二章 2

 カイエンは執務室から出ると、大きく一息ついた。

 アインドルフ公爵と言えば、トラヴァリア王国において国王に次ぐ男である。古くからの馴染みであり見知った顔といえ、こうして一対一で仕事に関する言葉を交わすのには緊張と負荷が強かった。

「カイエン、父上と何か話があったのか?」

 ふと横から声をかけられて見ると、話題のシャルロットが立っていた。

「お嬢か」

「いつも言っているがお嬢はやめろ」

「でもお嬢はお嬢だろ」

「そんな柄ではない。で、父上に何の用だったんだ?」

「なに、商売のことで少しな。お嬢こそ俺に何か用かい」

 軽口を叩きつつも問いかける。今の時点で公爵の投資についてシャルロットと話すつもりはなかった。

 シャルロットは無表情からわずかに片眉を下げる。極薄く小さな表情の変化だが、付き合いの長いカイエンは見逃さない。多分話題を逸らしたカイエンを見通しているのだ。


「別に無理に問い正す気はない。時間があるなら付き合え」

 シャルロットは踵を返して先導する。後ろを振り返りもしない。カイエンがついて来ないとは思っていないようだ。

 肩をすくめてカイエンは後に続く。彼としても拒否する理由はなかった。

「またいつもの場所で研究の手伝いか? お嬢はほんとあそこが好きだな」

 カイエンの問いにシャルロットは若干だが不服そうに返す。

「あそこでなければ煙管を吸えない。父上がうるさいからな」

「煙管好きだよなぁ、お嬢。身体に良いモンじゃないって自分で言ってたくせに」

「身体に良いものだけで生活が成り立つか。ときに毒も多少は受け入れねば心が休まるまいよ」

「うわ、屁理屈。しかしそんなに良いモンかねぇ、俺も吸ってみようかな」

「お前はダメだ。どうせ自制できんからな」

「ひっでえな!」


 屋敷から出れば、いつ見ても素晴らしい庭園が広がっている。

 季節によって様々な彩りの花が品よく並んでいる。今の時期は白や赤みがかったものが旬のようだ。公爵家ともなれば庭ひとつにかける金の額が違う。非常に腕の良い庭師を雇い入れているのだろう。

 中庭を抜けていつもの場所に向かう。屋敷の敷地の片隅にある、物置小屋へ足を進める。物置と言ってもあくまで公爵家基準で、実際はカイエンの実家ほどの大きな小屋だ。そこでいつもシャルロットとカイエンは怪しげな実験やら密談やらをしている。


 ——ちょっと不機嫌だな、やっぱり。

 背中の様子でカイエンは悟る。

 ——やっぱりさっきの話、聞かれたかある程度予想してんだろうなぁ。

 先程の公爵との話を思い出す。

 実は公爵には言わなかったことがひとつある。それは確実性に欠けるからという理由で口にしなかったが、極めて重要なことだった。

 カイエンが思うに、シャルロットは自らの知識を広める気はないのではないか、ということだ。


 正直な話をするのであれば、カイエンは年齢のわりには小金持ちだ。商家の子ということもあるが、己の手で小さいながらも事業をこなしているのだから当然だ。

 だが、アインドルフ公爵家は国も認める名家である。

 金が必要なのであればカイエンに頼るまでもなく、公爵家が出せば良い。限度はあるだろうが、カイエンが研究の成果を通して融通できる金額などは遥かに上回るはずだ。

 にも関わらず、シャルロットは研究費で公爵家を頼ることはない。それどころか物置小屋でどこぞの商家の息子と二人、細々と研究をしているだけ。まるで研究を秘匿したいかのような振る舞いだった。

 理由はわからない。

 知りたいとは思う。けれども、この無表情なお嬢様が簡単に答えてくれる気がしなかった。


 始まりのきっかけは些細なものだった。単純に見たことも聞いたこともないものを生み出したり確認したりしようとするシャルロットが面白く、強引にカイエンから誘いかけた。そこから研究が開始し、いつしかカイエンも一緒になってのめり込んだ。

 カイエンはシャルロットとの関係が気に入っていた。お嬢様らしからぬ言動もそうだが、謎めいた知識を元に実験したりするのは楽しかった。上手く結果が出たときの興奮も、失敗したときの落胆も、その時々でわずかに表情を変えるシャルロットも、全てがカイエンに喜びを与えてくれた。

 それが今回の投資の話でどのように変化していくのか——カイエンにも予想がつかない。しかるべきタイミングで話をするつもりだが、シャルロットはどんな反応をするだろうか。

 受け入れるのか、拒絶するのか。

 どちらにしても、今のままというわけにはいかないだろう。

 顔を上げれば、雲ひとつない快晴——カイエンの心とは真逆。

「どうなんのかねぇ」

 小さな呟きは、前を歩く少女の背には届かない。

 カイエンの疑問は空に吸い込まれていった。

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