四章 2
天然痘がアインドルフ公爵家で取り上げられたのは、シャルロットの前世を知ってからひと月ほど経ったときのことだ。
シャルロットの医学は何ができるのか、またこの世界で何が問題になっているのか。そんなことを調べている内に、シャルロットが分厚い資料を見ながらぽつりと呟いたのが最初だった。
「天然痘患者か、実際に診るのは初めてだな……」
それを聞いたカイエンは、思わず口を挟むのを止められなかった。
「お嬢の前世でも天然痘はあったのか?」
「ああ、と言っても私が生まれる前には天然痘は根絶されていたので、知識として知っているだけだが」
「……根絶? 天然痘を完全に封じ込めたというのかい?」
同じく資料の確認を手伝っていたルーカスも、聞き逃せない言葉に会話に参加してきた。
三人の手が一旦止まったのを見て、ちょうど良いと話をしながら小休止を取ることにする。シャルロットは愛用の煙管に火をつけた。ルーカスはあまり良い顔をしないが、彼女の機嫌を損ねないために沈黙している。
「さて、天然痘か……。何から話すべきか迷うが、まずは私の前世での天然痘についてか」
地球でも天然痘は古くから人々に恐れられてきた。
天然痘の正確な起源は不明だが、最も古い記録は紀元前一三五〇年のエジプトとヒッタイトの戦争の頃であり、最後にWHOから根絶の宣言がなされたのが一九八〇年。およそ三〇〇〇年に渡り人類と戦いを繰り広げた。
致死率が非常に高いだけでなく、治癒したとしても瘢痕が残るなど、人間にとって極めて害の強い感染症である。
そんな天然痘だが、逆に人類史上初めて根絶に成功した病であり、その歴史は医学の発展に大いに貢献をもたらした。
「三〇〇〇年……平然とそんな年月が出てくるなんて、あらためてお嬢の前世の知識の凄まじさがわかるな」
「しかし天然痘の根絶とは、にわかには信じ難いね……。一体どうやったと言うんだい?」
シャルロットはいつものように淡々と語っていった。
天然痘の特徴として、一度罹った人間は二度目を罹患しないというところがある。それは人の機能として抵抗力が備わっているが故であり、これこそが天然痘に抗うための一番大事な部分だ。
まず最初に地球で試みられたのが、天然痘罹患者の膿を乾燥させて弱体化させた後に健康者に接種させる人痘法だ。これは大いに役立った予防法だが、弱らせたと言えど実際に天然痘に感染するため、接種による死亡者がどうしても存在し、安全性においてかなり問題があった。
そして次に発見されたのが牛痘による予防である。
「この世界でも同じか確認したいが、牛飼いが天然痘に罹りにくいと言った事象が見つかったんだ」
牛痘とは牛が罹る病であり、人間にも感染するが軽度の症状しかない。この牛痘に罹ったものは天然痘に罹患しないことがわかったのだ。
これは牛痘の膿に混じるワクチニアウイルスと呼ばれるものの作用であり、ワクチンの語源となった。
この牛痘法は安全面にも優れており、世界中に広まることで天然痘は撲滅されることとなっていったのだ。
「人為的に病になることで、より脅威のある病に罹らなくなる……?」
「荒唐無稽とは、言えないね……。もし王国でも同じ予防ができるなら……」
「私の前世では、このワクチンによる予防法は天然痘以外でも感染症対策で広く普及しています。総じて危険性が低く、効果が高いからです。この世界でこういった予防法が存在していないのは、治癒魔法が要因のひとつではないかと私は考えています。人体と病の仕組みに疎くとも、治癒魔法が使えることである程度解消できてしまう。それは良いことでもありますが、治癒魔法が効かない場合の対処法が進歩しづらいものになってしまっているのではないかと。いかがですか、父上?」
ルーカスも同感だった。先の流行り病で、そのことを実感したばかりだった。
魔法は貴族の誇りだが、決して万能ではないのだ。
「私がこれまでの経緯を見るに、治癒魔法は目に見える傷の回復などには抜群の効果を発揮するようですが、天然痘や流行り病などの細菌やウイルスによって引き起こされる病には効果が低いように見受けられます。また、体内などの見えない部分についても、魔法をうまく作用させられないことが多いようです。いずれ治癒魔法でそれらが治療できる日が来る可能性はありますが、現時点では遠い未来と言わざるを得ません。したがって、仮にこの世界でも天然痘予防に取り組むのであれば、牛痘法を用いることが最善かと思われます」
ルーカスは頷いた。シャルロットの説に矛盾はなかった。
紫煙をくゆらせながら、彼女は鋭い目つきで何かを思案していた。
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