三章 2

 シャルロットが退去してから数刻。サロンにはいまだ重たい空気が漂っていた。

 特にヨハンは酷い。冷静な姉の逆鱗に触れたことに少なからずショックを受けており、顔色を白くして手を握り締めて俯いている。

 そんな空気を払拭すべく、カイエンがひときわ軽快に話し出した。

「さて、閣下には先に申し上げていましたが、お嬢の反応は想像したとおりでしたね。あそこまで強く拒絶するとは思っていませんでしたが」

 ルーカスとマリアは頷いた。

 さほど悪い話ではなかったはずだ。アインドルフ公爵家としても支援を惜しむつもりはない。けれども、シャルロットは受け入れなかった。

「どうしてあれほど頑なに拒絶しているのでしょうか。カイエンくんは何か知っていますか?」

 マリアの問いかけにカイエンは首を横に振った。

 先程のシャルロットの顔を思い出す。

 知りたいとは思っていた。だが積極的に秘密を暴こうという気にはならなかったので、シャルロットが話してくれるのを待っていた。今となっては無理にでも聞き出しておくべきだったかと若干の後悔があった。

 打つ手なしかと再び沈黙が落ちる前に、ブリジットが立ち上がった。

「ならば、聞きに行くしかあるまい。ここで話し合っていたところで、アレの頑なさが解けるわけではないのだからな」

 軍人特有の実直さを発揮し、ブリジットは実にいい笑顔で言い放った。

「父上たちは待っていてくれ。ああ、カイエン殿は一緒に行ってもらおう。私だけがアレにくどくどと言われるのは御免だからな」


 シャルロットの部屋は、簡素を通り越して質素な佇まいである。

 必要最低限の物を置いているだけで、とてもではないが公爵令嬢の部屋には見えない。窓際に置かれた華やかな花が挿された花瓶が唯一と言って良いそれらしさを感じさせるものの、肝心の花はカイエンが差し入れたものだった。

「相変わらず殺風景な部屋だな」

「姉上の部屋もさほど変わらないでしょう。武器の類いが置いていない分、私の方がマシです」

 このふたり、これでいて仲は悪くない。むしろ気が合うところがあるのか、昔は一緒にいることも多かったのをカイエンは知っている。ブリジットが軍に入ってから接点は減っていたが、交流自体は今も続いていた。

 ブリジットは肩を竦めると、真っ直ぐにシャルロットを見た。

「頭は冷えたか?」

「……多少は。ヨハンには悪いことをしました」

「なに、これも経験だろう。貴族の交渉となれば、相手の顔色を判断することくらいは求められるだろうからな」

「姉上も相変わらずのようで。——それで、聞きにきましたか? 私の前世について」

 本当に小さく溜め息を吐くと、シャルロットは用件を確認した。

 ブリジットはからかうような様子を改め、真剣な眼差しに変わる。

「そうだ。前世の記憶とやらがお前にとって愉快でないものなのは想像はついている。しかし、それを踏まえても父上から聞いたお前の知識は重要だ」

 軍服に包まれた腕を組む。長い指がとんとんと己の腕を叩くのは、自らの行いが妹に痛みを与えるとわかっているがゆえの苛立ちなのか。

「我々は公爵家たる貴族だ。貴族とは民を守る者。その手段が目の前にあって、何もしない訳にはいかんのだ」

 ブリジットは言った。

「私を納得させてみろ、我が妹よ。我々はとうに覚悟はできている」


 目を逸らさずに向き合う姉妹を、カイエンは横から見守る。

 言葉は発しない。

 やがて諦めがついたかのように、今度は大きく溜め息を吐く。

「姉上は本当に強引ですね」

「お前に学ばされたのさ。お前の頑固さはただ待っていても改善しない、とな」

 からからと笑うブリジットに少しだけ表情を緩ませる。

 そして、シャルロットは訥々と語り始めた。

 自らの前世——冷血とまで呼ばれた、阿坂界の物語を。

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