的に牛と接するため、一般の民と比べて牛痘に罹患する者は多い。公爵家の調査員は、丁寧にその者らに聞き込みを進めていった。するとシャルロットが言ったように、牛痘に罹った上で天然痘に感染した者は皆無であることがわかった。

 調査員からの報告にルーカスは歓喜した。体を休めていた愛妻の元に駆け込み、勢いのままに抱きしめたほどである。何事かと驚くマリアに、天然痘の予防法が確立できるかもしれない旨を伝えた。マリアも淑女らしく喜びを共にした。

 長く民を苦しめてきた天然痘に対する予防法は、それほどまでに待ち望まれたものだった。

 しかし、シャルロットはいまだ思案をやめない。

 本当の苦難は、むしろここからなのだと歴史から知っていた。


「さて、父上に母上。幸いにも牛痘による天然痘予防はこの世界でも通用しそうです。次の段階に移りましょう」

 次の段階——つまりは、牛痘を人為的に感染させることである。

 ここにきてルーカスとマリアは大きな問題が残っていることに気づく。誰が好き好んで自ら病になるというのか。牛飼いが牛痘に罹りやすいのを許容するのはそれが職務であるからで、彼らとて自分から進んで病を受け入れたわけではない。

 安全性が高いといってもあくまで病である牛痘を、何の実験もせずに民に広めることなど出来ようがなかった。

「まず私が牛痘法を受けるのは確定です。自身の発案ですし、自らの体で観察するのは非常に効率が良い。しかし私ひとりの試験で安全性を実証することなど不可能です。十代から六十代程度の健康な男女を合わせて百人は最低でも試験に必要でしょう」

 これが非常に難航した。誰だとてよくわからないものを体に入れたいはずがない。試験希望者は一向に集まらなかった。悪く言ってしまえば生贄なのだから当然と言えば当然だった。


 困り果てるルーカス。ついにマリアが声をあげた。

「旦那様、やはりわたくしが試験者になりましょう。健康とは言い難い身ですが、数合わせのひとり程度にはなれるはず。であれば躊躇う必要はありませんわ」

 流石にルーカスは難色を示したが、マリアは譲らなかった。

「申し上げたはずです。わたくしの命はあの子のために使うと。なによりわたくしたちが安全なところから見ているだけでは民が納得できませんわ」

「……自ら先陣を切ることが、貴族であるということだね……」

 渋々ながらルーカスは承諾した。加えて自身も妻と共に試験者に名乗り出た。

 万一ルーカスが政務に戻れないようなことがあっても、嫡男であるヨハンがいる。まだ年若いが優秀な子である。全面的に引き継ぐことは難しくとも、ルーカスが指示した政務を一時的に受け持つ程度であればなんとかなるであろう算段だった。


 そしていよいよ、シャルロットとアインドルフ夫妻が牛痘を接種する日となった。

 公爵家家臣やブリジット、ヨハンやカイエンが心配そうに見守る中、接種が始まる。シャルロットはまず自分の腕をまくると、何の躊躇いもなく鋭い二又の針を白い肌に突き刺した。

 あっという間に自身を実験台にしたシャルロットに周囲が驚くが、彼女は無表情のまま両親へと向き直った。

「父上、母上。今ならまだ止められます。いかがいたしますか」

「ここまできてそれはないよ、シャーリー」

「そうですわよ。それにわたくしは貴女を信じています」

 覚悟は決まっていた。

「お見事です、父上、母上。私はあなた方の子として二度目の生を受けたことを誇りに思います」

 シャルロットは自分に刺したものとは別の二又針を手にとった。

「では医学を行いましょう」

 両親の腕にそれぞれ針を突き立てる。ちくりと痛みが走った。


 接種の日からしばらく後、シャルロットとアインドルフ夫妻は実際に牛痘を発症した。

 若干の発熱と指先などの局所に水疱ができたが、どれも極めて軽症であり、それらも日が経つにつれて回復した。跡も残らず、まったくもって問題なかった。

 それを見た家臣たちは、主の体を張った行いに心打たれたこともあり、屋敷のほぼ全員が試験者として手を挙げた。その家族も合わせて接種を希望した。

 遅れてカイエンやブリジット、ヨハンなども接種することとなり、試験者の数は最低限の基準を満たすこととなった。

 いずれの接種においても問題は見当たらなかった。公爵家が湧き上がった。

 これで天然痘を予防できれば、夢のような世界が来るかもしれないのだ。

 

 しかしシャルロットの顔はまだ浮かばない。ひとつ大きな関門をクリアしたのは間違いないが、医学はここで終わりではないのだと、理想と現実の違いを身を持って知っているのだった。

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