二章 1

 アインドルフ公爵家、執務室。

 そこに2人の男——威厳ある壮年の男ルーカスと、若いが鋭い目つきの少年カイエンが話し合っている。

「それで、考えはまとまりましたか? 公爵閣下」

 年齢のわりに低く重厚な声が響く。

 久方ぶりにルーカスと対面したカイエンは、彼の父にそっくりの黒い瞳を面白げに輝かせている。

 娘のシャルロットと同じ歳だが、彼女とはまた違った意味で癖のある少年だ。

 商家の息子であるカイエンは、跡取りではないものの既にいくらかの商いを自らの手で営んでいる。そのいくつかはアインドルフ家とも関わりがあり、若さに反して実績は申し分のない男だ——そのせいかひねくれ具合も加速しているが。

 しかしそのカイエンをしても、シャルロットについての回答はなんとも曖昧なものが含まれていた。

「閣下の言う通り、お嬢はまぁ多分本物ですよ。ありゃこの世界の現状を遥かに超えてる。前世の記憶とやらかどうかはともかく、なんらかの高度な知識を持ってるのは間違いない。実際俺もお嬢に頼まれていくつかの実験やら薬の製造やらに携わってきたけど、どれもこれも見たことのないもんばかりですからね」

 苦笑いのような、困り顔のような、なんとも言えない表情でカイエンは言う。

「研究の内容だって理解できないものが多い。どれだけの価値が生まれるのかも。正直お嬢の頼みじゃなきゃ放り投げてますよ。今の研究なんてよりにもよってカビの研究ですよ」

「カビ……? 家の隅や食べ物に生える?」

「そのカビです。なんでもお嬢が言うには、ある種類のカビがペニシリン? とかいう薬の大元になるんだとか。わざわざ大量にカビを生やして増やして、いろいろやってますよ」

「ふむ。カビが薬に、か。そんなものが……」

「作れた物は抗生物質とかいうもので、この前の流行り病でもあった、胸を患っているような病人に効くらしいですよ。まぁ、まだ未完成で量もないので、今は使えたもんじゃあないですが」

「カビから胸の病を治すのか……」

 凄まじい——その一言に尽きる。


 カイエンを呼び寄せたのは、流行り病が治まり治癒院や王宮の業務もひと段落し、ルーカスの仕事に少しの余裕ができてからだった。

 王都では民から貴族まで無数の命が失われた。

 シャルロットの助言を得てから新たな感染者は減っていったものの、既に患っていた者の一割が回復しなかった。激しい咳や高熱によって衰弱し、幼い子も老人も分け隔てなく亡くなっていった。


 死亡者に関する資料を見るたびにルーカスにはある思いが過ぎった。

 この者たちを救う術はあったのだろうか、と。


 ルーカスはアインドルフ公爵家たる貴族である。

 貴族とは民の前に立ち、民を護り、民を導く者のことだ。

 魔法を受け継ぐ誇り高き血を連綿と繋ぐのも、民から税を徴収し国を司るのも、それが貴族の義務であり、そのための力だからだ。

 だが、此度の流行り病にはその義務を到底果たせず、忸怩たる思いだった。

 むしろシャルロットの助言がなければ、未だに流行り病が治まっていなかっただろう。


 ルーカスにとって、流行り病はひとつの契機となった。

 これからの貴族は、外敵からだけでなく病からも民を護らねばならない——そんな指針が生まれていた。

「やはり私は、シャーリーの医学を広めたいと思う。そのためであれば、君がシャーリーと行う研究に出資することもやぶさかではない」

 そのためにシャルロットと関係の深いカイエンを呼んだのだった。

 カイエンはニヤリと笑う。

「いいんですか? 役に立つかもわからねえ上にいつ成果が出るかもわからねえような代物ですよ?」

「覚悟の上だ。もとより研究とはそういうものだろう」

「剛毅なことで」

 ルーカスは首を振る。

 確かに研究費とは際限がない。金があればあるだけ湯水の如く使われるのが研究というものだ。それは公爵家の財力を持ってしても、大きな出費となる。

 だが、何もできずに手をこまねいて民を失うよりはマシという他なかった。

「どうしても国としての研究費は今ある治癒魔法に向いてしまう。過去の実績などを踏まえているからだ。だが我々は……私は知ってしまった。この世界に足りないものを。むしろ今までが知らなすぎたのだ」

 おそらく魔法が原因なのだろうと思う。

 魔法は素晴らしい技術である。それは間違いがない。

 古くは獣などの外敵を排除する術であり、昨今では治癒魔法の発展で多少の怪我など瞬く間に治ってしまう。

 使用する上でどうしても才覚の有無の問題はあったが、一度発動させられれば誰もが効果を発揮することができる。正に時代を切り開いてきた技術であり、ルーカスも己の魔法の才には誇りを持っている。


 しかし、だからなのだろう——いざ魔法が望む効果を得られなかったとき、この世界では選択肢が少なかった。

 流行り病のとき、それは明確になってしまった。


 過去を悔いるのは程々で良い。宰相たるルーカスは、次に備えるのが職責だった。

「とりあえず投資を受けるかどうかはお嬢の許可がいるでしょう。俺からも確認はしますが、閣下からもお願いしますよ」

 カイエンの言葉にルーカスはゆっくりと首肯した。

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