二章 3

 そのときは、唐突にやってきた。


 シャルロットとカイエンはいつものように物置小屋にて、現在の研究対象であるカビからペニシリンを作成することに苦心していた。

 この研究を始めて早一年。ようやく目当てのカビを発見し、いざ培養と抽出をいかに効率よく行なっていくのかを議論と実践を繰り返す。

 研究はシャルロットの知識を前提としているが、この世界でそれを活用するにはあまりにも環境が異なっている。異世界流に落とし込むための方法においてカイエンは非常に貢献していた。道具、原料、資料、環境の手配——もはやシャルロットもカイエン抜きでの研究は考えられず、彼女の片腕といっても過言ではない存在になっていた。

 シャルロットは複数のガラス管を眺める——こういった貴重な道具に関しても、カイエンの伝手によって入手したものだった。

「やはり抽出できたものは菌の繁殖がない。物自体はこれで合っているだろうな。あとはこれの質を如何に高めるかということだ」

「そうだな。でもお嬢、質だけじゃなく量も足りねえよ。今のままの生産量じゃ薬として使えばあっという間になくなっちまう。やっぱり商人としてそこはなんとかしたい」

 議論を交わしつつも、今までの成果を確認し合う。目標たる薬はいまだ遠かった。


 繊細で先の見えない作業の反復は、流石に疲れを呼びやすい。根を詰めても仕方がないと二人が休憩を入れようとしたとき、小屋の扉が慌ただしく開かれた。

「姉様! シャル姉様っ!?」

 大声と共に入ってきたのは、シャルロットの弟であるヨハンだった。


 ヨハン・アインドルフ。

 アインドルフ公爵家の第三子であり、将来的には公爵家を継ぐ嫡男である。母マリアにそっくりの銀髪に青い瞳が映える線の細い美しい少年だ。

 おとなしい性格だが聡明さを持ち合わせており、勉学は優秀。魔法の才も父譲りで、他家からも公爵家の後継として高い評価を得ている。


「どうした、騒がしいぞヨハン? 父上に見つかればうるさく言われてしまうぞ。貴族たる者は冷静さと優雅さが必要だとな」

 作業から顔を上げたシャルロットが嗜める。

 見ると、ヨハンは息も絶え絶えな様子だった。

 ここまで走ってきたのだろうか——汗だくになって胸を上下させるヨハンに、カイエンは水の入ったコップを差し出した。

 ごくごくと喉を鳴らしてヨハンは水を一気に飲み干す。呼吸が整ってきたヨハンを見て、シャルロットは改めて弟に声をかけた。

「それで、どうした? わざわざここに来たということは、何かあったのだろう?」

 ヨハンは一瞬だけ視線を足下に落とす。

 そして、小さくもはっきりとした口調で告げた。

「母様が——倒れました」

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