三章 6

 静まり返る室内に、シャルロットの抑揚のない声が響く。

 それでも阿坂界の生涯に後悔はなかったのだと。すべきこと、やりたいことをやろうとして、力及ばなかっただけなのだと。まるで消えてしまいそうな透明さを映した表情だった。

「……ひとつ心残りがあるとすれば、私の望んだ医療とは何だったのかということ。ただそれだけです。そしてそれ故に私はやはり医師として決定的に足りていないのでしょう。自らの望みが原因で患者を失いながらも、そこに思いを馳せることはないのだから」

 腕を組んでただ聞いていたブリジットは、強い意志を宿した瞳で妹と目を合わせた。

「私はそうは思わない。なぜなら、お前は今も研究を続けているではないか。本当に医師失格なのであれば、そんなことはしないだろう。我々は公爵家だ。医療の研究などせずとも生きることに支障はないではないか」

「それは——」

「医学とは死者の向こうに希望を見出すのだと、お前が教えてくれたことだ。亡くなった者たちの死を無意味にしないために、研究を続けているのではないのか?」

「……私は逃げたのです、姉上」

「だとしても、この世界でまた立ち上がった。お前は私たちに覚悟を問うたが、迷いがあるのはお前自身なのだろう?」

 哀れな子だと、ブリジットは妹を想う。

 ブリジットは軍人である。ときに敵の生命を奪い、ときに自らの命すら国に捧げるのが職務である。そんなブリジットにとっても、やはり命のやり取りは怖い。望んで得た職だといえ、その恐怖がなくなることはない。大の男ですら、戦場では恐怖し涙を流すのだ。

 しかし、妹は泣かなかった。形は違えど同じ命に関わる職務を淡々とこなしたのだ。辛い過去を話すときも、いつも通りの変わらぬ無表情だった。

 おそらく泣きたくとも泣けないのだろう。責任感の強い子だから。

 そして生まれ変わってからも、答えを探し続けている。


「お嬢、すぐに迷いが消えるとは言わない。いや、むしろずっと消えないかもしれない。けどさ、お嬢。お嬢の中で、もう答えは出てるんじゃないのか——? だから俺に声をかけたんだろ?」

 カイエンは立ち上がった。

 窓の外はすっかり暗くなっていた。

 冬が近づき日が短くなっているのを実感する。近頃、夜は冷え始めている。今日もきりりと刺すような冷たさが素肌を通り過ぎていく。

「聞かせてくれ。それが間違っていたとしても、俺たちには必要なんだ」

「たとえお前が道を誤るのであれば、我々が全力で支えよう」

「カイエン、姉上……」

 シャルロットは嘆息する。

 医学の研究を広めるつもりはなかった。そんな資格はないと思っていた。だが、研究を止めることもできなかった。その時点で、やはり答えは出ていたのだろう。

「結局私は、医師である自分を——自らの望みを捨てられないのか……」

 消極的だが、それは肯定の言葉だった。

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