三章 1

 アインドルフ公爵家のサロン。シンプルだが品と質の良い調度品が並べられ、中央に置かれた白いテーブルを囲むようにそれぞれが椅子に座っている。

 シャルロットを中心に、ルーカス、マリア、ヨハン、そして母の様子を見るために戻った長女ブリジット。更に関係者として呼ばれたカイエンもいる。

 久方ぶりに公爵一家が勢揃いしたのだが、家族団欒とは言い難い雰囲気を漂わせていた。

「何度問われようとも私の答えは変わりません。私は科学と医療をこの世界に広めようとは思っておりません」

 目を伏せたまま告げるシャルロット。

 カップを手に取っているが口はつけておらず、紅茶は冷めつつある。平坦な声色から明確に拒絶の意志が伝わってきていた。


 マリアの容態が落ち着いたころ、ルーカスはかねてより思案していた医療技術の促進について切り出した。マリアやヨハンに帰宅したブリジット、相談役として動いていたカイエンとともに。

 だが、やはりと言うべきか、シャルロットの答えは芳しくないものだった。


「しかしな、お前は母上の病を癒やし、先の流行病では父上に助言しているのだろう? 今更どうして拒否するのだ?」

 そう問うのは長女であるブリジットである。

 輝く金の髪に鋭い目つきの青い瞳が印象的な、スレンダーな美女だ。濃紺の軍服に身を纏い、きびきびとした動作と口調が特徴である。彼女はアインドルフ公爵家の長女でありながら、自らの恵まれた魔法の才を生かすために望んで軍人となった変わり者である。軍にてメキメキと頭角を表し、若くして将校として働く女傑というべき存在だった。

 腕を組む姉をシャルロットは見つめ返す。

「姉上、父上。科学とは——医療とは、それほど都合の良いものではありません。先の二例では偶然うまく活用できましたが、本来そのようなことの方が稀なのです」

 小さく息を吐きながら首を振る。そこには疲れのようなものが見て取れた。

「科学とは観測した事象を体系化する学問です。確かに私の科学に基づいた医療は、ある一定数の人々を救うでしょう。ですが、それを普及し発展させようとするならば、膨大な数の症状を見続けていかなければならないのです。そうして積み上げた患者と死者の山の向こうに、医学の発展がある」

 手元のカップに再度視線を落とす。冷たくなった紅茶が揺れていた。

「この世界に科学を積み上げる下地はありません。治癒魔法があるのだから」

 いつも以上に温度の低い声に、ブリジットもすぐには返答できなかった。


 シャルロットは覚悟を問うているのだろう。

 この世界では、治癒魔法が効かなければ誰であっても治せない。そういうものだから、治せなかったものに恨みなどない。そこには悲しみと諦めがあるだけだ。

 だが科学は違う。

 同じ症状に対して対処を積み重ね、失敗すらも積み上げ、治せたかもしれない者たちの屍の山から希望を見出すのが科学であり、シャルロットの医療なのだ。

 そこに必要なのは、理想ではなく積み重ねるべき現実を受け入れる覚悟だ。


 想像を遥かに超える物言いに静まるサロン。静寂の中、恐る恐るといった体で最も若いヨハンが口を開いた。

「シャル姉様は……民を救いたくはないのですか?」

 ヨハンは若い。だからこそ、未熟さを自覚しつつも、己の思うものをそのままに姉に投げかけた。

「確かに失敗もあるかもしれません。救えない者も出てくるでしょう。けど、それでも助けられる者がいるなら、僕は——」

 言葉は最後まで紡げなかった。

 シャルロットが、感情も露わにヨハンを睨んでいたのに気づいてしまったから。


 怒りか、悲しみか、憎しみか——何の感情なのかは読み取れなかった。大きな波のようなものが複雑に連なり、絡み合っていた。

 横にいた家族たちやカイエンが息を呑んでいるのが感じ取れた。これほどまでに感情を明確に出すシャルロットを、誰も見たことがなかった。

「ヨハン……私は、……医師は、聖人ではない」

 吐き捨てるようにシャルロットは呟いた。

「助けたいから助ける? そんな高尚なものではない」

 立ち上がり、背を向け、サロンの扉に進む。

「ただの職務だ」

 父や姉と同じ黄金色の髪に隠れて、もう表情は見えなくなっていた。

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